第7話
俺がぶっ倒れたのは、こちらの世界に来て、丁度、一ヶ月が経った頃だった。朝食を食べ終え、道場に向かおうとした矢先、視界が一気に暗転し、そのまま眠るように地面に倒れ込んだ。
そして、気付けば、深い深い海の底にいた。
辺りは暗闇に包まれていて、遠くには光り輝く水面が見える。
まるで長い夢を見てたみたいだった。
(俺は死んだのか?)
思わずそんな考えが過ぎる。
さながら胡蝶の夢だ。自分が蝶の夢を見ているのか、それとも蝶が人間の夢を見ているのか、その境目が分からなくなる。
記憶の糸を辿り、どちらなのかをはっきりさせようとすると、ふと泡沫がふわりと舞った。
それはシャボン玉のような大きな泡で、てらてらとした表面には記憶の残照が映し出されている。
走馬灯のような光景にぎょっとして見つめると、その中へと意識が吸い込まれて行く。
そのまま半ば強制的に過去へと想いを馳せる。
(思えば、俺は変な奴だったな。クラスからも浮いてたし、頭が悪いと馬鹿にされる事も少なくなかった。)
初めにその経験をしたのは、小学六年生の時だ。
道徳の授業で、とある先生が「平和な日本を維持する為にはどうしたら良いか、考えましょう」と俺達に向かって言った。
それに対して、俺は「日本は治安が良い国ですが、平和な国じゃないです」と反論した。
何故なら、平和というのは治安のような内政的な話だけではなく、戦争や同盟のような外交的な側面を含むからだ。それを考えた時、日本はアメリカや中国、ロシアのような大国に挟まれていて、防波堤のような役割を果たしてしまう。
EUとロシアに挟まれてしまったウクライナのように、ある拍子に戦火に見舞われても可笑しくない場所にあるのだ。
当時、習いたての第二次大戦後の日米安全保障条約や冷戦などの流れを用いて、底の浅い主張を行った。
その次の日から、俺には『逆張り野郎』や『ネトウヨ』という蔑称が付けられた。笑って誤魔化したが、話が合わないという心の
俺は高校生になっても、依然、変な奴だった。
特定の科目、具体的に言うと英語を全く勉強しなくなり、コンピュータのプログラミングに熱を上げた。
遂には赤点を取って、先生に呼び出された。
「なぁ、どうして英語だけ勉強しないんだ?他の科目は良い点取ってるじゃないか。」
「その、先生には悪いんですが、あんまり勉強しても意味ないかなぁって思って。これからの時代、AIによる自動翻訳はほぼ確実に実現しますし、無駄とは言いませんが将来的に英語は古文や漢文ぐらいの立ち位置で、あくまで教養レベルの話になってると思います。」
唖然とする先生を横目に続けて言った。
「それよりもAIの発達によって一部の企業や政府がこれまで以上に権限を持つようになることに着目すべきです。彼らがAIを私的に悪用し、欲望の赴くままに行動しないよう、我々、市民一人一人が彼等を監視し、彼らの動きを統制する必要性があります。その為にも当事者意識を持って、AIを監視する力を伸ばしておくべきだと判断しました。」
AIによって支配された社会は悲観的に描かれがちだ。
SFなどでは特にそれが顕著だろう。
だが、それは権力国家をホッブズの価値観だけで描いているようなもので、未来の視点から見れば酷く誇大妄想的で杞憂な話だ。
何故なら、国民がAIの動きを監視し、国民の意に背く行いをしようとするのなら解体する、という考えが抜けているからだ。
要するにロックの抵抗権の考えである。
この考えを用いるのであれば、AIは
その可能性の実現の為に、AIを監視する力を養わなければならないと、この時の俺は気を吐いていた。
「いい加減にしろ!」
だが、またもや話は通じない。
先生は机に拳を振り下ろし、得々とした俺の語り口を止める。
職員室から音が消え去り、先の乱暴な音が嘘だったような静寂が広がった。
