第8話






 

 目を覚ますと、俺は布団の上に寝そべっていた。

 畳の香りが鼻腔を擽り、ここが元の世界ではないことを伝えてくる。

 ふと俺以外の霊力の反応を感じ取り、そちらへと顔を向ける。

 そこには片膝を立てて、柱にもたれ掛かる若武者の姿があった。室内にも関わらず灰青色の甲冑を身に付け、猛禽のように鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

 その異様な格好に一瞬、ぎょっとしたものの、彼に敵意があるのならば俺は既に死んでいるという事に気付き、気を落ち着ける。

 ゆっくりと身を起こし、胡座になると、意を決して尋ねた。

 

「・・・・・申し訳ありませんが、どなたでしょうか?」

「ふん、霊力の区別も出来んのか、貴様は。」

 

 顔を背け、小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 その憎まれ口には馴染みがあった。

 

「まさか、隼影か!?」

 

 大きな驚きをそのまま声にすると、喉に鋭い痛みが走り、ごほごほと大きく咳き込んだ。身体が思い出したようにかっと熱くなり、吐く息が重い。

 

「単なる風邪で大袈裟な。よもや体調管理すらまともに出来んとは、つくづく呆れたぞ。」

 

 風邪、俺が。

 この数年間、病とは一切、無縁だったので、少なからず衝撃を受ける。同時に今日までの生活を振り返って、さもあらんと納得してしまった。

 毎日、朝は過酷な鍛錬で技を磨き、昼は情報収集や普及活動に力を注ぐ。夜は寝る間を削って、書物を読み耽る。

 こんな生活を続けていれば、いずれ限界を迎えるのは自明であった。

 

「・・・・・すまん。」

「軽い謝罪だな。だから、すぐに謝れる。」

 

 辛辣な物言いで俺を責め続ける隼影。

 彼がこうも怒っているのは、領主の仕事もあり、忙しい結花の時間をいたずらに消費したことへの義憤だろう。

 実際、俺の体調管理が行き届いていないせいで、迷惑を掛けたのは事実だ。

 俺は何も言い返せず、俯いて臍を噛んだ。

 彼の非難を浴び続けることが、胸に巣食う罪悪感をあがなう唯一の方法だと思えたのだ。

 

「隼影。」

 

 しかし、底冷えした声がそれ以上の非難を許さなかった。

 戸がさっと開かれると、氷像のようにあらゆる感情を凍てつかせた結花が現れる。意表を突かれた隼影の姿を映す紫紺の瞳には、凍てつく冷徹の青と燃え盛る憤怒の赤が渾然一体となって宿っていた。

 

「それ以上の誹謗は許しません。」

 

 華奢な肉体から放たれる剣呑な霊力が決して嘘ではないと物語っている。

 これには堪らず隼影も口を噤んだ。

 結花は隼影に一瞥だけ向けた後、口も利かずに俺の近くへと。

 そこに正座し、粛々と謝罪を口にした。

 

「申し訳ありません。お身体が良くないのに、このような心無い言葉を聞かせてしまって。」

「いや、良いよ。俺の体調管理が出来てないのは本当の事だし、迷惑をかけたのも本当のことだ。こっちこそ悪かったな。態々、時間取ってもらってるのに。」

「いいえ、それを含めて、私の責任です。貴方がどれだけ無理をしているのか分かっていた筈なのに。」

 

 暗にこれで手打ちにしようと和睦を申し出るも、結花は沈痛げな表情で首を横に振る。そして、つらつらと俺の秘密を並べ立てた。

 

「慣れない土地で身寄りもなく、頼りに出来る縁もなく、有るのは独り立ちには短過ぎる三ヶ月の猶予だけ。その間に貴方はありったけの知識と経験を詰め込まなければならなかった。」

 

 知識が無ければ、騙されてしまうかもしれないから。

 力が無ければ、奪われてしまうかもしれないから。

 常識が無ければ、弾き出されてしまうかもしれないから。

 可憐な唇から紡がれる言葉が心の奥深くにしまい込んだ恐怖をあばてる。

 まるで鋭いナイフで胸を貫かれたようだった。

 その一言一言に俺は言葉を詰まらせ、何も言えなくなってしまう。

 

「だから、貴方は寝ることさえ忘れて、行動し続けた。足を止めた時、ふと訪れる恐怖から逃れるように。それがどれだけ辛くても、苦しくても、辞めることも、打ち明けることも出来なかった。貴方が頼れるのは我が身しかないのだから。」

 

 気付けば、俺は涙を流していた。

 落ち着いた語り口に合わせて、目頭が熱くなり、透明な雫が堰を切ったように溢れていく。

 誰にも弱みを見せるべきではないと理性が訴えているのに、丸裸にされた心が言うことを聞かない。

 知られたくない弱音は誰かに受け入れてもらいたい本音だった。

 

「その事を理解していた筈なのに、しっかりと手網を握ってあげられなかった。指南役として恥じ入るばかりです。本当に申し訳ありません。」

 

 彼女の膝の上に置かれた白い拳にぎゅっと力が籠る。

 まるで自分自身を責め立て、罪悪感に押し潰されそうになっているみたいだ。

 

「違う。」

 

 うつむき加減に項垂れる結花を見て、反射的に呟いた。

 差し向けられた許しを乞うような視線を、首を横に振って否定し、震える声で秘め続けた本心を吐露する。

 

「そんな顔をしないでくれ。全部、お前のお陰なんだ。あの日、お前が助けてくれたから、俺はまだ生きていたいんだって気付けた。」

 

 それまでの俺は人生なんてつまらないものだって思ってた。

 友達と話していても、人の欲が透けて見えて、家族と話していても、どこか話が通じない時があった。

 そんな何気ない孤独に腹を立てて、社会全体に失望していた。

 他人に、社会に多くを求めすぎていたんだ。

 生まれてきた意味を、真実の友情を、偽りなき愛を、理想の社会を、この現実で証明して欲しかった。

 

「名前も、顔も、全く違う誰かじゃなくて、俺は俺として、出雲龍次として、この人生を生きていたいって分かったんだ。」


 でも、違った。

 そんなもの与えられなくたって、俺は俺として生きていたかった。

 今まで積み上げてきた全てのものを失い、この世界で一人ぼっちになっても、この思いは何も変わらなかった。

 

「だから、どれだけ辛くても、苦しくても頑張れた。一人で生きていく覚悟が出来た。」

 

 俺は求めていた答えを手に入れた。

 

「ありがとう。お前には感謝の言葉しかない。」

 

 それを教えてくれたのはお前だ。

 お前には感謝だけを受け取って欲しい。

 生きる事の辛さも、苦しさも俺が背負うべきものだから。

 万感の想いを込めて感謝を告げる。

 結花は大きく目を見開き、動きを止める。

 そして、静寂の揺蕩う暫時の間、何かに魅入られたようにこちらを見つめ続けた。

 

「ごほっごほっ!」

 

 俺は顔を苦渋に染め、胸を押さえる。

 感情を昂らせすぎたせいか、圧迫感が込み上げて来て、痛みを伴った咳が出た。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 はっと我に返った結花が肩を支えてくる。

 いつも落ち着いている彼女らしくない狼狽し切った様子である。

 それを懐かしく思うのは丁度、助けて貰った日の事を話していたせいだろう。

 

「すみません、ご気分が悪いのに長話をさせましまって。取り敢えず、今日はもう安静にしていて下さい。」

 

 そう言って、俺を布団の上に寝かせ、彼女はそそくさと部屋を後にした。

 隼影も彼女に続くと、俺は再び、深い眠りに落ちていった。

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