第12話 古の神殿

 走り続けたアルフィーナは、泊まっているやしろと同じような建物にたどりついた。はるかに規模が大きく、立派な神殿だ。

 ほかでもない、昼間、飛翔狼ひしょうおおかみたちに案内されてきた場所だった。


 正面の両扉は開いていて、そこから妙なる音が漏れだしていた。

 音楽のような、せせらぎのような、星の砂が降りこぼれるような音。

 アルフィーナは導かれるように神殿に足を踏み入れた。


 入り口をくぐった瞬間、腰に提げたギミアが身震いした。金属を打ち合わせたような音が空間に響く。


「何かある……やっぱり……」


 目の前に青々とした広間が広がっている。天井には青みを帯びた透明なものがはめこまれていて、月の光が豊かに注ぎこんでいた。

 床の石は青白いものと、青いものが交互に並んで模様をつくっており、奥の数段高い場所には、円柱で囲まれたあずまやのような場所があった。


 アルフィーナはきざはしをあがり、その場所に行った。

 そこは輝いていた。ゆらゆらと揺らめいていた。

 月の光に満たされた水が、柔らかな渦を巻き、踊っている。


 アルフィーナは、穴のふちに立って、水の底を見つめた。

 透明な水はどこまでも深く、無数の星を沈めたようで、最後には暗闇に続いていた。

 音は、水の底から湧きだしていた。

 あるいは水そのものが揺れるたびに奏でていた。

 あるいは月の光を反射するたびにふりまかれていた。


 アルフィーナはしばし立ち尽くし、水が放つ不思議の音色に身をまかせた。

 何も説明されなくても分かった。これはいにしえの力だ。

 古式新式こしきしんしきを問わず、魔術などという小賢しい力ではとうてい太刀打ちできない、深く豊かな世界の根源とつながる力だ。


 間違いない。これこそが、捜し求めていた魔力をすすぎ清めるいにしえの力の井戸に違いなかった。


 足音が聞こえて、アルフィーナは振り返った。ほかに誰がいるはずもない、ジェドクだった。


「見つけたぞ、やっぱりここだ! いにしえの力の井戸はここにあった!」


 アルフィーナは声を弾ませて駆けよったが、ジェドクの表情は硬いままだった。


「……怒っているのか、私がひとりで駆けだしたりしたから?」


 ジェドクは静かに首をふった。アルフィーナを見下ろして、深々とため息をつく。


「……どうして見つけてしまったんですか。あと一日、いえ、半日でもいい、力を回復する時間が欲しかったけれど、こうなってしまってはもう仕方がない。冒険ごっこはここでおしまいです、当代のギミアの継承者どの……黄金の勇者アルフィーナ!」


 ジェドクの全身がどす黒く膨れあがった。

 否、気配だけが莫大な邪気をはらんで膨張したのだ。ジェドクの姿は何も変わらない。

 だがその気配はまったく違っていた。

 世界の半分に属する闇の力、そこに親しく交わる種族だけが使うことのできる力を充溢させた、人間とはまったく異なる存在。

 魔族の気配だった。


  ×    ×


 アルフィーナはギミアの柄に手をかけ、退すさろうとした。だが、両足が貼りついたように動かない。


 見れば、足元に暗い影の水たまりが生じ、蛇のような触手を伸ばして、アルフィーナの足を束縛していた。


 アルフィーナはギミアを抜いて切り払おうとしたが、闇色の蛇が絡むほうが早い。つぎつぎと生え出し、伸びあがり、脚といわず腕といわず、アルフィーナの体に絡みつき、その自由を完全に束縛した。


「これであなたの命は私の手の内、思うがままととなりました」


 アルフィーナはなおもギミアを振るおうと力をこめたが、闇の束縛は強固で、抗うことはできない。

 闇に手首がひねりあげられ、ギミアが床に落ちて転がっていった。


「お前が、オーガンを呪った魔族だったのか……シルヴァン族には、相談役魔術師などいなかったのか……」


「そのとおり、すべては私の策略、私の力です」

 ジェドクは馬鹿丁寧に一礼した。


「シルヴァン族の連中の記憶は一人残らず手を加えて、相談役魔術師の存在を埋めこみました。あなたの銀の護り手については、術が効かないので魔族の血の呪いをかけさせていただきました。

 おかげで、シルヴァン族が外に出さない禁読書きんどくしょを堂々と調べて、いにしえの力の井戸のありかをつきとめることができました」


 ジェドクは目を細め、古の力の井戸を見あげて笑みを深める。


「あとは、思いのほか簡単でしたよ。あなたはみずから進んで危険をおかしてくれた。こんな探索、本来なら、シルヴァン族の連中が反対しないはずがないのですよ。

 たかが護り手のために、勇者の身を危険にさらすなど本末転倒。しかも、護り手でもない私と、たった二人で」


 ジェドクは声をたてて笑った。


「今ごろ連中、私の存在ごと、あなたが何のためにどこへ行ったかも忘れていますよ」


「……いったい、何のためにこんなことを?」


「何のため? すべてはこの忌々しい剣とその使い手を、世界から消し去るためですよ」


 床に転がったギミアに、ジェドクは憎悪の視線を向けた。

 ギミアが赤熱しそうな憎悪だった。


「ここは忘れられた土地、傍らにあるべき護り手も、他の味方も、誰ひとりここにはいない。あなたはここで死ぬ」

 ジェドクは唇をゆがめ、笑った。


「そしてギミアは、幾百幾千の魔族の血を吸ってきた忌々しい剣は、この井戸の底深く沈められる。魔族に対する絶対の切り札、圧倒的破壊力は消滅する。人間の国々は、いずれわれわれに屈することになる……何か言い残すことは?」


 アルフィーナは何も言わなかった。ただその碧い瞳でジェドクを見返した。


 ジェドクは暗赤色あんせきしょくの目を細め、舌打ちをもらした。

 右手に毒々しい紫色に輝く闇の力を集束させる。

 見ているだけで毒されそうな闇、空気までもまがまがしく侵食し、歪めていく闇だ。


 それでも、アルフィーナの瞳は揺るがなかった。闇の力も、恐るべき瘴気も感じないかのように、ジェドクをまっすぐに見つめつづけた。


「……死になさい、アルフィーナ!」


 ジェドクが右手をかかげた瞬間、その手のひらを銀色の光が貫いた。

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