第11話




 山麓から続く曲がりくねった道を進んだ先に辿り着いたのは古びた社。

 鬱蒼とした木々の中、円形上に土地が切り開かれ、その中心に小ぶりな天守のような社がでかでかと鎮座している。

 そして、そこには階段状の向拝に腰掛ける鬼達の姿がある。

 

「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ。」

 

 低い声を響かせたのは長く伸びた灰髪を後ろに流した巨躯の鬼。

 立派な髭を蓄えた厳しい顎に巌のような拳を添え、ヘラクレス像のような筋骨隆々の身体を気だるげに丸めている。

 傍らにいる白髪の髪から短い角を覗かせた女性にも我関せずな態度だ。

 

 (鬼なんだよな?)

 

 正直、想像していた鬼の姿とは異なり、面食らってしまった。

 鬼というから赤い肌の身の丈を超える異形を想像していたが、彼らの姿は人と何ら遜色が無い。

 その差などただ角があるか、無いかぐらいのものだ。

 

「ん、それは?」

 

 もしかしたら分かり合えるかもしれない。

 そんな楽観は灰色の眼光を向けられた時、すぐに消し飛んだ。

 

 (っ!?)

 

 ぞわりと悪寒が背中に駆け巡り、肌が粟立つ。

 意識を向けられて初めて気付いた。

 嵐のように荒れ狂う、強大で、禍々しい霊力の気配。


松木や隼影から感じる秩序立った霊力とは正反対の気配だ。

 もしも、誤って彼の逆鱗に触れてしまえば、即座に死が訪れるに違いない。

 

「私が『禊の泉』で体を清めている時に現れた人物です。儀式に何らかの影響があるかもしれないので、同伴して貰いました。」

 

 そう紹介しながら、一歩、前に出る。

 恐らく、蛇に睨まれた蛙みたいに動けなくなった俺を庇ってくれたのだろう。俺の安全を保証すると約束したから。

 律儀で良い奴だ。

 ただ、その気遣いが無性に恥ずかしかった。

 

「ふむ、確かに大蛇山にまつわる霊力の波動を感じる。」

 

 巨漢の鬼は身を乗り出し、顎髭を擦る。

 無遠慮な視線が頭のてっぺんから足の爪先まで順繰りに移動する。丁度、一周すると、鬼は小馬鹿にするように鼻を鳴らし、前屈みだった上体を後ろに倒す。

 

「だが、問題はなかろう。女子おなごの背に隠れて、安堵するような軟弱者が出来ることなどたかが知れている。」

 

 隠すことの無い侮蔑にかっと身体が熱くなった。

 眉間に力が入り、拳を痛いほど強く握る。俺は間違いなく怒っていた。

 それは恥をかかされた事への赫怒かくどでもあったが、同時に不甲斐ない自分への憎悪でもあった。

 

「気を落とさないで下さい。彼と会って、そうならない人の方が珍しいですから。」

 

 鬼が関心を失って、怠けている合間に、小声で結花が励ましてくれる。

 そのフォローに煩瑣な感情を抱きつつも、一先ずは彼女の言葉を飲み込んだ。

 

「そうさせてもらう。それでアレが例の伊吹丸なのか?」

「はい、男性の方が伊吹丸。女性の方は彼の妻の茨です。」

「・・・・・一人じゃなかったのか。」

「えぇ、彼女を含め、百人近くの鬼が彼の元にいるそうです。しかも、その全ての鬼が彼に対して絶対の忠誠を誓っているとの事。実際、伊吹丸がここに封印されてから二百年近く経っていますが、誰一人として彼の元から離れていません。」

 

 大した忠誠心だな。人間ならとっくに仏になってる。

 一瞬だけ攻撃的な思考が脳内を犯す。

 しかし、それも束の間の事だ。すぐに理性が働き、通常通りの思考に戻って、彼女の発言の違和感を見つけた。

 

「封印?」

「なんだ知らんのか。」

 

 小馬鹿にする声が会話に割り込んでくる。

 苛立ち交じりに伊吹丸の方を向くと、奴は心底呆れた様子でこちらを見つめていた。

 

「桐生家の当主は代々、己が命を捧げて、『身削ぎの儀』を行い、儂をこの大蛇山に封じ込めてきた。今回、ここに集まったのも、一ヶ月後に迫る儀式を成功させる為の最終確認だ。」

 

 はぁ?何言ってんだ、こいつ。

 身も蓋もないが、それが正直な感想だった。

 もしかしてと思い、何度も伊吹丸の発言を反芻してみるが、やはり理解出来ず、頭上に疑問符を浮かべる。


「いや、意味が分からん。だって、そうなると、お前は自分を閉じ込めてる奴の手伝いをしようとしてることになるんだぞ?」

「その通りだとも。」

 

