第6話




 

 

 翌日の訓練は朝日も登り切らない早朝から始まった。

 早速とばかりに口火を切った結花の声が朝露に濡れた空気に響く。

 

「霊力とは魂の持つ特殊な原動力エネルギーの事を指します。この力を使う事で私達は身体能力を強化したり、様々な事象を引き起こす事が可能になる。例えば、こんな風に。」

 

 持っていた石ころを空中に投げ、手刀を一閃する。

 スパンと空気が裂けたような音が辺りに響き、俺はもしやと思い、前のめりになる。

 結花は落ちてきた石ころを掌で受け止め、こちらへとお披露目する。丁度、俺の正面に来た時、石ころは真っ二つに割れた。

 余りにも綺麗な断面に思わず感嘆し、拍手を送った。

 

「おぉ、凄いな。」

「いえ、このぐらいなら貴方もすぐに出来るようになりますよ。」

 

 そう謙遜する声音は何処か嬉しげだ。

 クールな印象が強いが、年齢は俺と変わらないからな。こういうところは年相応だと思う。


「にしても、魔法とかだけじゃなくて、身体能力も上がるのか。全然、目で追えなかったぞ。」

「霊力を纏うと、肉体はより神や鬼に近付き、物理的な制約に縛られにくくなるんです。その結果として、超人じみた動きが可能になると言った感じですね。」

 

 成程な。

 幽霊が壁をすり抜けられるみたいな感じで、霊的な存在に近付くだけ物理法則を無視出来る訳か。

 

「もう一つ質問良いか?」

「どうぞ。」

「霊力が魂の力なら、どうして一部の人間しか使えないんだ?まさか殆どの人間は絡繰人形アンドロイドで、魂を持っていないとかSFみたいな話じゃないよな?」

 

 この世界の法則がどうなっているのかは分からないが、人間が魂を持っていないという考えは、人間には心が無いみたいに聞こえて、正直受け入れづらい。

 出来れば、出力の問題とかであって欲しいが。

 抵抗感を露わにしたまま、結花の方を窺う。

 

「そのエスエフが何なのかは存じませんが、そんな事は有りませんよ。人間は皆、等しく魂を持っています。」

「それなら分からない程、霊力が少ないとか?」

「それも有りますが、一番は肉体を持っているからですね。」 

 

 どういう事だ?

 眉間の皺の意味が反感から怪訝へと変わる。

 そんな俺の困惑を楽しんでいるのか、結花は紫結晶の瞳に喜悦を浮かべ、得意げに解説を付け加えた。

 

「人間を含め、全ての霊魂はプラスの側面、和御魂にぎみたまマイナスの側面、荒御魂あらみたまの二つの側面で構成されています。この二つの力を掛け合わせる事で霊力が生まれるんです。」

プラスマイナスを乗算してもマイナスなのに?」

「そういう単純な話ではなく、あらゆる物事に光と影の側面が付き纏うという事です。人間だってそうでしょう?」

「確かにな。」

 

 諭すような声音に大きく頷く。

 どんな人間も良い所と悪い所が有るだろうし、その良い所だって見方によっては悪い所になる。

 自分にとっての味方は相手にとっては敵みたいに。

 御伽噺のように全てを善悪二元論で語る事が出来ないというのは納得のいく話だ。

 斜め下に向けていた視線を結花に戻し、先を促す。

 その催促に結花は淡々と従った。

 

「ですが、肉体はこの二つの力を中和する性質を持っている。そうする事で振れ幅を小さくし、魂の安定性を高められた。」

「その代償に霊力を失ったのか。」

 

 端的な総括に「はい」と力強い返事が返ってくる。

 その説明に矛盾のようなものはないと思う。

 魂の安定化を振り子のように例えた時、大きく揺れるよりも、小さく揺れた方が中央の近くに長く居続けられるし、よりバランスが取れている事になる。

 何らかの化合物みたいに、魂と肉体が結びついている事への説明にもなってるしな。

 

「でも、それだと魂だけの相手に勝てなくないか?」

「えぇ、だからこそ、私達は様々な神の力を借り、鬼や妖に対抗してきました。この隼影も人間に手を貸してくれた神の一柱です。」

 

 そう言って、腰に佩く太刀の柄頭に軽く触れる。

 成程、天下の名刀であると自慢していたが、その看板に違わず、幾度となく主人の助けてきた訳だ。誇らしく思うのも当たり前だな。

 

