ニンゲン・ゲーム

桐絵 妃芽

ニンゲン・ゲーム

 私の名前は朝日あさひ心奈ここな、高校一年生。


 そして、世界で一番幸せなニンゲンだ。


 今は夏休み明けの残暑厳しい9月。といっても、私の学校があるのはだいぶ南の方だから、実際には10月も半ばになるまで暑さが続く。そんな中、私は屋上で一人お弁当を食べている。周りには人っ子一人いない。女の子なら少しくらい日差しを気にして、木陰のベンチで優雅にランチといきたいところだが、あいにく私にそんなことを気にかけるたちでは無い。だからといって私がスポーティで健康的に日焼けをしているかと言われれば、それも違う。この際はっきり言うが、私は極度の陰キャでコミュ症の、ハイパーインドア人間である。ふむ、わかる、わかるぞ言いたいことは。そんなやつが自分語りするはずがないという陰キャ、もしくはコミュ症の皆さんの言い分はごもっともである。しかしこれは私がヲタク気質であるが故に繰り広げられる脳内音声であって、決してリアルに何人も友達がいるような嘘つきではない!そんな私がここにいる理由はただ一つ。人と会いたくないからだ。別にボッチ飯が恥ずかしい訳では無いが、あの喧騒の中で昼食を食べる気がしないのだ。そうして見つけたのがここである。ここまでの書き方だと、さも暑さ故に人がいないようだが、実はこの屋上は、本来は開放されていないのだ。それなのになぜ私がいるかといえば、たまたま開いていた訳でもなく、もちろん主人公補正で鍵を持っていた訳でもなく、ガチヲタを目指すなら習得必須の、ピッキング技術を使ったのである(いろんなところに謝れ)。こんなところには、生徒はおろか、先生すら来ない。しかし、週に一度は清掃業者が入るので、苔もなければ鳥の糞尿もないのである。そのため5月にここを見つけて以来、雨の日以外毎日のように来ている。正直なところ暑い。クソ暑い。だがオシャレは我慢というように、ぼっちも我慢である。他人を拒絶するなら、それ相応の態度が必要なのだ。それくらいはわきまえられる程には、私は恵まれている。というか、恵まれすぎている。生まれてきてから、他人がするような苦労を、全くせずに生きてきた。勉強は人並み以上にできて、県の進学校に大した勉強もせずに入った。親はいるし、強制的に何かをさせられたことがほとんどない。いわゆる中流家庭で、金持ちがする苦労も、貧乏がする苦労もない。それでいて健康で怪我もせず、医者にもほとんどかからない。天才の苦悩も、凡人の苦悩も無い。陰キャ、コミュ症、ぼっち。多くの人が、苦労と思うことだろうが、一切苦に感じたことがない。まぁ不満がないとは言い切れないが、そんなことを言ってはバチが当たってしまう。とにかく私は幸せだ。他の誰よりも。けど、自分のことを人間だと認めたことはない。いつだってニセモノの、なのだ。自分が調子に乗りそうなときは、いつもこのことを思うようにしている。『ニンゲン』は、私がつくった言葉で、人間と発音が全く同じであるから、声を出して自分をそう揶揄しても、周りにバレることはない。それでいて、自分はニセモノの存在だとはっきり認識できる。この言葉を作ったきっかけなんてものを話す流れだと思うのだが………、ちょっとそれどころではなくなってしまった。


 私の前方に、一人の少女がいる。可怪おかしい。私は、ここにいるとき、ドアの鍵を閉める。私は耳がいいし、警戒心もある方だ。鍵を開ける音が聞こえないはずがない。実際、一度先生が来たことがあり、その時は気づいて隠れられた(真っ平らな屋上などない。どんな場所でも隠れる方法はある)。もし鍵を閉め忘れていても、ドアがおんぼろなので、軋む音が鳴るはずだ。ちなみに、私が使うドア以外でこの屋上に上がる方法はない。

「いい眺めだね〜。人がゴミのようってこういうことか。」

いきなり少女が口を開いた。大して綺麗でもない町の眺めだし、ゴミに見えるというのは、もっと高いところで言うものだろうと思ったが、そんなことを言っている場合ではない。

「あなた、中学生?」

普通は何者かと尋ねるところだが、明らかに中学生に見えたので、そう聞いた。すると少女は一瞬眉をひそめて、

「ん?あ〜あ。この格好だとそう見えるのか。中学の制服だしね。でも、君と同い年だよ。」

そう言って自らのセーラー服を見る。少女の指摘は、ある意味であっていて、ある意味であっていなかった。まず、私が格好から中学生と判断したということだが、それは間違いない。しかし、なにも少女の制服が中学校のものと断定できたわけではなかった。それではなぜ中学生に見えたかというと、それは彼女の容姿に答えがある。少女の身長が、ひどく低かったのだ。私もこの年にしては明らかに背が低い(148cm)が、それと比べても低すぎる。130cmほどだろうか。絶対に135cmはない。危うく小学生に見えそうなところを、その制服によって、やっと中学生に見えたのだ。ちなみに身長がはっきりわかったのは、彼女が屋上の安全柵のすぐ近くにいて、私が警戒心から立ち上がったからだ。そんなことを思っていると、また少女が口を開く。

「この格好、可愛いでしょ〜。」

正直説明してほしいことは山ほどあるが、まずこれから言おう。可愛い。信じられないほどに可愛い。まず顔がいい。目が大きく、口が小さい彼女は、童顔というよりむしろベビーフェイス。幼女のそれだ。しかしそれでいて整った、完成された顔という印象を受ける。大人数のアイドルグループのセンターよりもずっとかわいい。正直顔だけなら一人でも人気が出そうだ。そして髪はまさかのツインテール。更にその髪を束ねているのはゴムではなく、綺麗なピンクのリボンという徹底ぶり(何を徹底しているのかは分からない)。頭のてっぺんにはこれまた可愛らしく跳ね上がったアホ毛。おまけに髪色は綺麗なブロンズと来た。見るからにロリっ気全開、ロッリロリのロリっ子で、ロリの極み乙女、ロリにロリ着せて歩いているようなもので、これをロリといわずしてなんというか、ロリの瞳にロリしてる、ロリの上にも三年、ロリ寄りのロリといった感じなのだ。正直自分でも途中からなに言ってるのか分からなかったが、とにかくこれはヲタク心をくすぐられる。写真の一枚でも撮りたいくらいだ。しかしそんな気持ちをぐっと抑え、私は彼女を問いただすことにした。

