第10話


 

 

 風邪で倒れてからまた一ヶ月の時が過ぎようとしていた。

 あの日、溜め込んでいたものを吐き出したお陰か、体調はあっという間に良くなり、それどころか以前よりも壮健になった気がする。

 これを怪我の功名と言っていいのか分からないが、そういう訳もあって、今日も今日とて鍛錬に勤しんでいた。

 

「ふっ!」

 

 短い呼気に合わせて、木刀を振るう。

 ひゅっと風切り音が鳴り、鋭い軌跡を描く斬撃が結花に襲い掛かる。

 彼女はそれを後ろに下がって躱し、立て続けに放たれた斬撃を手に持つ木刀でいなす。

 物理法則の軛から解き放たれた攻防は音速に近しい速度で行われ、甲高い剣戟の音を連続させる。

 その間の攻撃の主導権は俺にあり、彼女はこちらの出方を伺うように防勢に徹していた。

 

「っ!?」

 

 攻防の主導権が切り替わったのは俺が木刀で大きく切り払った時だ。

 彼女はひらりと宙にその身を舞わせ、攻撃を回避する。そして、月面宙返りムーンサルトのように身体を捻りながら反転し、俺の肩口目掛けて木刀を振るう。

 

「危ねぇ!」

 

 咄嗟に身を逸らし、何とか事なきを得たが、こちらを捉える冷静沈着な双眸を思い出し、脂汗がじわりと浮かぶ。

 それでものんびりと戦慄している暇など戦闘中にはない。

 すかさず振り返り、追撃に出てきた結花を迎え撃つ。

 しかし、体勢の違いから彼女の優勢は覆らない。必死に食らいつくが、突き飛ばされるような形で千載一遇の隙を晒してしまう。

 

 (やばい!来る・・・・・!)

 

 その確信の通りに結花は木刀を腰に溜めた。

 霊力による戦闘訓練をするようになって、何度も俺を叩きのめしてきた彼女の得意技、居合だ。

 結花の持つ静謐とした霊力が木刀へと集中する。

 次の瞬間、彼女の腕は掻き消え、音さえ置き去りにする神速の一閃が俺の体を捉えた。

 

「ぐはっ!?」

 

 鯨波の勢いで弾き飛ばされた俺は何度も床をバウンドし、真反対の壁にぶつかって停止する。

 

「っ〜〜!!」

 

 霊力で防いでもこの威力か!?

 当たった場所に霊力を集中させて、擬似的な受身を取った上で、敗北を喫せざるを得ない強烈な一撃に、身を捩りながら悶絶する。

 

「霊力での防御もこの二ヶ月で随分と上手くなりましたね。」

 

 構えを解き、こちらまで歩いてきた結花がこなれた様子で皮肉を口にする。薄々、気付いていたが、彼女は存外に冗談や皮肉を好む。

 割合、楽しいからという理由でタメ口を求めたのも嘘では無いのかもしれない。

 

「そりゃあ、こんだけ打ちのめされてればな。」

 

 何にせよ心を開いてくれていると嬉しいことだが。

 よろよろと起き上がりながら、呻くように減らず口を返す。

 すると、結花はにこりと笑って言う。

 

「その様子ならもう少し続けても大丈夫そうですね。」

「冗談だよな?」

「はい、冗談です。少し早いですが、今日は予定もあるので、この辺りにしておきましょう。」

 

 予定がなんなのかは言わずもがな、例の鬼と会う約束の事だ。

 今晩、唐傘村の近くにある大蛇山で顔を合わせる事になっている。

 何が目的なのかは正直、まだ良く分かっていない。ただ、結花が俺を騙して、鬼に食わせようとしているという可能性はゼロに近い。

 その一番の理由は、この霊力の鍛錬そのものだ。

 二ヶ月間、触れて分かったが、霊力を使えば常人を遥かに上回る力を手に出来る。それこそ、これだけあれば生きていけるんじゃないか、と錯覚してしまう程に。

 そんな力を与えてしまえば、当然、脱走のリスクは高くなる。

 もしも騙す気ならそんなリスキーな選択を取る必要が無い。家畜のように偽りの平穏を与え、十分な時が経てば命を刈り取る。それだけだけで良い。

 それに彼女の指導には俺が独り立ち出来るような細やかな心遣いがあった。

 俺はそれを信じたいと思うし、それで騙されたなら、それはもう仕方ない。恩人を信じて死ねた事を誇りにして、大人しく鬼籍に入るとしよう。

 朝の訓練を早めに切り上げ、それぞれのやるべき事に従事しながら、夜の訪れを待つ。

 

「今日は良い月夜だな。」

 

