第18話 聖呪……?



「十五日もあるんだから、俺がついて行って戻って来ても別にいいじゃん」

(まあ確かに……最終日にミス・ダイヤモンドと一緒に王都に戻ってこれるのなら問題はないけど)


 だがアレクシス不在で、ミス・ダイヤモンドだけを一人置いて行くのは……駄目だろう。


「隊長はミス・ダイヤモンドの護衛役でもあるんですよ? 放っておけないでしょう」


 きっぱりと告げると、顔面偏差値の高すぎる男が拗ねたように唇を尖らせた。


「俺はレイナが無茶しないか気になる」

「しませんよ」


 冷淡に返すと「心配で夜も寝られない」と真顔でトンデモナイことを言い出した。


「じゃあどうすれと? 私がここに残るのも隊長がついて行くのも論外ですからね」


 半ギレの座った目で睨み付ければ、ちょっと考え込んだアレクシスがふっと、妙に甘い笑みを浮かべた。


「わかってるよ。だからちょっと来て」


 これから馬に乗ろうというレイナの腕を取ってアレクシスが引っ張っていく。


「どこ行くんです? 私、もう時間が……!」

「大丈夫大丈夫」


 連れ込まれたのは城門横の扉奥だった。狭い通路になっているそこに押し込まれ、レイナは怪訝な顔でアレクシスを見上げる。


 その彼女に、彼は眩しくて目が潰れそうな笑みを浮かべた。


「時間がないからちょっとだけね」

「はい?」


 妖しく笑う上司に壁に背中を押し付けられて目を丸くする。そのまま覆いかぶさるように圧しかかってきたアレクシスが、レイナの肩口に顔を埋めた。


 そのまま、「あ」と口を開けた男が、隊服から覗く柔らかな首に噛みついた。


「ちょ!?」


 耳の下辺りの柔らかな皮膚に、びりびりびり、と謎の刺激が走る。そちらに気を取られていたせいか、反対側の首筋をアレクシスの指がなぞるのに気が付かなかった。


「なにしてるんですか、セクハラですよ!?」


 思わず声を荒らげ、真っ赤になってアレクシスの肩を押せば、ぱっと顔を離した男がにんまりと笑った。


「本当は全身に施したかったけど、今日はこれで我慢する」

「はあ!?」


 思った以上の声が出た。頭に血が上っているのを覚えながら、唇が触れた首筋に手を当てると、妙に激しく脈打つ血管と熱を感じた。


「……何したんですか」


 低すぎる声で呻くように尋ねると、アレクシスは悪びれた様子もなく爽やかイケメンスマイルをして見せた。


「だってレイナ、全身に書かせてくれないから。ちょっとでも防御の足しになるよう、刻ませてもらった」


 その台詞ではっと理解する。


「……聖呪、ですか?」


 思わず首に手を当てたまま呟くと、ふっと目を伏せ、唇を引き上げたアレクシスが甘く微笑む。


「俺が描きたかったものではないけど、その一種をね」


 それから彼女のもう片方の手を取り上げて指先に唇を押し当てた。指先から、先程と同じ電流がレイナの身体を駆け抜ける。


「君が無茶しないように。おまじない」


 くすっと笑って告げられて、レイナは上司の過保護っぷりに頭を抱えたくなった。


(ジョイス副隊長にも同じものを施したらいかがですか? なんて言ったら……)


 笑顔でキレるんだろうな、と容易に想像できる。溜息を堪え、レイナはにこにこ笑う上司に仕方なく笑みを返した。


「そもそも無茶はしませんから、大丈夫です」


 そうきっぱりと宣言したのに、何故かレイナの手を取るアレクシスはじっとその綺麗な瞳にレイナを映し、至極真面目な顔で真剣に告げた。


「悪いけど、俺はその言葉、信じないからね」






(信用無いなぁ……私)


 それも無理ないかなと、どこか遠い所で考える。

 そもそもアレクシスとの出会い方が「彼の前に身を投げ出して腹部を貫かれた姿」なのだ。


 今になって思うのは、この最強・最凶・最恐の騎士様は背後に出現した悪意ある刃ごときに貫かれる存在ではないということだ。


 そんなことにも気付けなかった四年前のレイナは、反射的に身を投じてしまっていた。

 そう、反射的に、だ。


 つまり、アレクシスではない……一般の騎士が今にも命を落としそうなとき、レイナは反射的に身を投じてしまう可能性があるということだ。


(あれって……隊長だからやったのかな……それとも目の前で命を落としそうな存在があったら身体が勝手に動くのかな……)


 どちらにしろアレクシスにとっては迷惑な話だろう。

 負わなくてもいい怪我を負い、斃れられては寝覚めが悪い。


 知らず、レイナは彼が触れた首筋に手を当てていた。鏡が無いため聖呪とやらがどんなものなのか確認のしようがないが一体どうなっているのか。


(なんか光り輝いてたりしないよね……)


 眩しくないから違うと思いたい。


(にしても過保護すぎないかな~……他に無茶しそうな人もいると思うんだけど……)


 隊長のためになら命を投げ出しても構わない、と考える連中は確かに存在する。宵闇騎士団……ひいては、騎士団が所属する王国軍内部に密かにファンクラブのようなものがあるし、市街でも宵闇騎士団の警邏なんかがあると目をハートにしたご婦人方で通りがいっぱいになることもある。


 平民も貴族も等しく、だ。


 その中にはアレクシスの身代わりで死ねたらいいと本気で願う狂信者が……いることはいる。

 その者たちが隊舎に押し掛けてきたこともあったと、ジョイスが遠い目をして話していたのだ。


(私が補佐官に任命されてからは来ないけど……)


 心機一転、見張りの強化でもしたのだろうか。


 そんなことをつらつら考えていると、ゆっくりと進行していた隊が徐々に止まり、レイナははっと前を向く。


 夏の空いっぱいに、日差しを浴びて煌めく水珠すいじゅが浮かぶ様子はどこか幻想的で、どこか牧歌的だった。

 周囲はなだらかな畑が続き、遠くには山が見える。所々固まって黒々とした森が広がる、見通しのいい広い道は、この先の村へと通じていた。


 だが。


「……ん?」


 村の上空が暗い。


 沸き立つ真っ黒な雲が空を覆い、レイナが今いるスッキリと晴れた日差しの空とは真逆の様相を呈していた。


「……なんだ、あれは」

「積乱雲でしょうか」


 前方で珠を引く騎士の一人がレイナのつぶやきを拾って答える。

 隊は動揺した様にその場に停滞し、殿しんがりを務めるレイナは馬を走らせ、先頭にいるであろうジョイスに何があったのか確認に行く。


 颯爽と駆け抜けるレイナに、不安げな視線が突き刺さる。彼らを落ち着かせるよう、堂々と真剣な表情で馬を駆る彼女は、徐々に近づく村の入り口に目を見張った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る