第15話 そして夜は更けていく



「……何やってんの?」


 上司を晩餐に送り込むと同時に、部屋での留守番を申し付けられたレイナは出て行く気満々だった。


 二百五十名の隊員の接待は絶対に大変だ。


 自分達で料理や部屋の用意をするとはいえ、屋敷を預かる使用人たちにしてみればいい迷惑だろう。

 そもそも、第一隊だけがここに逗留する。後発の部隊はわざわざリューネの森を通ったりしない。それも申し訳なくて、張り切って手伝う気だったのだ。


 だが上司は一枚も二枚も上手だった。


 出て行く間際に晩餐と同じ料理がアレクシスの部屋に届き始め、使用人が傍に立って給仕をされたので出るに出られなかった。


 食事が終わるころにあっさり上司が戻って来て、「お茶をくれ」と言われては淹れるしかない。

 補佐官の仕事ではないと、ぶちぶち文句を言ったが、「レイナのお茶が飲みたい」と言われては淹れるしかない。


 その後、部屋でまったりのんびりしていたが、どう考えてもオカシナ状況である。


 よって。


「隊長の護衛に任命されたので廊下で見張り番をしております」


 目を丸くするジョイスに淡々と答えると、彼は遠い目をした。


「今現在、最も護衛が必要ないのがアレクシスだと思うんだが」


 彼なら暗殺者なり暴漢なり、魔族でさえ入った瞬間に消し飛ぶだろう。


「私もそう思います」

「……じゃあ何のために護衛を?」


 恐る恐る尋ねるジョイスに、レイナはやけくそ気味に胸を張った。


「隊長が部屋を離れてミス・ダイヤモンドの部屋に押し入るのを防ぐためです」


 その台詞に、ジョイスは更に更に遠い目をした。


「行くと決めたあいつを止められる生物がいたらそれはどの種族のなんという生き物か教えてほしいんだが」


 生物学上いないと、暗に告げている。


「……私もそう思います」

「…………なあ、レイナ」


 恐る恐るジョイスが口にする。


「はい」

「……一晩ここに居るつもりなのか?」


 その言葉に、はーっと深い溜息をもらす。


「これでも隊長の譲歩を引き出したんです。元は部屋に閉じ込められる予定でしたから」


 それは色々アウトだろう、とジョイスが引き気味に言おうとして。


「ごちゃごちゃ立ち話をするんなら部屋詰めに変更するぞ」


 唐突に扉が開き、濡れた髪にシャツを羽織っただけのアレクシスが顔を出した。

 部屋には入浴設備が整っており、シャワーを浴びていたようだ。


 ふわっと温かな蒸気と石鹸の香りがしてレイナの鼓動が跳ね上がった。


(? 不整脈かな?)


 胸に手を当てて首をひねる。そんなレイナをじっと見つめた後、アレクシスは心底嫌そうな顔でジョイスを見た。


「何の用だ」


 仏頂面で切り出され、ジョイスがへらりと笑みを返す。


「個人的にお話したいなと思ってね」


 隊長と副隊長という関係だが、二人は元同期だ。年齢も同じでどこか腐れ縁のような雰囲気が二人の間にある。


「俺にはない」

「お前に無くても俺にはあるの」


 じっと朱金の瞳を見つめるジョイスに、レイナはなんとなく二人の間に入れない空気を感じた。

 レイナもアレクシスの補佐官だが、副隊長のように彼の責任を肩代わりする立場にはない。あくまでアレクシスの……そして隊のサポート役なのだ。


 アレクシスが最も信頼するのがジョイスだ。そしてそれに応えるだけの力がある。


 いやいやながら溜息を洩らしたアレクシスがじろっとレイナを見た。


「レイナ、部屋にいて」

「……え?」

「ジョイスの話を聞いてくるから」

「……だったら護衛の意味ないですよね?」


 対象がどこかに出かけ、警護の任は副隊長のジョイスに引き継がれる形となる。ならばもう、自分は一緒にいる必要はないだろう。


 東棟に帰ります、とさっさと告げようとして、アレクシスの手が伸びてきた。


「部屋にいて」


 腕を掴まれ、引き寄せられる。再び石鹸の香りがしてレイナは目を白黒させた。


「あ、あの……」

「東棟は入浴設備なんてないんだろ? 昼間泉に入っただけだし、ここのシャワー使っていいから」


 それから唇をレイナの耳元に寄せる。


「……さらしと下着の下、ちゃんと洗わないと」

「そういうことを言わないッ」


 真っ赤になって身を反らすレイナをじっと見つめ、そのままぐいーっと腕を引っ張って部屋の中に押し込める。


「戻ってくるまでここにいること。もしいなかったら全部引っぺがして聖呪の刑だからな」

「もはや刑罰になってるじゃないですか!?」


 振り返って喚くが、上司はきちんとシャツを着てさっさと出て行く。


 一人部屋に残されたレイナは肺の中身を全て吐き出すように溜息を吐くと、ぐるりと室内を見渡した。

 窓際に一つ書き物机が置いてあり、その上に中サイズの瓶が置いてあった。よくジャムを入れるような蓋に掛け金の付いたそれは、中に琥珀色の塊が入っていた。


(なんだろ……)


 持ち上げて矯めつ眇めつするが、凍っているようで瓶の側面がうっすら結露していることしかわからなかった。


(ま、いっか。隊長、いつ戻って来るかわからないし……今は言葉に甘えよう)


 確かにあの時、さらしを解いてドロワーズを脱がなかった。いや、着替えるのに脱いだから特に何も異変はないとは思う。だがあの時はほんの一瞬だったし……。


(確認して損はないしね)


 そう考えて、レイナは温水設備のある浴室へと足を向けるのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る