第14話 ミス・ダイヤモンドのお願い



「お願いです、ティントレイ卿。どうか、私の身の安全のためにも護衛役を買って出てください」


 深窓の令嬢、ミス・ダイヤモンドが恐怖に冷たくなった手でレイナの手を握り、今にも零れ落ちそうな涙を湛えた瞳で見上げてくる。


 そんなダイヤモンドに彼女は遠い目をした。


 二人が遅れて到着した本日の宿泊先は、この地方の領主でもある伯爵の館だ。


 部下たちは全員、使用人たちが寝泊まりする東棟の部屋が割り当てられ、隊長と副隊長、それとミス・ダイヤモンドは主たちが暮らす主棟にゲストルームを用意されている。


 レイナは補佐官として、他の隊員の監督業務があるので主棟に部屋はない。

 その彼女の手を取り、ダイヤモンドが訴えるのだ。


「……護衛、ですか」


 確かに。確かに……ミス・ダイヤモンドの護衛は必要だろう。だがそれは道中の話で、伯爵家の皆さんと隊長、副隊長のみが逗留する主棟のどこに……ミス・ダイヤモンドを襲う恐れのある人間がいるというのだ。


(まあ……話はそういうことじゃないんだろうケド……)


 頭痛がする。


 額に手を当てて、レイナは上司が彼女に吹き込んだことを訂正しようかと本気で考えた。



 ──別に男が全員魔族なのではなく、ごく一部の不埒な連中が女性を襲って頭から喰うのであってこちらにいらっしゃる皆さまは問題ありませんよ。



 ただそう告げるだけで、レイナは腕を掴んで必死に見上げるダイヤモンドから離れて、貴族の邸宅にそわそわしている隊員の監督業務に戻れる。


 宵闇騎士団にはそれなりに上流階級の子息、子女が混じってはいるが、広く一般からも募集をかけ、実力のあるものが採用されるために、貴族世界を知らない人間も一定数いる。


 騒動を起こすことはないが、それでも浮足立っているのは明白で、薦められるがままに酒なんか飲んで酩酊してもらっては困るのだ。


(隊長には悪いけど、ちゃんと説明をして……そもそも、ミス・ダイヤモンドと隊長は婚約するのよね?)


 なんだかはぐらかされたが、結界塔と騎士団の繋がりは希望されるもののはずだ。だとしたらいつまでもダイヤモンドの目を塞いでいるわけにもいかない。


 こほん、と咳払いをする。


 もちろん、レイナに彼女に説いて聞かせるような恋愛知識はない。だが少なくとも箱入りではないし、一応は有名な騎士家系の娘で兄が三人いるのだから、男性のことはわかっている……と思う。


(きちんと理性的な男性がいることを説明すれば……)


「いいですか、ミス・ダイヤモンド。この伯爵家の……さらにはこの主棟に暮らしてらっしゃる伯爵と、一緒に滞在を許可されたアレクシス隊長とジョイス副隊長は──」

「安心してください、ミス・ダイヤモンド。彼女にちゃんと護衛役を全うさせますから」


 もが、と口を塞がれて続く言葉を封じられたレイナは、足音もなく近寄り背後をとったアレクシスに戦慄する。


(どっから現れた、この変態上司!?)


 文字通り神出鬼没過ぎて身体が震える。そんな目をむくレイナを他所に、アレクシスは光り輝く笑顔で続けた。


「わたしの部屋には彼女が見張りとして逗留しますので」

(はあ!?)

「まあ、そうなのですか?」


 ぱあっとダイヤモンドの顔が輝き、アレクシスに負けず劣らずなそれはそれは晴れやかな笑顔を目にする。


「それなら安心ですね」

(なにがだよ!?)


 百歩譲ってダイヤモンドの部屋の見張りだと思っていた。それが何故、隊長の部屋に逗留するになるのだ。


(ん? でもそうなると……)


 始終ダイヤモンドに張り付くわけではない、ということになる。つまり、建前として成立する。

 アレクシスがダイヤモンドを襲うわけがないので、彼の元にいるということにして監督業務ができるではないか。


(さすが隊長……)


 元はといえばこの男のせいで苦労しているのだが、この時はそんな思考がすっぽり抜けていた。


「わたしの阻止はティントレイが責任をもって行いますので、ミス・ダイヤモンドは安心してお休みください」


 そう告げるアレクシスに、ほっと胸を撫でおろしダイヤモンドが「では晩餐会で」と安心した様に笑って部屋へと入っていく。


 晩餐は八の鐘の頃だというから、あと二時間はある。


 彼女の手伝いには伯爵家の侍女が選ばれているし、レイナは身体から力を抜くと振り返ってアレクシスに頭を下げた。


「ありがとうございます。これで任務に戻れます」


 そもそもレイナの任務は聖水運搬の指揮で、ミス・ダイヤモンドのお守りは入っていない。補佐官としてルートの確認と旅先での折衝、精霊の都での聖水確保が彼女の仕事なのだ。


 早速、隊員の点呼と食事の準備をしなければと、一礼して歩き出そうとするレイナの手首を上司が掴んだ。


「どこにいく?」


 きょとんとした顔で言われ、彼女は目を瞬いた。


「東棟の食事の準備です。伯爵はこちらで準備すると言ってくれましたが、隊員は250名ですから、東棟を占拠する上に食事まで用意していただくのは無理があるかと」


 なので自分たちのことは自分たちでするよう、監督しなくてはならないのだ。


 そう告げて踵を返すレイナに彼は目を細め、ゆっくりと手を伸ばすとその肩を掴んだ。


「レイナのお仕事は俺の見張りだろ?」


 振り返ると超絶いい笑顔を見せられる。


「…………………………は?」

「監督業はウェーバーに頼んである。君は俺と一緒に晩餐会に」

「お断りします」


 間髪入れずに答える。


「なんで?」

「なんでって……晩餐会は招待客が出席するもので、呼ばれているのは主棟に滞在するミス・ダイヤモンドと隊長、副隊長です」


 それ以外の席などない。


「心配するな。用意してもらうから」

「隊長ッ」


 いそいそとその場を離れようとするトンデモナイ上司の肩を掴み、笑顔で振り返る彼に座った目を向けた。


「もしも……もしも、ですよ? 私を晩餐会に引っ張り出すつもりなら──」


 すうっと目を細め、慈悲深い笑みを浮かべる。


「辞表を出します」

「……冗談だろ?」


 はは、とアレクシスが軽く笑い飛ばそうとするが、レイナは古代彫像がよくする、無表情なのに口元にだけ微笑みを湛えた表情で無言を貫いた。


 この上司はこれくらいしないと通じないのだ。


「……わかったよ、我慢する」


 はあっと深い溜息を吐かれ、まるでレイナが悪いような気になるがそんなことはもちろんない。


「じゃあ、隊長はさっさと晩餐の準備をしてください。私は他の連中の食事を」

「だからそれはウェーバーに頼んだって言っただろ」


 ぐいっと腕を掴まれていい笑顔を見せられる。


「……監督業をウェーバーに任せたとしても、私も自分の部屋の支度とか、料理をしたりとか」

「お前は誰の補佐官?」


 首を傾げて告げられて閉口する。


「……アレクシス卿のです」


 胡乱気な眼差しで告げると、「んじゃ、お世話よろしく」とにんまり笑って宣言されてしまうのだった。



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