 伊吹丸は大いに頷いた。

 

「呆れたことに二百年もの間、こいつらは同族を捧げ続けながら、儂をここに閉じ込めてきた。その不断の覚悟と信念には一抹の敬意を払わねばなるまい。」

 

 スポーツ選手が対戦相手を讃えるように、長く憎み合っていた仇との間に友情が芽吹いたみたいに、伊吹丸は清々しい声音で言い放った。

 

「それ故に最後の末裔には有終の美を飾ってもらうと考えたまでよ。」

 

 時が止まった。

 あらゆる音が掻き消え、あらゆる感情が凍り付く。

 その刹那の絶句はただ一つの事実を受け入れる為の準備期間であった。

 ゆっくりと振り返り、結花の方を見る。

 

「お前、死ぬ気なのか?」

 

 抑揚の抜け落ちた声で尋ねる。

 この時になって漸く、生贄に捧げられるのが結花である事を悟った。

 

「・・・・・」

 

 返事は無い。

 ただ憐憫を湛えた紫紺の双眸がそこには有る。

 俺は無性に腹が立って、勇み足で彼女に詰め寄った。

 

「なんだその目は!俺じゃなくて、自分の事を心配しろよ!死ぬんだぞ!?嫌じゃないのか!?」

 

 華奢な肩を掴み、考え直せと大きく揺さぶった。

 されど、彼女の心には響かない。ただ一時の賑やかしに怒号が過ぎ去っただけだ。

 

「嫌では有りませんよ。私はこの『儀式』のためだけに生まれてきたのですから。」

 

 瞬きの後に憐憫は消え去り、覚悟の光が輝く。

 左右に振られた鋭利な顎先、力強い声音。

 ぐっと背筋を伸ばし、大きな胸を張る。そのなんて事の無い所作から生じた力で迫る俺を押し返す。

 

「もしも、彼が解放されれば無辜の民の命が多く失われます。そして、その被害を真っ先に被るのは唐傘村の人々でしょう。それを防ぐ為なら私は喜んで、この命を捧げます。」

 

 凛然と立ち向かう結花の姿は高潔で有り、その献身は間違いなく本物である。

 だが、彼女の心意気の全てが薄っぺらい。


「だけど、それは領主としての義務感からだろ!そんなものが命よりも大事なのか!?」  

 

 それもそうだろう。

 彼女の自己犠牲は、民への愛情からではなく、自らの職責から来るものに過ぎない。機械的に為すべきを為しているだけであり、そこには人間の醜い欲望というものが一切、含まれていない。

 これを偽善と呼ばずして何と言う。子供が親の語る綺麗事を口にしているのとまるで変わらないではないか。

 

「お前も分かってるだろ!二百年以上も続いていて、ここに住む人が儀式について、一人も気付かない訳が無い!」

 

 いや、寧ろ気付いているに決まっていた。

 一定期間毎に当主が不自然に居なくなり、悪名高い鬼が沈静化しているのだから。

 その上で黙認していたのだ。自分達が鬼に襲われたくないがために。

 心が籠らぬのも道理だろう。

 そんな奴らを愛せという方が難しい。

 だからこそ、そんな卑怯者の為に死にたくない、と結花が口にする事を俺は望んでいた。

 

「・・・・・だから?」

 

 しかし、その思惑も虚しく外れる。

 綺麗事だと怒鳴り返すと、結花は困惑して首を傾けた。まるで何を言っているのか、理解出来ないというように。

 伊吹丸と出会った時とは、また異なる怖気が立ち、俺は声を失う。

 

 (そうか、ここまでするのか。『儀式』の為に生まれさせるというのは。)

 

 家畜とは、その身の有用性だけでなく、凶暴性や従順さなどの精神性を含めて初めて成立する。

 彼女も同じだった。

 徹底した教育によって、それが正しいのだと、規範を疑えなくされ、命だけでなく、精神さえも弄ばれている。

 

 (虫唾が走るな。)

 

 カチリと頭の中でスイッチが切り替わる音が聞こえた。

 胸の内で燻っていた黒い炎が熱を持ったまま固まり、腹の底へと落ちていく。

 芽生えたのは明確なる敵意。

 生まれて初めて誰かの事を本気で傷付けたいと感じている。

 それも、命を冒涜した事への義憤からではない。

 生きる意味を教えてくれたと感じている恩人に、死ぬ為だけに生まれてきたなんて言わせている全てのものへの憎悪故にだ。

 我ながら身勝手な動機だ。

 

 (全部、ぶっ壊してやる。)


 それでも強烈に抱いた感情を操る術を知らなかった。

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