第16話 誰かの想いを抱えたまま



「それで? 話って?」


 人気のない談話室にやって来たアレクシスは、執事が用意してくれた琥珀色のアルコールを手に渋面で尋ねた。


「友人として、公私混同するなと忠告をね」


 ソファに腰を下ろし、同じようにグラスを手にするジョイスが可笑しそうに告げる。

 立ったままグラスを持ち、窓際に歩み寄ったアレクシスがふん、と鼻を鳴らした。


「公私混同してない。俺は完全にプライベートだ」

「余計駄目だろう」


 ジョイスのツッコミを綺麗に無視し、アレクシスは窓の外に視線を向けたまま、グラスの丸い氷をからからさせた。


「けど、そうしないと鈍すぎるあの女は俺の気持ちに全く気付かないだろ」


 不貞腐れたような声が漏れる。

 対して友人は呆れたように答えた。


「普通に告白すればいいだろ。何カッコつけてんだ」

「普通に告白して逃げられたら終わりだろうが」


 くわっと目を見開いて告げられ、ジョイスが唖然とした。


「いや……それは……まぁ……」


 思わず口ごもる副隊長を横目に、アレクシスはグラスの中身を一口飲むと深い溜息を吐いた。


 初めてレイナを意識したのは、四年前の戦闘時だ。


 あの時、向かうところ敵なし、どんな魔物も魔族も敵ではない、文字通り世界最強の名を冠していた彼をレイナは庇った。


 庇われる必要などなかった。


 背後に感じた「気配」は馴染みのものだし、無視しても全く問題はなかったのだ。

 だが彼女の目にはそう映らなかった。


 意識の端で注目しているだけだったため、そこに向かって突き進むレイナの、突拍子もない行動に気付けなかった。


 ワンテンポ遅れて身を返した際に、その黒い刃に貫かれたレイナを見たのだ。


 アレクシスが一番最初に感じたのは「愚かな」という冷たすぎる感想だった。だってそうだろう。アレクシスはそんな攻撃に斃れるような人間ではないし、放っておいても何も問題なかった。


 その攻撃を前に身を挺するなんて、愚かとしか言いようがない。もしくは究極の自己満足だ。


 だがそんな冷酷無比な感情を打ち砕くように、吐血して腕に落ちてきたレイナは神々しい物でも見たように、尊敬と憧れと思慕の溢れた表情でアレクシスを見上げたのだ。


 今でも目を瞑れば脳裏にありありと蘇ってくる。


 最強といわれ、誰からも庇われることなく一人高みへと向かうアレクシスの裾を掴んで引っ張って、振り返った彼に、彼女は労わるような笑みを見せた。


 一人で行かないで、言われた気がした。


 そんなイメージが脳裏に湧く、見たこともない笑顔に目を見張り、ふらりと身体が均衡を失った。

 現実が押し寄せ、腹から血を流す彼女は、青ざめた顔に浮かべた微笑みのまま……。


「あの状況で好きだと言われて、堕ちない男はいないだろう」


 ぽつりと零す。


 あの瞬間、アレクシスの心はレイナに粉々に砕かれて、それから凄い勢いで再構築されたのだ。

 その事実が受け入れ難く、しばらくはレイナに近寄らなかった。だがどうしても気になって、訓練場にいると知って顔を出し、稽古と称して彼女と手合わせをした。


 ただの剣士ではなかった彼女は、努力に努力を重ね、不慣れな魔法も習得しアレクシスを見事、一歩後退させた。


 ……もとから心は彼女に握られていたので、好感度は増す一方。


 気付けば強引に彼女を補佐官にしていた。

 それからの日々は、アレクシスにとって今までとまるで違う生活だった。


「なあ、アレクシス。レイナは本当にお前のことが好きなのか?」


 友人としての言葉を発するジョイスに、じろりと視線を送り、眼光を持って黙らせる。


(確かに……確かにそう思う時はある)


 だが、死にそうな状況で口をついて出た言葉に偽りがあると思うほど、アレクシスは非情ではない。

 むしろ、あの時の本音を覚えておらず、アレクシスに対し未だに壁を築いているのだと解釈していた。


「この際、レイナの気持ちはどうでもいい」

「倫理的に問題のある発言!」


 彼女の本音はあの時聞いているから間違いない。それからの三年で嫌われたとは思わない。思いたくない。ていうか、思わせない。


 呆れかえる「友人のジョイス」にアレクシスは至極真面目な顔で切り出した。


「そのためにはまず既成事実だ」

「一足飛びだな、おい」


 半眼で突っ込むジョイスに、ふんと鼻を鳴らし、アレクシスは再びグラスを煽った。


「さっきも言ったが、そうしないとあの女は全く俺の好意に気付かない」

「そうだなぁ……部隊の人間全員が気付くくらいの構い方だが、他の部隊の人間は気付いてないしな」


 天井を見上げ、溜息と同時に言われた言葉に、アレクシスが目を見張った。


「なんだと?」

「あれ? 知らなかったんですか、タイチョー。レイナ、お前の代わりに作戦会議や報告会に参加するたび、他の隊長たちから声かけられてるんだぞ?」


 初耳だ。


 思わず険しい顔で睨み付ける。途端、「こわいこわいこわいこわい」とジョイスが身をのけ反らせた。


「どこの馬鹿だ、俺のレイナに不埒な声掛けをするのは」


 にっこりと笑って詰め寄れば、顔を逸らすジョイスが「まあそのなんだ」と語を濁す。


「吐け。全員叩きのめしてくる」

「お前に叩きのめされたら宵闇騎士団は終わる」

「俺がいれば問題ない」

「それは否定できない」


 額を押さえて呻くように告げるジョイスに更に詰め寄ると。


「ほぼ全員だよ、隊長格全員! 女性隊長も含めてほぼ皆がレイナを食事に誘ってたぞ」

「……………………へぇ」


 胸に渦巻くどす黒い感情の名前を、アレクシスは知っている。独占欲と嫉妬だ。


「いいか、ぶちのめそうとか考えるなよ? 全部レイナは断ってたんだから」


 その一言に、多少気分が上向く。


「そりゃそうだ。彼女は俺の補佐官だからな」


 本来は第一隊の補佐官、なのだが。第一隊隊長の補佐官でも別に問題ないだろう。

 うんうんと一人悦に入って頷くアレクシスに、ジョイスは呆れかえる。


「お前がそんなんだから、レイナ『隊長のお世話があるので無理です』って断ってるんだぞ? おかげで最強、最凶、最恐のお前は他の隊では人格破綻者に認定されてるのわかってるのか?」

「他にどう思われようが痛くもかゆくもない」


 レイナが自分の補佐官で、自分だけを気にかけてくれればそれでいい。


「お前がよくてもレイナが可哀想だろう。それに、お前が離さないからたまに嫌味を言われてるぞ? 王城の侍女とか結界塔の魔女とか他の隊の騎士たちに」


 超絶美形で腕は立ち、向かうところ敵なしの若い男なんて、その肩書に惚れる人間が山ほど現れる。

 実態を知らない連中が、英雄たるアレクシスが傍に置いて離さない存在を妬ましく思わないわけがないのだ。


「それで? レイナはどうしてるんだ?」


 悲しそうに心を痛めるレイナを予想して、もしそうならとことん甘やかして癒してやろうなんてによによしながら考えていると、ジョイスはうろっと視線を泳がせた。


「──……欲しいなら丁寧にラッピングしてくれてやるって」

「………………」


 甘やかすのも癒すのも決定したが、方向性は変えることにするとアレクシスは決意するのであった。


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