「なんでここにいるの?」

先ほど中学生かと尋ねたときに比べれば、いくらか警戒が解かれているような声だった。だが明らかに敵意のあるその言葉に、まるでそれが全てだというように、答えにならない答え、だけども彼女の不可解さを示すに十分な言葉を放った。

「僕はあずま百音もね。百に音って書いて百音。ニンゲンだよ。」

一瞬理解できなかった。だがそれも、すぐに警戒に変わる。やはり可怪しい。は私が作った言葉だ。というか、音声で漢字とカタカナの区別がつくはずがない。だが自らを東百音と名乗るその少女は、確かにニンゲンと言った。そうして警戒心の塊のようになっている私の瞳をみて、何を思ったのか彼女はこういった。

「大丈夫。大丈夫。〈weise〉だから。」

『ヴァイゼ』と言っただろうか。明らかに英語の発音ではない。だがゲルマン系ではあるだろう。そこでまず一番最初に浮かんだ国を言う事にした。

「ヴァイゼって、ドイツ語?」

すると少女はひどく意外そうな表情をして

「あーそっちか。でもニンゲンはわかるんだね。」

「うん。」

思わずそう言った。初対面相手にタメ語を使ったのなど、七、八年ぶりくらいだ。というか、普通ここまで話せない。本物のコミュ力強者だ。それより、やはり彼女は『ニンゲン』と言っているようだ。謎の言葉に対する答えは無かったが、何かを知っているらしい。『そっち』ということは、恐らく事情を知っている側と知らない側が一定数いて、私は知っている側に見える、もしくは知らない側が少数ということだ。訳が分からないが、とにかく私は彼女から情報を得るのが優先だと思い、口を開く。

「ニンゲンって貴方達にとって何なの?」

『達』と、複数形で尋ねたのは、彼女が『ニンゲン』という言葉で、通じるものだというふうに捉えているように感じたからだ。つまり他の『ニンゲン』と繋がりがある。ぜひとも聞きたい。すると、

「ねぇ、名乗ったんだから名前で呼んでよ。せめて苗字。まぁそれはさておき、その説明をするなら、まず僕のことを話すべきだよね。」

数分ぶりに会話が噛み合い(?)、初めてまともな言葉を言われたこと、そして目の前にいる少女がボクっ娘なことに今気づいたという二点から、私が驚いていると、少女あらため東百音(この改めるくだりは人生で一度はしてみたかった)は、「コホン」と可愛らしい咳払いをして、「ではまず…」と慎重な前置きをしてからこう言った。

「僕、東百音は、朝日心奈さんのことが好きです♡付き合ってください!」

……………………………………。

いきなり投げ込まれた爆弾もとい驚愕の事実に頭が追いつかず、思わず途切れ途切れにこう言ってしまった。

「ま、まさか、私の人生が百合色だったとは。」

本人を前にしてどうかと思う発言だが、決して男にモテたいとか、彼氏が欲しいとか、女は無理だとか、そういう感情からの発言ではない。純真無垢な、百合好きとしての意見である(百合そのものは健全で純粋です)。ちなみにBLもいけるが、泥沼の不倫・浮気、寝取られなんかは無理だ。恋愛モノは純愛がいい。さらに言うと、この小説は全年齢対象だ(ルビなんてほぼ振ってない)!幼稚園児でもキスする時代に、たかが告白くらいでレーティングされてたまるか(もし小学生とかが読んでて、分からない言葉があったとしても、ここら辺の言葉は大人に聞かないであげてね。多分すごく困まった顔するし、私が文句を言われそうだから。というか言われる)。

「まぁ、僕のことは後々好きになってもらうとして、一つずつ話していくね。じゃあ僕と君との出会いから。」

脱線しまくっていた話をもとに戻してくれた。まずは、好きになった過程について話してくれるようだ。ん、待て。『出会い』という言い方、そして私の名前を知っているあたり、もしや前に会ったことあるどころか、しっかり会話までしたことがあるということか?でもそれだと名乗る理由が無いような…。は、もしや私が忘れている可能性を見越して?なんていい子なんだ!そして私はなんて悪い子なんだ!すると、彼女は語り始めた。

「あれは先週の土曜日のこと―――――」

待て待て待て。先週の土曜といえば一昨日じゃないですか。これじゃあ私、最低最悪じゃないですか。一昨日会ったばっかりの人忘れてるってことじゃないですか。でも待て、月曜に先週の土曜日って言うってことは、もしや先々週の土曜日のことなのでは?たまにそういう人いるし。よしまだ最低最悪ではない。最低ではあるけど。そこで私は、「待って。」と話を止め、確認する。すると彼女は

「うん。一昨日だよ。でも先週の土曜日って言った方が雰囲気よくない?」

と、ケロリとした顔で言った。最低最悪が確定しました。ごめんなさい。腹を切ってお詫びします。だがそんな私の気持ちには構わず彼女は話を続ける。

「その日、僕は駅前でリュックを背負って歩く心奈を見かけたんだ。そして、一瞬で好きになった。あれが一目惚れってことなんだね。」

あれ?

「そしたら心奈がバスに乗ろうとするから、慌てて追いかけて、同じバスに乗っちゃったんだ。」

あれあれ?

