第4話








 異世界転移から一週間の時が過ぎた。

 俺はすっかりこっちの生活に馴染み始めていた。

 

「良いのかなぁ?そこ置くと角取られちゃうぞぉ。」

「あ〜!待った!待った!待った!今のなし!今のなし!」

 

 そう言って、同年代ぐらいの青年が大慌てで置く駒の位置を変える。

 しかし、そこも逆転の一手には程遠く、次の俺の一手によって、青年の白が埋め尽くす盤面は真っ黒に染められていく。

 オセロの基本は自分の置ける場所が増える場所に駒を置いていく事なので、序盤に相手の駒を取りすぎると中盤以降に置ける場所が無くなって不利になる。

 それを知らないと、こういう風に序盤勝ってたけど後半大逆転されてたみたいなことが起きる。

 結局、大差で俺は青年に勝利する。

 すると、取り巻き達が口々に囃し立てた。

 

「ははは、やっぱ太郎じゃ勝てねぇか!」

「頭の出来がアレだからねぇ。」

「始めたてなんだから仕方ねぇだろ!つーか、お前らだって別に勝ててねぇだろ!」

 

 青年が怒鳴り返すと、また大きな笑い声が響く。

 この唐傘村の住人は村社会という閉塞空間にあるにも関わらず、皆が開放的な好人物であった。俺のような余所者にも家族のように温かく接してくれるし、未知の文化に対しても寛容で、オセロについてもすぐに受け入れてくれた。

 結花の家を追い出されても、ウチで働けばいいなんて言ってくれる人もいるし、本当にありがたい限りだ。

 ただ、困った事があるとするのなら、

 

「やっぱり龍次って凄いわね。頭も良いし、体も大きくて、顔だって私の好みにぴったり。ねぇ、今夜、私の家に来ない?」

「させないわよ!龍次の童貞は私が頂くわ!」

「はぁ!?初めては私に決まってるでしょ!あんたは太郎の相手でもしてなさいよ!」

 

 この村の人間は性に対しても非常に開放的な事だ。

 一夫一婦制の概念自体が希薄なのか、重婚は当たり前。性教育の一環に性交渉があり、ほぼ全ての人間が経験済み。村の掟さえ守っていれば、誰と性行為しても良いという始末だ。

 俺からすれば信じられない事ずくめだが、これも彼等の文化の一つだった。

 

「頼むから童貞童貞って連呼しないでくれ。」

 

 顔を朱色に染めながら、蚊の鳴くような声で苦言を呈する。

 すると、爆笑が場を攫った。特に男性陣のウケが良い。

 まぁ、それが狙いな訳だが。

 表向きは不満げには振る舞う一方、心の内でほくそ笑む。

〝出る杭は打たれる〟とよく言うように、飛び抜けて優秀であったり、余りにも勝ち過ぎたりすると、周囲からの反感を買ってしまう。

 そうなると何らかの切っ掛けで虐められたり、攻撃の対象に選ばれたりする事もある。

 だから、時にはからかわれたり、馬鹿にされたり、相手を立ててやったり、適度に負けてやることでガス抜きをしてやる必要性が有るのだ。

 実際、その効果は絶大だ。

 太郎を見てみろ。バカウケしている。

 直情的な彼はオセロで大敗を喫したことで男としての面目を潰され、表には出さないものの鬱憤を募らせていたはずだ。

 しかし、馬鹿に出来るポイントを発見した事で俺を存分に嘲笑あざわらい、溜飲を下げている。

 俺はその安堵という名の侮りに付け込み、攻撃の矛先が自分に向かわないようにコントロールする。

 これが俺の処世術だった。

 

「あっ、桐生様だ!」

 

 笑い声が一頻り響いた後、ある少女が声を上げる。

 釣られて俺も視線を送った。

 そこには隼影を腰に携えて、屋敷の方から歩いてくる結花の姿がある。

 どうやら村の見回りをしているようだ。

 

「それじゃあ、俺もそろそろお暇させて貰う。」

「勝ち逃げは狡いぞ!!」

 

 太郎と女性陣の惜しむ声を背にしながら公民館を後にする。

 そして、そのまま結花の元へと向かった。世話になっている彼女が働く一方で、俺だけ遊んでいるのがいたたまれなくなったのだ。

 結花もその心情を察してくれたのか、始めこそ断っていたものの、同道を受け入れてくれた。

 

「貴方も随分とこの村に馴染んできましたね。」

 

 先程の村人とのやり取りについて話すと、結花は嬉しそうに微笑んだ。

 

「そうか?」

「はい。」

 

 まぁ、そうかもな。

 少しだけ首を傾げたものの、力強い肯定に考えを変える。

 所々、攻撃の矛先が俺に向かわないように振る舞っているが、全てが全て演技な訳でもない。

 総じて考えれば、この村の人と触れ合うのは楽しい。

 向こうも同じように考えてくれてるのなら、きっと結花の言う通りなんだろう。

 

「とはいえ、あの貞操観念だけは馴染めそうに無いけど。」

「ふふふ、それは私もです。」

 

 結花はくすくすと喉を鳴らして、同意した。

 武家に属し、家柄も確かな彼女は、村人とも異なる貞操観念を持っているらしい。

 もっとも、俺のものに似ているかと言えば違うだろうが。

 それからも他愛ない談笑をしながら歩き続け、村の出入口の一つへとやって来る。

 そこには丁度、目印のように僧侶の服装をした老人が座り込んでいる。

 

「松木様、今日もお勤めお疲れ様です。村の守りはどうですか?」

「順調ですよ、結花。」

 

 結花が話し掛けると、老人は穏やかな様子で応じる。

 そして、こちらに一瞥を向け、軽く頭を下げた。

 

「いと尊きお方も態々、ご足労ありがとうございます。」

「その言い方やめろって。龍次で良いっていつも言ってるだろ。」

「それでは龍次様と。」

「様もいらないんだが。」

 

 はぁと呆れを込めた溜息を吐く。

 松木は人間ではない。

 道祖神と呼ばれる神の一柱だ。もっと分かりやすく言えばお地蔵様だ。

 外から中に災いが入ってこないようにする力を持ち、人間相手には効果は薄いものの、妖や鬼を退ける結界を張る事が出来るらしい。

 そんな重要な役割を担う松木だが、俺の方が高位の神格を持っているとかで、ずっとこの調子なのだ。

 正直、辞めて欲しい。自分よりも役に立ってる人間に恭しくされると、何とも言えない気持ちになるし。

 何となく結花が敬語を辞めろと言った気持ちが分かったような気がした。

 

「これで見回りも済んだし、今日はもう帰るか。」

「そうですね。」

 

 長居をする理由もないので、立ち去ろうとする。

 

「龍次様。」

 

 しかし、踵を返す前に松木が俺を呼び止めた。

 振り向くと、松木はやけに真剣な表情をしていた。

 その剣呑にも似た物々しさとは裏腹に、松木は一言一言を指でなぞるように実に丁重に声を発した。

 

「どうか結花の事をよろしくお願い致します。」

 

 どういう意味だ?

 ただならぬ雰囲気を感じ、そう問おうとしたが、結花がそっと袖を掴み、帰ることを急かした。

 その行動も奇妙だと思ったものの、落ち着き払った松木の様子から、これ以上は何も聞けないだろうと悟り、問答を断念せざるを得なかっだ。

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