「さて、座学はこのぐらいにして、そろそろ実践に移りましょう。」

「もうか?まだちょっとしか教えて貰ってないぞ。」

「これ以上は『権能』や『宇宙観コスモロジー』と言った専門用語が増えますし、何より小難しい話では身を守れません。いざという時でも使えるように実用性重視の方が良いと判断しました。」

「仰る通りで。」

 

 皮肉たっぷりな発言に苦笑を返し、肩を竦める。

 冗談めかした振る舞いは緊張している事の裏返しであった。

 

「安心してください。難しい事はしませんから。」

 

 そう祈るばかりだな。

 

「それでは目を閉じて、力を抜いてください。」

 

 最初の指示はリラックスする事だった。

 俺は指示に従い、瞑目して小さく息を吸った。

 口を伝って肺へと落ちる朝の空気は冷たく、清涼としている。

 瞳を閉じているからだろうか、まるで冬の夜空の下にいるみたいだ。

 肩から力が抜けた時、ピタリと鳩尾の辺りに何かが触れた。

 

「これから私の霊力を送るので、その波動を感じたら、共鳴している力を探して下さい。それが貴方の霊力です。」

 

 ちょっと待て、力を探すってなんだ?

 そんな反感を伴った疑問をぶつけるよりも先に、「行きます」と無慈悲な宣告が為される。

 瞬間、触れ合う部分をじんわりとした熱が襲った。

 誰かの体温のような生々しい熱の波涛。それが鼓動のように脈動しながら肌を侵し、肉の内側へと入ってくる。

 やがて全身へ拡がると、すっぽりと俺を包み込んでしまった。

 

 (なんだこれ?気持ち悪い。)

 

 温かくて、心地よくて、酷く無力だ。

 さながら生命の揺籃ようらんに包まれているよう。

 それ故の言い知れぬ屈辱感が胸をさいなむ。

 顔を顰め、早く終わらせようと彼女の言う通りに共鳴する何かを探す。

 しかし、焦る気持ちとは裏腹にまるで見つからない。

 途方に暮れた停滞だけがそこにはあった。

 

「全然、分からないんだが?本当にあるのか?」

「有ります。無ければ、霊力を感じることさえ出来ないはずです。もしも何かを感じているのならば、それはそこに何かがあるからに他なりません。」

 

 言い聞かせるような毅然とした返答は、冷水のように、俺の苛立ちを落ち着かせた。

 結花の言う通りだ。

 もしも、相互干渉するものがないのならば、ニュートリノの如く、互いをすり抜けてしまう筈だ。

 だが、俺は今も霊力の波動を感じている。

 それは相互干渉出来る何かがそこにある紛れもない証拠だ。

 ──なら、どうして俺は自分の霊力を感じられないのか。

 

 (そうか。動きがないからか。)

 

 知覚とは変化を感じる機能だ。

 逆に言えば、変化が何も無ければ、感じ取ることが出来ない。霊力を微塵も感じないのも道理であった。

 ただ、霊力の動かし方なんて俺は知らない。

 ──なら、どうするか?

 

 (桐生の霊力の動きを真似すれば良い。)

 

 学ぶという事は真似るということ。

 子供が親の動きを真似して、色んなことを覚えるのと同じように、先ずは霊力の動かし方を模倣する。

 脈打つ霊力の波形に合わせて、俺自身の霊力を動かそうと試みるのだ。

 そうすれば必ず変化が訪れる筈だ。

 それがどれだけ小さくても、決して変化を見逃さず、霊力の動かし方のコツを掴む。

 意識を研ぎ澄まし、丹田に力を込めて、霊力を動かそうとする。

 その効果はすぐに現れた。

 結花の霊力に合わせて、どくりと小さな力が脈打つ。

 それは繰り返すごとに大きくなり、やがて結花の霊力が消えても尚、力強く高鳴り続ける。

 

「すぅぅぅぅ、ふぅ。」

 

 深く息を吸い、小さく息を吐く。

 どれくらいの時間が流れたのだろうか、時の流れさえ忘却した集中の末に、俺は霊力の扱い方を完璧に体得していた。

 今や血潮を通して流れる霊力はおろか、世界を揺蕩う微弱な霊力さえも感じ取れる。

 まさにもうが晴れたような心地だ。

 

「驚きました。まさか一発で成功するなんて・・・・・」

 

 目を開けると、驚きを隠せない様子の結花が視界に入ってくる。

 