「そして心奈はそのまま家に帰っていった。それが出会い。」

会ってないじゃん!良かった。私が酷いんじゃなくて、そもそも会ってなかったんだ。な〜んだ。あれ、ではなぜ名前を…。

「そこで私は心奈について知るため心奈をつけていくことにしたのです。そしたらなんと心奈は寮住まいだったんだよ。」

「いやまぁ自分のことだから知っているけど、なんかストーカーまがいなことされてない?」

「失礼な!しっかりとしたストーキングだよ!」

「え、ツッコむところそこなの?」

「何でも中途半端は嫌だからね。」

それと変質者扱いを許容することは関係ないと思うが、ひとまず話の続きを聞こう。

「それでどうしたものかと考えているうちに、うっかり心奈の部屋の前まで来てしまったので、心奈が共用のトイレを使っている間に、ベランダに忍び込んだのです。ごめんね♡」

いやいやこの子、想像の遥か上をいくヤバさだ。うっかりとは何だ。うっかりとは。結構人もいる寮だ。うっかりで私のいる四階までつけて来れるわけが無い。それに其処まで来たことと、ベランダに忍び込むことには何の関連性もない。大人しく帰ればいいだけの話だ。これは他の犯罪もしてると思った方がいい。

「それでその日は、そのままベランダで一夜を明かしたよ。もちろん心奈がいない間に部屋を物色するのを忘れずにね!といっても、なにか盗んだわけじゃないよ。」

そっか〜。偉いね。私は完全に脳死でそう思った。

「その時にいろいろ気づいてさ。ニンゲンだって分かったのもその時だよ。でもそれはひとまず置いといて、まさか君がこっち側のニンゲンだったとは思わなかったよ。君が、ヲタクだとはね!」



※ここから少し茶番が始まります。読み飛ばしてもらって結構です。



そう言われたとき、私は全てに納得がいった。彼女の『ストーカー規制法違反』や『住居侵入罪』を恐れぬ大胆不敵さ(恐れないのにはこの後の会話で別の理由があることが分かった)。無駄な窃盗行為はしないというスマートさ。そして何より、その類まれなるストーキング技術!全てがガチヲタ故の行動だとすれば説明はつく(たった今、多くの人間を敵に回した気がするが、そんなことは関係ない。例え私が犯罪者予備軍に見えたとしてもだ)。そう理解すると同時に私は悲しく首をふる。

「そう言われてとっても嬉しい。だけど私はヲタなどではなくただのヲタク気質のニンゲンなの。」

「これを言われ東百音はハッとした。彼女こそが真のヲタであり、自分は仮初に過ぎないと。お金もないJKでありながらあの量のグッズを集め、数種類のソシャゲを無課金でありながら相当やり込んでいた。アプデ待ちもあるほどである。そして信じられない程の守備範囲の広さ。唯一苦手であろう泥沼系の漫画も、話題作は苦虫を噛み潰したような顔をしながら読んでいた。後学のためだ。そしてそれでもなお自分をヲタだと認めない姿勢、廃課金勢への敬意の表れ!完全敗北だった。」

東百音はそう早口かつ一息(ここが大事)で言い切ると、ニヤリと笑みを浮かべた。それに私も同じくニヤリとした顔で答える。

「屋上のドアの鍵もピッキングで開けたのね。それなら納得がいくわ。」

「僕にかかれば音を消すくらい余裕なのです。でも心奈が考え事してなかったらもっと早く気づかれてたかもな〜。」

「でも今の東さんのナレーションもヲタ感が出てて最高だった。」

「でもでも〜、黒髪ロングのメガネっ娘の可憐な少女なんて、心奈の見た目は相当雰囲気出てて憧れるな。」

「それを言うなら幼女のようなボクっ娘の高校生なんてのも創作物でしか見たことないんですが!」

「ねぇ心奈、身長いくつ?」

「唐突だね。148cmだけど。」

「!?」

「その顔、さては15cmは差があるな。」

「ぐぬぅ、127です。」

「21cm差とは。くッ、殺してくれ。」

「ロリの過剰摂取で心奈が危ない!」

「自覚あったんだね。」

「もちろん♡それよりそれ、何カップ?」

「Cです。お宅は?」

「AAです。」

「ぐああぁぁ」

「やめて、朝日くんのライフはもう0よ!ていうか、思ったよりCってでかいな。すごく揉めそうじゃん。くそ〜。ロリ巨乳枠やりたかったのに〜。」

「そんなにキャラ強いのにまだ欲張るか。」

「それくらいはしないと最近のメインヒロインにしてはキャラ薄いので。ところで優等生キャラの制服がミニスカなことについてはどう思いますか?」

「ラブコメなら賛成。恋愛モノなら許容。それ以外なら無しだと思う。イチャラブがメインじゃないならやめるべき。作品の邪魔になる。それよりスカートの丈と胸の大きさに相関性を見いだせるのではないかと。」

「なるほど。」

その後も早口でお互いに5分ほど語り合い、落ち着いて来たところで、本題にもどった。



※茶番終了のお知らせ



「でもさ、バレたらどうするつもりだったの?さすがにその場で告白とかはしないでしょ。」

「うん。でも簡単なことだよ。バレそうになったら飛び降りればいいから。」

これにはしばらく言葉がでなかった。それでもようやく、

「私の部屋って四階だったよね?」

と言うと、

「うん。着地ミスったら普通に骨折だろうね。そもそも上手い着地ってわかんないけど。」

「恐怖心とかどこ行ってんのよ。」

半ば呆れた顔でそういうと、キラキラした表情で

「そう、そこなんだよ。ニンゲンってのは。」

と言われた。

「ニンゲンっていうのは、感情が欠落してるんだよ。そういう突発性の精神疾患。日本での患者が異常に多いから、こんなダサい病名付いてるんだけどね。まぁ多いって言っても、日本でも0.005%くらいだよ。二万人に一人くらいかな。」