「英語が必要無い?そういうのはちゃんと点数取ってるやつが言うもんだ!そんな屁理屈並べてないで、良いから勉強しろ!」
一切、聞く耳を持たず、怒鳴りつける里崎。
正直に言うと、かなりむかついた。
教室に戻って、友達の虎徹に愚痴るぐらいには頭に来ていた。
「何が勉強しろだ!ふざけんな!こんなの俺が考えるよりもAIを使った方がずっと早いだろ!」
「でも、何時でも使えるわけじゃないだろ?」
「何時でも使える時代になるって言ってるんだよ。そもそも、そんなことを言い出したら、車だって、お金だって何時でも使えるわけじゃないだろ。万が一に備えて、いつも走り込みしてるのか?金貨や銀貨を持ち歩いてるのか?そんなことしてないだろ。反論になってねぇよ。」
「はいはい、良いから勉強しろって。」
とはいえ、あまり相手にされなかったし、
「それにさ、俺は里崎の言うことももっともだと思うぜ。勉強してねぇやつが勉強なんて要らねぇなんて言っても説得力ねぇよ。」
それどころか説教されてしまった。
しかし、虎徹の主張にも一理あった。
勉強ができない人間が勉強なんて要らないなんて言っても、自分が不利な立場にあるからこそのポジショントークのように聞こえてしまう。
そうではないと証明するには、自分が有利になる立場で、それでも否定する必要性があった。
だから、俺は次の期末テストで全教科満点で学年一位になった。
こうすれば話を聞いて貰えると信じていた。
「よくやった。俺の話が通じて良かったよ。」
「ありがとうございます。それで俺がこの前、言ってた話なんですが──」
「この前?なんの事だ?」
テスト返還時、里崎先生は俺を祝福してくれた。
だが、俺の話など覚えてもいなかった。
まぁ、仕方ない。先生は大人だ。何処ぞの評論家の言葉なら兎も角、テストの点数が良いだけの生徒の発言を信じる訳が無い。
「いえ、なんでもないです。」
自分にそう言い聞かせ、その場を引き下がった。
その失望の裏で、虎徹への期待が高まっていた。
俺はお前の言うことを聞いた。
だから、お前も俺の言うことに耳を傾ける義務がある、と。
「一位おめでとう。やっぱり、やれば出来るじゃねぇか。」
上擦った声だった。
笑顔こそ浮かべていたが、口元は引き攣り、押し殺した感情を隠しきれていない。
何があったのかはすぐに理解出来た。
(こいつ、俺に嫉妬したのか・・・・・?)
力ない声で胸中、呟く。
それは紛れもない裏切りであった。
少なくとも俺はそう感じた。
俺は虎徹の諌言に不満を持ちながらも一理あると思い、その言葉に従った。その為にも少なくない労力も支払った。
なのに、虎徹は自分の土俵で負けた事を悔しがり、あろう事か嫉妬したのだ。
お前が俺にすべきは、俺がお前に支払った誠意を認め、俺の話を聞こうとする姿勢を持つことじゃないのか!?嫉妬なんかしてそれが出来るのか!?
出来ないなら何のために俺はこんなものを手に入れたんだ!?
憤怒の炎は瞬く間に燃え上がり、積み上げてきた友情全てを焼き払う勢いで猛り狂った。
そして、触媒を失い、瞬く間に沈静化した。
(あぁ、もうどうでも良い。本気で何かをやっても馬鹿を見るだけだ。これからは適当に生きよう。そして、適当に楽しんだ後、適当に死ねばいい。)
この後、俺はどうしたんだっけ?
遠い記憶から意識を戻すと、記憶の泡沫は水面に向かって、ふわふわと浮かんでいく。思い出した過去のせいか、身体は重く、手を伸ばす気にさえならなかった。
それさえもどうでもいいか。
伸し掛る億劫さに従い、ゆっくりと目を閉じていく。
あとは瞼の重さに委ねるだけ。
そんな時に一つの泡沫が眼前を過ぎった。
「っ!!」
そこに映る七色の光を見て、俺は何もかもをかなぐり捨てて死ぬ気で手を伸ばす。
そして、長い夢から目を覚ました。
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