 夜が来ると、俺達は軽い荷物を纏めて、村を発つ。

 天に広がる黒の帆布キャンバスの中、星々の光を跳ね除け、太陽のように振る舞う満月。その光り輝く威容は圧巻の一言であり、かつて見た月の美しさなど叢雲に霞んでしまったみたいだ。

 

「えぇ、とても風情がありますね。無念なのはこの美しさを表現する術が私には無い事です。風流人であれば詩の一句でも詠めたのですが。」

「俺もだよ。月に叢雲とか、駄目な例しか頭に浮かばない。」

 

 月に叢雲、花に風。

 好事には邪魔が入りやすいという意味だ。

 ついつい、井伏鱒二の名訳、『花に嵐の例えもある。さよならだけが人生だ』を思い出してしまう訳だが、今の俺はこの言葉が好きではなかった。

 昔はこの儚い表現に惹かれて好きだったのだが、生きる活力に満ちている今の俺は無性に否定してやりたい気持ちになっていた。

 ちょっと複雑な気持ちになりながら月を眺めていると、ふと何かに足を取られた。

 

「っと。」

 

 すぐに態勢を立て直し、転ばずに済んだが、危ういところだった。

 振り返ってみれば、地面には拳一つ分くらいの穴が空いている。

 いや、それだけではない。

 夜闇の暗さで分かりにくかったが、幅の広い街路の至る所にでこぼこが散見出来る。

 

「この街道は暫く整備されていないので、足下に気を付けてください。」

「そうさせてもらうが、どうして整備しないんだ?この道、大海おうみの国との一本道だろ?整備した方が経済的な恩恵を受けやすいと思うが。」

 

 大海の国というのは、日出国にある令制国の一つだ。

 この異世界では律令制が採用されていて、複数の令制国が存在する。それを様々な領主が分割して治め、中でも周辺の領主達を従わせるぐらい勢力の強いものが大名と呼ばれる。

 現代風に言うと、一つの県の中にさまざまな市や村が有り、その一つ一つを市長なり、村長なりが治めていて、それ等を束ねるのが大名みたいな感じだ。

 そして、現在、俺が住んでいる唐傘村は、岐阜県にあたる龍尾の国の最西端に位置し、滋賀県にあたる隣国と非常に近い場所にある。

 軍事侵攻のリスクがあるが、隣国との交易を行うには悪くない立地だ。

 それに書物によると、唐傘村より北は大蛇山から成る山脈が連なってるから、街路が山道な上に隘路あいろで大規模な物の流通に不向きらしい。

 見た感じ、この街道は道幅は広いし、傾斜も緩やか。

 ここを整備し、適切な法整備を進めれば、唐傘村は一気に経済発展することが可能だと思う。

 なので、余計にそうしない理由が謎だった。

 

「この大蛇山には鬼がいるからですよ。それも並大抵の力ではない。」

「それって──」

「えぇ、これから会う伊吹丸の事です。」

 

 隠し立てする素振りもなく、実直に頷く。

 そして、愕然とする俺に向かって、滔々と言葉を続けた。

 

「かの鬼は、百鬼夜行を率いて、京の都を幾度となく襲い、人々の生活を脅かしてきました。五百年前に一度だけ討伐隊が派遣されたそうですが、結果は惨敗。国一番の英傑達と万の軍勢が一方的に蹂躙されるだけに終わったそうです。」

 

 まるで古文書でも読み聞かせるように紡がれる声。

 にかわには信じ難い内容であるが、現状を整理すればするほど、真実味を帯びてくる。

 さっきも言ったが、唐傘村は経済成長の可能性を秘めている。

 言い換えるなら、大きな利権であるという事だ。

 それこそ、スエズ運河のように通行料を取るだけでもかなりのお金が手元に入ってくるはず。

 なのに、放置されているという事は、手に負えない問題がある良い証拠だ。

 

「それ以来、人々はおろか、鬼や妖怪でさえ、かの鬼を畏れ、大蛇山の近くには来なくなりました。」

「だから、街道の整備も疎かになったのか。」

 

 人がいない地域は自然と衰退する。

 これはこの時代に限った話ではない。

 現代社会の日本だって人口が少なくなった村はインフラ整備が行われなくなり、自然消滅の危機に晒されている。

 それを考えれば、この街道の有様も納得だった。

 

「それにしても、これからそんな化け物と会うことになるのか。」

「恐ろしいですか?」

「どうだろ。危険だとも思うが、お前が無策でそんな相手と会うとも思えない。」

 

 それに気になっていることがある。

 態々、京都を襲うような鬼が、どうして近くにある唐傘村を襲わないのか。普通なら真っ先に襲うはずだろうに。

 思案を巡らせるが、穴の空いたパズルに答えは出ない。

 ただ、ちらりと結花の方を窺った時、彼女が何時ぞやと同じように俺の手を引いたことが無性に気になった。

 

 

 

 ◇

 

 


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