「感情がないくらいなら、もっといそうなものだけど。」

「いや、完全な欠落はニンゲン以外では確認されていないよ。それと、同じ感情が欠落するってことも前例がなくてね、だから何かあったときに対応できるように症例ごとにラベリングがされてるんだ。ちなみに私は〈furchtフルヒト nichtsニヒツ〉、恐れ無き者。それにさっきの〈weiseヴァイゼ〉っていうのは、賢者って意味。心奈の言ってた通り全部ドイツ語だよ。医学っぽいよね。でも正式な奴じゃないから、たぶん文法とかはフル無視だよ。」

「その賢者ヴァイゼっていうのは結局何なの?」

「ニンゲンの唯一にして絶対の分類法さ。〈narrナール〉、つまり愚者と賢者ヴァイゼで二つに分けてるの。これは無理やりでもなんでもなく本当に両者には明確な差があるんだ。愚者ナールは決して一般社会には馴染めない。そればかりか凶悪で猟奇的な犯罪をして、自らの地位を貶めることも多い。一方で賢者ヴァイゼは、自分の意見を殺すとか、感情を抑えるとかして曲がりなりにも共存できる。結構辛いし、病んじゃう人も多いけどね。どっちが良いかどうかは人によるけど、持っている感情はそんなに変わらない。それをどうするかに全てが懸かっているんだ。だけどもすでにその心持は決められている。病気によって。さっき僕が賢者ヴァイゼだと言ったのは安心してほしかったからだよ。愚者ナールだと理由も言わずに襲い掛かってくることがあるからね。これでも彼らを悪く言うつもりはないし、責めるつもりもない。発症のきっかけも治療方法も分からない病気の発症者を責めるのはお門違いでしょ。」

このは話していて心地よい。話そのものはあちこちに飛ぶが、聞きたいところはしっかり説明してくれる。それに差別的な意識は一切感じさせない。それでいて、いざとなったら何の迷いもなく弱者を切り捨てるであろうという一種の明快さを感じる。私の好きなタイプだ。本人は好いてくれているが、いつまた会えるともわからない。今のうちにいろいろと聞いておいたほうがいいだろう。

「他に特徴ある?」

「後は、ニンゲンは口語で『人間』と『ニンゲン』の区別ができることと、何も知らなくてもニンゲンが自分のことだってわかることかな。心奈がそうだったみたいに。でも地味だし理屈がよくわかんないよね。それよりわかりやすいのは、『ギフテッド』かな。」

「ギフテッド?何らかの才能が突出している人のことよね。」

「うん。そーそー。それであってると思うよ。ニンゲンは、それに近い感じなんだよね。頭の良さとか運動神経とか、初めて見た楽器を三十秒で演奏できるようになる人もいるよ。でもニンゲンもギフテッドだとすると、絶対2E型になっちゃうんだよね。心奈もない?心当たり。」

2E型というのは、発達障害とギフテッドを併発しているタイプのことだ。特定の分野で著しく才能を発揮するが、苦手な分野は他の人に比べてとことんできない。感情が欠落しているのだとしたら、そういうことになってもおかしくないと思った。

「発達障害っていうなら納得はできるけどね。コミュニケーション能力は無いに等しいし。あなたと普通に話せているのが信じられないくらい。」

「まあ2Eの場合は自分の才能に気づいてない人も多いからね。気にしないで。でも最後に一つ。一番大事なことを話さなきゃね。命に関わることだよ。」

「命?」

「大げさなんかじゃなく本当のことだよ。だから今からいうことは真剣に聞いてほしい。この街に、僕と心奈以外にもう一人ニンゲンがいる。しかも愚者ナールだ。そいつがこの街にニンゲンがいると気づいたみたい。いろいろ嗅ぎまわっている。正直に言って会わないようにするのは無理だ。偶然そうなることはあっても意図して遭遇しないようにはできない。だから、会ってしっまたときは、今から僕がする話を参考にしてほしい。ニンゲンのもう一つの特徴、『ニンゲン・ゲーム』について。

僕が四歳のころに、父は死んだ。過労だったんだ。母はとにかく何もしない人で、働くこともなければ家事もしない人だった。挙句取り憑かれたように毎日賭け事をしていた。生活はありとあらゆる場所から借金をすることで回ってた。使うばっかりだから、回ってたっていうのも変だけどね。その時期に僕にニンゲンの症状が出始めた。躊躇など全くせずに三階から飛び降りたり、カッターで、自分の皮膚を一枚ずつ切って、どこまでやったら血が出るか試したりしてたんだ。痛かったけど、自分について詳しくなってるみたいで、とっても楽しかった。そうしたことを続けてたら、六歳の時にとうとう精神科病院に連れてかれちゃって。そこで僕はニンゲンについて知った。でも今度は母がギャンブル依存で入院することになったんだ。当然といえば当然だね。それでなんやかんやあって児童養護施設に入ったんだ。借金は国の制度だかでほとんど無くなってたよ。そこで僕は始めたんだ。『ニンゲン・ゲーム』を。これはニンゲンが自分のエゴを押し通すためにする、誰も得しない遊びさ。ニンゲンのほとんどがやってしまう。それを防ぐためか、僕には当初その存在が教えられてなかったけど、それがかえって自制という抑止力をなくしてしまう原因になった。最初は軽いものだった。ただ他の子を驚かせて楽しんでただけ。そのくせ自分は驚かないから、ちょっとケンカになることはあったけど、遊びの範疇だった。どんなことをしたらそういう感情になるのか知りたかったんだよ。一種の知識欲。自傷行為してた時とおんなじだね。それがだんだんエスカレートしていって、驚かせるがビビらせるに。ビビらせるが恐がらすになっていた。十歳になるころには上は十八歳、下は零歳まで、全員僕に恐がらされてた。多分皆に嫌われてたな。それで施設の人に注意されるんだけどさ、反省するどころかだんだんムカついてきて、『これぐらいで恐がるほうが悪いんだ。』ってね。それで、こうなったら僕のことを注意する人を片っ端から恐がらせて注意できないようにしてやろうって。割と順調にいってたんだよね。これが。でもそれがよくなかったのかも。ある日、僕が今までやってきたどんなことをしても平然としている人がいたんだ。それでムキになっちゃて、その人の目の前で、調理室から持ち出してきた包丁で、笑いながら頸動脈を切ったの。それでこのまま救急搬送。痛かったし苦しかったけれど、さすがにこれは勝ったと思ったよ。もともと勝ち負けの話じゃないんだけどね。って呼ばれるのはそういうところなのかな。でも結局は僕の負け。完全敗北。その人は私が首を切ってから狼狽えることもなくすぐに通報して、入院してる間も毎日お見舞いに来てくれた。僕の方は一週間くらいで退院したんだけど、僕のせいで辞めちゃった職員の人とか、病んじゃった子供もいて、それで施設追い出されちゃった。でもその人は一人だけ僕をかばってくれて、次の施設も紹介してくれた。途中まで自分が面倒みるとか言ってて、さすがに遠慮したけど。それが十三歳の時で、そのあと二年は大人しくして、去年十五歳になると同時に施設出て、今は年中バイトしながら生活してるよ。」