「おい、簡単じゃなかったのか?」

 

 半眼で睨みつけると、結花は困った表情で弁明した。

 

「そうなんですが、ある程度、慣れが必要なので、今日一日は掛かるだろうと考えていました。ですが、貴方の才能を見縊っていたみたいですね。」

 

 話している内に驚きから立ち直ったのか、ふっと薄い唇に微笑みを湛えた。紫紺の瞳は曇りなく、その賞賛が心からのものであると裏付けている。

 

「そう言われると面映おもはゆいな。」

 

 照れ臭くなった俺は人差し指で頬を掻く。

 普段は周囲の評価のバランスを調整するのが大変なので、この手の褒め言葉もあまり嬉しくはないのだが、不思議なことに彼女からの評価は素直に受け入れられた。

 もっとも、そんな呑気な事を考えられるのはこの時までだったが。

 

「これならもっと鍛錬の強度を上げても良さそうですね。」

「お手柔らかに頼む。」

 

 心しか弾んだ声で調子良く頼む。

 そんな浮かれていた俺に結花は背を向け、背に掛かる黒髪をゆらゆらと揺らしながら道場の奥へと向かう。

 そして、掛けられている木刀を掴んだ。

 

「えっ?」

 

 思いがけない凶器の登場に俺は意表を突かれた声を出す。もしやと悪い想像が脳裏に浮かぶが、信じたくはない。

 だが、それは紛れもない現実の未来図であった。

 

「次は霊力を使った防御法を学びましょう。これから私が木刀で斬りかかるので、その部位に霊力を集めて防いでみて下さい。」

「待て!待て!待て!それのどこがお手柔らかなんだ!?」

 

 下手したら死ぬぞ!?

 冷静さをかなぐり捨てて、ツッコミを入れるも、結花はキョトンとしている。

 

「ですが、実戦では相手は真剣を使いますよ?今の戦乱の世では農民でも刀の一本や二本くらい、普通に持っていますし、盗賊や山賊なら尚更です。」

 

 痛いところを突かれ、俺は思わず「ぐっ」と呻く。

 彼女の指摘はもっともだった。

 この世界は俺の考えているような安全な場所ではない。

 国家による暴力の独占は進んでおらず、各地の領主達は独自の兵力を保有し、戦争を繰り返している。

 また古い時代の政治体制が衰退化した事で、民心は荒れ果て、自力救済フェーデの考えが社会全体に蔓延している。

 これこそ、まさに戦乱の世であり、痛くないのが良いとか、時代錯誤のスパルタだ、とか甘えた事を言ってられるような治世ではない。

 

「辞めておきますか?貴方の考えている通り、訓練中に怪我をする可能性は有りますし、ゆっくり練習するのも一つの手です。」

 

 懊悩する俺を見て、結花は気遣うように言った。

 だが、それこそ甘言である。それが最善の選択肢であるのならば、初めから彼女はその選択肢を提示していた筈だ。

 そうしなかった理由は一つ。

 

「いや、俺が甘えてた。文句を言った後で悪いが、さっきの方法で頼む。」

 

 俺に残された時間が少ないからだ。

 当たり前のことを言うが、結花は俺の親ではない。

 俺の面倒を見る義務も、独り立ち出来るまでに待ってやる理由も、彼女にはない。

 今、俺を傍に置いているのは鬼に会うまでの期間、ここに住んでいいという約束を交わしたからだ。その理由も憐憫からではなく、俺と混ざった神とやらとあの『禊の泉』とやらが関係しているのだろう。

 もっとも、それでも結花が良い奴である事は揺らがないが。

 彼女には態々、時間割いてまで俺に技術を教える理由などない。

 今、こうして霊力の訓練に付き合ってくれているのは彼女の善意に他ならないのだ。


 (恐らくだが、この世界の人々は彼女ほど優しくはない。)


 何せ社会というものは身寄りのない人間にはとことん厳しく出来ている。信頼という通貨を持たない人間は群れの中に入ることさえ許されず、野ざらしで死ぬしかない。

 それが嫌なら信頼性を無視しても求められる実力か、一人生きていくだけの能力を手にするしかない。

 その為の猶予はたった三ヶ月だけ。

 俺は死ぬ気で努力しなければならない。

 文字通り、明日生きていく為に。

 

 それから俺は訓練が終わるまでの時間、結花に殴られ続けた。

 結局、その日は一度も成功せず、自在に防御出来るようになったのは三日後の事だった)

 

 

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