第10話 古の井戸の探索
正面の石の大扉は、ひとの身の丈の何倍もの高さがあったが、片方が外れかかって開いている。
門扉には、月と太陽のレリーフが施され、何らかの特別な場所なのは明白だった。
「まさか、ね……」
ジェドクは落ち着かないように建物を見あげ、二頭の飛翔狼を見た。
「入ってみれば分かる。行こう、ジェドク」
神殿のなかは、うっすらと青い空気に満ちた広間だった。
天井に青みを帯びた透明なものがはめこまれていて、日の光が豊かに注ぎこんでいる。
床の石は、青白いものと、青いものが交互に並んで模様をつくっており、奥の数段高い場所には、円柱で囲まれたあずまやのような場所があった。
飛翔狼たちが、先導するようにきざはしを駆けあがっていく。アルフィーナとジェドクも後に続いて、その場所に行った。
だが、そこには何もなかった。
あずまやの中は、平たい石の床が広がっているだけで、井戸らしきものはおろか、くぼみひとつなかった。
× ×
「まあ、そこまでうまくはいかないということですよ、アルフィーナさま」
ジェドクは革表紙の帳面を取りだして開き、そこに書いた図面と、あたりの街並みをしきりと見比べた。
アルフィーナはぐったりと愛馬に跨り、うなだれている。
「だが、せっかく案内してもらったというのに……かれらはどうして私たちが何もせずにあそこを去るのか、分からないというようだった。あまりにも申し訳ない」
「お気になさっているのはそちらでしたか。仕方ないですよ、たしかにあそこは、レムリアにとって大切で重要な場所だったのには違いないでしょうが、私たちの目的の場所じゃなかった」
「……なんだか嬉しそうだな、ジェドク」
アルフィーナがつい恨みがましげな声をだすと、ジェドクは痛いところを突かれたように黙りこんだ。
「そりゃあ、そうですよ。いくら賢い魔獣とはいえ、ここへ来て動物に正しい場所を示されてしまっては、魔術師たる私の立場というものがない」
「どっちでもいいじゃないか。はやく見つかれば、誰の手柄でも」
「まあ、あなたはそう思うでしょうが、世の中の多くはそうはいかないんですよ。そんなこと、帰ってからシルヴァン族の皆さんに知られたらどう思われます? いまでさえ、相談役魔術師など要らないとおっしゃる方がたもいらっしゃるというのに」
「族長と、奥方と、オーガンはそんなこと言わない」
アルフィーナは言い募った。
「お二人はわかりますが、オーガン様はどうでしょうかね」
「オーガンは、言ってないなら、思ってない。もちろん私も言わない。それで充分じゃないのか、ジェドク?」
「一部の人に認められたからといって、それで済むものではないでしょう」
「だが、族長と、族長夫人と、族長の息子にして銀の護り手、そしてサンディエルの王女、次期王位継承者、当代のギミア継承者、またの名を黄金の勇者だ。まだ足りないか?」
ジェドクは帳面を閉じてアルフィーナに向き直った。
「……驚いた。あなたにそういう考え方ができたなんて」
「好きじゃない。嫌いだ。でも、それが力になるときには使えばいいと思う」
「よろしい。慣れなさい。そして誰よりも上手に使えるようになるといい」
アルフィーナは目を見開いた。ジェドクが一瞬、微笑したように思えたのだ。
だがまばたきひとつの間に、その口元は見慣れた皮肉げなものに変わっていた。
幻を見ただけかもしれなかった。
「そういうことで」
ジェドクは肩をすくめ、ふたたび帳面を開くと、進むべき道を確かめはじめた。
× ×
やがてジェドクは、ごく小さな
さきほどの神殿ととてもよく似たつくりで、大きさははるかに小さい。
両開きの扉の意匠もそっくりだったが、どこにも欠落はなく、二枚の扉は一枚の壁のようにぴったりと閉ざされていた。
「ここです、アルフィーナ様」
馬からおりて、近くの円柱につなぐと、ジェドクは神殿の周囲を調べはじめた。
壁や扉、きざはしの側面にいたるまで、どんな小さな彫刻も見逃さずに時間をかけて眺め、帳面を確かめ、何かの呪文をつぶやき、思案する。
アルフィーナも馬をおりて待っていたが、しだいに太陽が傾いて、空が茜を帯びてきた。
建物や柱、彫刻など、すべての影が長く伸びて、白い街を陰影に染めていく。
アルフィーナとジェドクの影も長く伸びて、社の外壁に、影絵のように映った。
アルフィーナの影は動かぬまま、ジェドクの影だけがせわしなく左右に動いている。
しだいにまた頭がぼんやりとしてきた。無数のあぶくの音が遠くではじける。
人びとのささやき、笑い声、歌声、外の喧騒が部屋のなかに伝わってくるかのような物音がアルフィーナを包みこんだ。
夕闇にぼやけた視界のなかで、なかば崩れていたはずの街並みが、新品のように綺麗に見えた。
単なる穴と化していた窓や入り口には、凝った意匠の鎧戸や、彫刻のほどこされた玄関扉がはめこまれている。
その扉が開き、月と太陽の紋章がついた装束をまとった女が出てくる。
両手で青い水がめを抱え、ベールの影からアルフィーナを見据えると、社に背を向けて歩いていく――。
「どうやら大丈夫のようです」
ジェドクの声で、アルフィーナは我に返った。
目の前の建物には、鎧戸も扉もはまっていない。ぽっかりとうつろに暗く、四角い穴が開いているだけだ。
「もしかして、寝ておられましたか?」
「いや、そうじゃ、いや、すまん、たぶんきっとそうだ……」
アルフィーナはうなだれたが、そのとき色のついたかけらを道端に見つけて目をみはった。手のひらほどの陶器の破片は、碧く塗られていた形跡がのこっていた。
「アルフィーナ様、扉を開けてみます」
ジェドクは両開きの正面扉の前に立つと、両手を扉にあてて呪文を唱えた。内側でかんぬきが抜ける音がして、扉がひとりでに開いていった。
なかはひとつの広間で、石床の中央に、大きな丸い穴が空いていた。
ジェドクが手のひらに魔法の光をつくりだし、穴の中へそっと放つ。
照らしだされた穴は深く、どうやら井戸だったが、中はからからに乾いており、一滴の水も見当たらなかった。
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