あまりの話に、言葉が出なかった。果たしてなんというのが正解なのだろうか。そもそも正解などあるのか。何を言っても、何も言わなくても駄目な気がした。でもこの話で、彼女のこと、ニンゲンのことがいくらか分かった気がする。彼女の言うことが本当なら、私は確かに、ニンゲンだ。

「僕の時はたまたま良い人がいて、たまたま誰も死ななかった。被害は小さくなかったけどね。でも、今この街にいるもう一人のニンゲンが同じくを始めたら、何人死ぬかわからないし、何が起こるか分からない。そして、そこに遭遇した時、一番狙われるのは心奈。ニンゲンだとばれたらどういうことをされてもおかしくない。ごめんね。あんまり参考にならなかったかもだけど。ただ、ある程度の知識と、覚悟を持ってほしかった。でも、自分の命を一番大切にしてね。他の人を巻き込みたくないからって、無理なことしたら駄目だよ。」

そういうと彼女はスマホを取り出して、

「そろそろ昼休み終わっちゃうね。じゃあ気を付けてね。」

そう言って去ろうとするので、

「待って。」

と声をかけた。不思議そうに見返す彼女に、

「連絡先だけでも交換させて。何かあったときにお互いに連絡手段があったほうがいいでしょ。」

彼女はその言葉に少し目を見開き、

「こっこな~僕とのお付き合いを真剣に考えてくれてるんだね♡嬉しいよ♡」

「いや、そういうつもりじゃ――。」

「いいからいいから。ありがと。」

何がいいのかはよく分からないが、喜んでくれてるのならよかった。この少女の綺麗な笑顔を見れて、少し嬉しかった。この時はまだ、それだけだった。



 それから四日後、金曜日の放課後の帰り道のこと。私はバスで通学しているから、普段の徒歩の距離はそんなに長くない。だが今日は日用品を買い足さなくてはいけなかったので、いつもと違う道を歩いていた。正確には、駅の近くにある商店街の入り口の近くを歩いていたのである。そこで、道行く人に絡んでいる厄介な人がいた。酒でも入っているのだろうか。今は金曜日の六時を回ろうかというところ。別にそういう人がいても不思議な時間帯ではない。ただ自分は関わりたくなかったので、商店街の中に入って迂回することにした。私は知らない人と絡む趣味はないし、迷惑をかけているからと言って、注意しに向かえるほどの正義感もない。それに相手は二十代前半の男性だ。大学生の可能性もある。私はそのくらいの年の人が一番苦手だ。とにかく逃げるに限る。だが少し会話の内容が気になってしまった。人間観察は好きだ。この人が一体何をそんなにいろんな人に話して回っているのか、それだけでも聞けたらと思い、絡まれているお姉さんには悪いが、しばらくの間、あまり離れることもなく聞き耳を立てていた。

「なあ、ほんとに知らねえのか。」

「ですから、あなたが何を言っているのかよくわからないんです。」

何かわけのわからないことでも言っているのか、はたまたくだらないことでも言っているのか、とにかく聞かれても困ることなのだろう。でもこの女性、なかなか強い語気で言い返している。気が強いのか、よく絡まれるのか、どちらにせよもう少し聞いていたい。

「『人間を知らないか』なんて言われても困ります。あなたも私も人間でしょう。それとも自分が何か別のものにでもなった気でいるんですか。」

「そういうことじゃねえ。俺がそうなのはわかってるんだ。問題は、俺以外にもこのあたりにいるだろってことだ。」

いまいち話が見えてこない。自分以外のことを何だと思って…。ここで気が付いた。自分の失態に。この人がおそらくニンゲンだ。女性は人間のことを話しているが、男の方はそうでないのだ。早く離れなければ。目立たぬように。すると後ろから会話の続きが聞こえる。

「だ・か・ら、人間じゃねえって言ってるだろ!だよ。。何回言えば分かるんだ。」

確定だ。商店街に入って、できるだけ人ごみのほうに行かねば。だが、遅かった。

「もうあんたじゃ埒が明かねぇ。おい、そこの嬢ちゃん。なんか知らねえか。」

捕まった。だがやりようはいくらでもある。ばれなければいいのだ。すると早速、お姉さんが助け舟を出してくれた。

「ちょっと、子供に絡むってあなたどういうつもり。」

「うるせえな。どうみても高校生じゃねえか。受け答えぐらいはできんだろ。」

「そういう問題じゃ――。」

「そういう問題だ。時間がねえんだ。もう向こうには気づかれてる可能性がある。こっちは命懸けてんだ。」

はい。気づいてます。今必死に言い逃れを考えています。さっき気づいたが、酔っているわけではなさそうだ。まともに受け答えができるのは助かる。それでも百音が言っていた通り、危険なようだ。少なくとも相手は自分が殺される可能性があるといっている。

「なあ、嬢ちゃんは知ってるか?ニンゲン。」

嬢ちゃんなどと呼ばれる年の差ではないような気がしたがしょうがない。ここは無駄な反論をしないことだ。

「いえ、知りませんよ。人間なんて。」

問題なのは会話が成立しているかどうかではない。相手に質問された通りに答えることだ。知っているか知らないか答えるだけでいい。こういう人は、話をそらされるのが一番嫌いだ。そして『人間』という単語を出すことで、知らないこともアピールできる。

「ほう、面白いじゃねえか。なかなか胆力がある。嫌いじゃねえ。だが嘘もいけねえな。お前は明らかに知ってるやつの目だ。俺のこういう勘は当たるんだ。」

しまった。自分の勘を信用してるタイプか。こうなったら逃げることは難しい。ならば、

「分かりました。ここじゃなんですし、場所を変えて話しましょう。」

逃げられないなら、譲歩したほうがいい。それにこうすれば巻き込む人数が減る。そして、これをいいながらポケットに手を入れてスマホのロックを解除。

「この時間ならまだ大丈夫です。」

と、時計を確認するふりをしながらスマホの画面を確認してポケットに戻し、すぐさま百音に電話を掛ける。音量は最小にしてあるので、耳を近づけない限り、ばれることはない。一方制服のポケットは内側の素材が薄いので、コールが終わったタイミングが分かる。わたしの携帯は、十六回コールがあるので、そこが判断基準だ。まぁバレたらバレただ。相手の様子を見るに、堂々と言い訳すれば、見逃してくれそうだ。

「ちょっと、大丈夫なの?」

お姉さんが心配そうにしている。優しい人だ。どう見てもヤバい人との会話に、まだ参加してくれている。

「大丈夫です。どうかお気遣いなく。」

そういうと、私は男の人と歩き出した。

その時ちょうど百音と繋がった。私は、スマホの画面をたたく。

S・・・ O--- S・・・

モールス信号を使った、有名な救難信号だ。状況を察したらしく、百音もモールス信号で返してくる。

なに・-・ -・-・

にんげん-・-・ ・-・-・ -・-- ・・ ・-・-・  ちず・・-・ ---・- ・・  ひらけ--・・- ・・・ -・--

なるべく短い単語で伝えなくてはならない。長いと伝達しにくいし、ばれる可能性が上がる。これでニンゲン絡みなことと、地図アプリを開いてほしいことは伝わったはずだ。

「俺の家でいいか。」

そのとき男が言った。

「近いの?」

生意気さを演出するために、あえてタメ語にする。

「歩いて十分くらいだ。」

「いいよ。手を出してきたら殺すけど。」

「そんな趣味はねえ。」

『ひらいた』

百音から連絡がきた。

すぐさま出発地を伝える。

『かざまえしょうてんがい ひがしぐち みなみむき』

続いてルートを言う。

『ふたつさき みぎ いつつさき ひだり ひとつさき ひだり…。』

明らかに道順を覚えられないように歩いている。ふつうこんな曲がり方はしない。だが暗記は得意だ。

道のことを言うと、

「当たり前だろ。敵かも知れねえ奴に家なんか教えたくねえ。」

「じゃあ別のとこにすれば?」

「自分の家の方がいざというとき何とかなる可能性が高けえからな。てか、わかってて言ってるだろ。」

「ばれた?」

「怖いガキだな。」

今は舐められないことのほうが大切だ。隙を見せてはいけない。多少の煽りは許してもらえる相手だ。この間にも信号を送り続ける。そしてしばらくはお互いに話すこともなく、目的地と思しき場所についた。なんということはない三階建てのアパートである。この辺にはよくある感じの建物だ。そこの階段を上って少し行った先。205号室が彼の住まいであった。彼は私を家に入れると、まっすぐリビングに連れて行った。といっても他に部屋などない。キッチンとバスルームがあるだけである。トイレもそこにあると思われる。そんなことを百音に伝えていると、話しかけられた。

「狭い部屋で悪いな。まぁ掛けてくれ。」

そう言われた私がソファに腰を下ろすと、男も隣に座った。他に椅子がないので、当然である。

「嬢ちゃん、名前は?」

「朝日心奈。15歳。あなたは?」

菅野すがの大樹だいき。24だ。」

「長々と話してもしょうがないし、単刀直入に聞くぞ。お前、ニンゲンなのか?」

「ええ、でも病院に行ったわけじゃないから詳細は人伝ひとづてに聞いただけよ。自分に何が無いのかも分からないし。」

「人伝に聞いた?この街にもう一人いるってことか?」

「どうでしょうね。それよりあなた、自分で命が危ないって言ってなかった?もう一人を気にしてる場合?」

「いや、お前賢者ヴァイゼだろ。さすがにすぐには殺しに来ねえ。」

「意外と賢いのね。愚者ナールって聞いてたんだけど。」

「やっぱ俺のこと知ってるやつと繋がってたのかよ。どこまで知ってる?」

「それだけよ。知ってたらもっと警戒してたわ。」

「それもそうだな。情報の礼に俺からも一つ教えてやろう。愚者ナール賢者ヴァイゼにも個人差があるんだ。俺は愚者ナールだがそんなに強く影響が出てねえ。ただ、それでもお前らと仲良くはできない。だから話せるうちに話したいんだ。これが生きて話せる最後の時かもしれないからな。」

「その様子だと、殺したことがあるのね。あなた。」

「二人だ。どっちも人間で、いい奴だった。だが俺ともう一人の愚者ナールのゲームに巻き込まれて死んだ。そしてそのニンゲンには逃げられた。状況的に事故だと判断されて、俺は警察にいろいろ聞かれるだけで済んだ。」

「そう。」

私は何を言えばいいのか分からなかった。何も言わないのが正しいのだろう。百音の時もそうだったが、幸せに生きてきた私には、何もできない。

「出来ることならお前も殺したくねえ。だがなんだろうな。こう、強迫観念みたいなものがあるんだ。俺以外のニンゲン。俺を否定しようとする全ての奴を殺さなくちゃいけねえ気がするんだ。たとえお前が子供でも、その気がなくともな。」

「分かった。じゃあ始めましょ。」

「俺は〈ehrgaizエアガイツ nichtsニヒツ〉向上心の喪失。ここでお前を殺せば、俺は何も失わない。」

「向上心の喪失、なるほど。大変なものを無くしたものね。」

「ゲームのルールはわかるか?どんな手段を使っても、おのがエゴを押し通す。つまり今この状況では、相手を黙らせた方が勝ちだ。」

「ありがとう。あなたがそのつもりなら、私はあなたが止める。私にはあなたの気持ちも分からないし寄り添うことも出来ないけれど、これ以上あなたをが堕ちるのを見てられないから。」

そう言い終わる前に、菅野大樹は、ナイフを出して襲い掛かってきた。一先ずソファから飛びのき、最初の攻撃をかわす。振りかぶり方が分かりやすい。私でも避けれるのだから、本当に事故でしか人を殺したことがないのだろう。続いて二回目の攻撃を避け、私は自らのリュックサックを投げる。そこそこの大きさと重さ。ナイフ片手にとっさに反応できる攻撃ではない。案の定、左手で払いのけようとして、その重みで体勢を崩す。その隙に、学生鞄を開け、教科書類を取り出し、これまた続けざまに投げつける。平たく重いため、受け止めたり払ったりするのが難しい。角がまともに当たれば、そこそこ痛い。それがなくなると、鞄を投げる。そして、今度は三度目の攻撃を避ける。玄関のほうに逃げるのは悪手だ。ドアを開ける隙に攻撃される。かといって防戦一方のこの展開を続けるわけにもいかないし、打開案もない。今はただ、百音が来るまでの時間稼ぎをするので手一杯だ。あと何分かかるだろうか。会話で数分経ったが、道をそのまま伝えただけだし、どんなに早く場所を突き止めてくれたとしても、それは私がここに着いたあとだ。それに百音がここからどれくらい離れた場所にいるかもわからない。もしかしたら1時間以上かかるかもしれない。そこまで長くは持たない。外からの救助を待ってばかりではいられないのだ。攻撃は出来ない。刃物相手に素手で立ち向かえるような戦闘技術は持っていない。もちろん一通りの護身術は知っている(これもヲタクを目指すが故である)が、当然実戦経験は無い。例え武器を持っていたとしても、やはり素人、お互い凄惨なことになりかねない。トイレに立て籠もるという手段もあるが、突破されたらそれこそゲームオーバー。そもそも、そっち側の構造は把握していないので、やるとしたら賭けになる。体力が無い私は、長期戦になるほど不利だ。これは駄目かもしれない。だが、やるだけやってやろうと思ったとき

『ガチャ』

「心奈、来たよ!」

「増援?鍵を開けたのか?だがいい。ドアチェーンがある…………入ってきたのか!?」

「残念。チェーンの防犯性能は君が思ってるより低いんだよ。輪ゴム一つで簡単に開けられる。常識だよ。まあ僕は手で開けられるんだけどね。」

「お前がもう一人のニンゲンか?丁度いい。死んでくれ。俺のために。幼児が何人来たところで状況は変わらねえ。」

「幼児じゃないよ!それに僕は、惚れた子以外の頼みでは死ねないな。」

そういいうと、彼女はナイフを振りかざす男のことなど気にも留めずに、真っすぐ蹴りを繰り出した。それと同時に私は、

「百音、危ない!」

と叫ぶ。事実相当に危険な行為であった。彼女は、男のナイフの軌道上に突っ込んでいったのである。だが彼女は、一瞬笑みをこぼしたかと思うと、襲い来るナイフを左手で受け止め、綺麗に蹴りを入れた。

「ご、ほっ…。手のひらのけがを気にしてないのか?覚悟が違う。経験の差だな。」

「そう気を落とさないで。僕は恐怖心がないだけだよ。それより心奈、見た?僕が華麗にみぞおちに決めたハイキック。」

「中々のパワーワードね。でもそんなこと聞いている場合じゃないでしょ。」

「それもそうだね。手も痛いし、一先ず縛るか。」

「簡単にやられるわけには…がっうげ。」

「変な声出さないで黙って縛られてよ。一発でかいのをもらった時点で君の負けだから。」

そういいながら百音は結束バンドで手足を手際よく縛る。普段から持ち歩いているのだろうか。

「心奈、大丈夫だった?怪我とかしてない?」

「私はいいけどあなたは大丈夫なの?」

「これくらいへーきへーき。浅くしか切れてないから。それより、どうする?これ。」

そういって、さすがに戦意をなくした様子の男を見やる。

「警察は呼んだの?」

「呼ぶわけないじゃん。せっかく心奈にアピールするチャンスなのに。それに一回やったことあるけど、関係者への取り調べって長いんだよ。というわけだから、今ならとりあえず何でもできるよ。」

「好きにしてくれ。嬢ちゃんたち。これでも悪いとは思ってるんだ。」

「そう。じゃあもういいわ。拘束ときましょ。」

「え、いいの?」

「ええ。別にどうしたいわけでもないし。戦意がないならいいわ。」

「どういうことだ。さすがにお人よしが過ぎるぞ。嬢ちゃん。」

「そういうのじゃないわ。ただ自分が何者か分かっただけ。」

そう、私が失ったもの。それは私でも知っているドイツ語だった。

「〈liebeリーベ nichtsニヒツ〉愛を知らず。それが私。ならせめて慈悲を持って生きたい。そういうわがままよ。」

「いいの?愛無き慈悲は身を滅ぼすよ。」

「だとしても、私は、そうありたい。」

「分かった。君もそれでいいね。」

「俺がどうこう言えることじゃねえが、ありがとな。」

「ただし、つぎ心奈に何かしたら殺すからね。」

「ああ、肝に銘じておく。」

そうして私たちは帰路についた。あれからここまで、一言も話していない。すると百音が話しかけてきた。

「いや~、やっぱり心奈は天才だね。」

「何が?」

「え、だってあいつの攻撃避けてたんでしょ。普通にすごいよ。」

「でも予備動作がすごく分かりやすかったし、攻撃もそんなに速くなかったよ。自分だって簡単に受け止めてたじゃん。」

「いやいや、戦闘経験の差があるでしょ。どう考えても。普通予備動作なんてわかんないし、わかってもそこから避けるとか無理だから。」

「でも私、体力・運動神経共に皆無だよ。」

「だからすごいって言ってるの。心奈でも避けれるくらい前に分かるってことでしょ。肝心なときに察しが悪いなぁ。ま、予備動作の知識に関してはヲタ活の賜物だね。」

「確かに。ますます力が入りますな。」

「ふふっ。ところで心奈、一つ聞いてもいい?」

「いいよ。」

「心奈はどうしてわかったの?自分の無くしたもの。ないものに気付くのは難しいから。」

「ただ、気づいたの。私のに。」

「そっか。気が向いたら話してね。それだけでも、楽になると思うから。」

彼女は心に抱えることの重さを知っているのだろう。そう思うと、これからやろうとしている自分の傲慢な行いに腹が立つ。でも彼女には言っておきたかった。

「今話してもいいかしら。」

「もちろん。」

「私は小学生の時に母の実家のある離島に移り住んだのだけど、これがどうしてなかなか、いい人達ばかりでね。自分から何も話しかけられない私にずっと優しくしてくれるの。けど、そうされても、嬉しくも何ともない自分がいて、それだけなら薄情で済むのかもしれないけれど、そうじゃ無かった。なにも思わないの。人に何かをされても、感謝もするし、好き嫌いみたいなのはあるけど、それ以外は何もなくて。だから、他の人みたいに振舞うように演技してみたんだ。自分がおかしな人間だと認めたくなくて、気づかれたくなくて。そしたら分かったの。自分はただ感情が薄いだけだって。そのうち演技なんかしなくても、ちゃんとわかるようになってた。でも中学生になって、まだ完璧に自分の感情を調べられてないことに気付いたの。それが愛。中学生に入って、そういうことを聞くことが増えたから、私も調べてみようと思ってね。二年生の終わりごろから演技を始めた。クラスでもなかなかの人気者に、恋したふりをしたの。彼は一般的には十分イケメンと呼ばれてもいいくらいの顔のよさだったし、私ともそこそこ会話があったから、自然に思わせられると思ったの。あと、彼を選んだ理由は、どういう展開になっても、一番気が楽だったから。私も彼も。まず彼は一つ上の先輩の彼女がいて、成り行きで彼氏彼女の関係になることはほぼ確実になかった。その先輩とも三年は続いてたって話だし。それと、私は彼のことがどちらかといえば嫌いだった。もちろん私なんかに比べたら十分いい人だったけど、少し差別的なところがあってね。少なくとも異性では一番嫌いな人といってもよかったよ。そういうわけで始めたの。最初はその人を見る頻度を多くしたりとか、少し口角を上げたり、声をほんの少し高くしたり、そういうところから始めていった。これでも結構大変だったのよ。自分が感じたことのない感情を再現するために、いろいろ調べたわ。そうしてだんだんわかりやすくなるようコントロールしていって、けどなかなか気づかれなくてね。けどとうとう聞かれたの。「好きな人いる?」って。クラスの一人にね。どうやらあまり期待もせずに聞いたみたいだけど、私が少し返答に困ったふりをしたら、食いついてきてね。何人かの女子と男子に質問攻めにされたわ。今までそういう話がなかった分、面白かったのでしょうね。その中に彼もいた。そして私は彼だけに伝えることに成功した。そのあと交流のあった男子数名に話したわ。女子だと面倒くさそうだし、男子は割と仲良くしてくれる子が多かったから。こうして一部の人間に、完全に信じ込ませた。でも三年生の十二月を前にして、想定外の事態が起こった。その子が彼女と別れたの。正直驚いたけど、チャンスだとも思った。告白する経験なんてなかったから、一度試しておこうってね。幸い彼女は私に全く気がなかった。それくらいのことが分かるくらいには、恋について学べたつもりよ。そして告白して、保留という体のいい文句で振られたわ。正直万が一了承されたらどうしようと思ってたから、安心したわ。結局愛も恋心も分からずじまい。それだけならよかったのよ。誰のことも恋愛対象にならない人なんてたくさんいるもの。けど気づいたの。自分が家族すら愛していないことに。母親や妹にも、そういう感情が一切ないことに。感謝、憧れ、庇護欲。そういったことばかりで、一切愛していなかった。それに気づいてからは、また演技の感情に戻ってね。今も自分の本心が何なのか分からないの。おかげでコミュ障が加速したわ。これが私の話よ。」

「そっか。僕にいろいろと話してくれてありがとね。でも想定よりだいぶ早めに失恋しちゃったな~。まさか愛がないなんて。」

「あら、どうして勝手に失恋したことになってるの。」

「え?」

「まだ答えてないでしょ。それを言いたくてこのことを話したんだから。

私まだ諦めてないから。愛を知ること。知識欲舐めないで。治療法が分からないんなら探せばいい。まずはその第一歩として私と付き合ってくれない?東百音。仮初の愛でよければ。」

「うん。ありがと、心奈。じゃあ正式によろしくね。でもうれしいな。呼び捨てで呼んでくれるなんて。どういう心境の変化?」

「さっき呼び捨てで叫んじゃったからそのままの流れよ。」

すると彼女はニヤニヤしながら、

「僕がいっぱい教えてあげるね。愛。ではまず初めに……」

そういったのもつかの間、一気に抱き着いてきた。

「僕は世界で一番幸せなニンゲンだよ~。」

世界一幸せ。百音になら、その座を渡してもいいと思った。一先ずはかえって休もう。少なくとも今だけは、世界で一番幸せな二人なのだから。

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ニンゲン・ゲーム 桐絵 妃芽 @hime_kilie

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