第13話 リューネの森 ④
「いないな」
(し……白々しいッ)
レイナの荷物を持っている時点で彼女の馬に遭遇しているはずだ。その馬だけいないということは、上司が返したに決まっている。
はーっと深い溜息を吐き、レイナはきっと顔を上げる。それから後ろに腕を組んで胸を張った。
「では私が隊長の馬を先導させていただきます」
アレクシスが騎乗する馬の手綱をとろうとして、ひょいっと上司に取り上げられる。
「……隊長」
「俺が可愛い部下を一人、歩かせるわけないでしょう」
軽く頬を膨らませて言われるが……全くもってありがたくない。
「いえ、歩きます」
「一緒に乗って」
「手綱をお渡しください」
「いやだ」
「隊長」
「命令してもいいんだよ? ティントレイ」
ぐ、とレイナの喉の奥から変な声が漏れた。命令されたら最後、従わなければいけなくなる。だが……。
「隊長、私は隊長の補佐官であり、宵闇騎士団第一隊の騎士です。上司の馬に同乗するわけにはいきません」
「何故?」
口元に妙な色気のある笑みを湛え、首を傾げるこの男の頭の中はどうなっているのか。
何故も何もないだろう。
「今まで負傷した騎士以外で、誰かの馬に乗るようなことはなかったと思います。私は負傷してませんし、自力走行可能です」
「……じゃあさ、レイナ」
ドS上司の声が弾み、嫌な予感に冷や汗が流れる。ぐっと唇を噛んで、馬上の人を見上げれば、彼はミントばりに爽やかな笑顔を見せた。
「乗るように命令されるか、自力走行不可能なほど、足腰立たなくさせられるかどっちがいい?」
「乗ります」
迷うことなく断言した。
「素直でよろしい」
差し伸べる隊長の手を無視し、レイナは彼の後ろに乗ろうとする。もちろん、上司がそれを許すわけがなく。
「ホント君って懲りないよね」
ぐいっと腕を掴んで正面に引き寄せると腰を掴んで持ち上げた。
そのままアレクシスの前に横座りに下ろされる。
「さて、逗留先はどっちかな~」
「あっちです、隊長。反対方向に進まない」
「えー」
(なんでこの人こんなに楽しそうなんだか……ッ)
レイナを前に乗せて鼻歌でも歌いだしそうなほど、彼は上機嫌だ。その理由が全くわからず、溜息を吐く。
(三年傍にいるけど……この人が一喜一憂する条件がよくわからない)
これほどわかりやすい人間がどこにいるんだよ!? というジョイスのツッコミが聞こえてきそうだが、いたって本人は真面目だ。
「そうそう、レイナ。さっきの巨大花との戦闘だけど……本当に怪我はない?」
そっと尋ねられて、レイナは自分の新しい隊服を見た。
「さっき泉で見たじゃないですか。変な匂いがしただけで問題はないです」
淡々と答えれば、「ふうん」と妙に含みのある返答が来た。
「……何か問題が?」
思わず振り返って尋ねれば、彼は手綱を外した右手を顎に当てて、じっとレイナの胸の辺りに視線を固定する。
「さらしと下着の下を見てない」
「見なくていいですなにセクハラ一発アウト発言してるんですか、あなたはっ」
歯をむいて喚き返すも、彼はただ朱金の目をすっと細くして、まるで衣服の下を透視するような表情になる。
「消化液がかかってたからね。全部確認しないと」
「させませんよ? そんな、ちょっと悲しげな顔しても駄目です、やりません」
はあっと耳元で溜息を吐かれ、レイナの背筋がますます伸びる。馬車の中で彼の膝に座らされていたが、あの時耐性ができていて本当によかった。
そうでなければ、首筋に額を押し当てられてぐりぐりされた時点で卒倒していたかもしれない。
「って、何やってるんですか!?」
「なあ、もう観念して、俺に聖呪書かせて」
「無茶言わないでください」
「無茶してるのは君だよ? 自覚無いわけ?」
拗ねたような声がして、これが第一隊が奮戦した巨大花の魔物を一刀に伏した人間の台詞かと頭を抱えたくなる。
「レイナ……」
熱い吐息が首筋に触れて、思わず横に身体をずらす。
「そんなところで喋らない! それに、見てわかったと思いますが消化液を受けても隊服は溶けませんでした。思うに……縫製用の糸がまずかったんだと」
流石に糸にまで防御魔法を付与してはいない。だからそこから崩れたんだと拳を握り締めて訴える。
「糸に防御魔法を施せば、今回のような件は回避できます。なので隊長が言う『聖呪』とやらを授けられるいわれはありません」
「……わかったよ」
(納得してないな)
どうしてそこまでレイナを心配するのか、ほんの少し腹立たしくほんの少し悲しくなる。
だってそうではないか。
(私……そんなに弱いかな)
もちろん、アレクシスにしてみれば第一隊はおろか、第四まである隊の全員が束になってかかっても勝てないだろう。
彼の父である総帥だってアレクシスとの手合わせは嫌がるくらいだ。
そんな彼と自分の強さを比較してもどうにもならない。
だが……部隊の誰にも「聖呪を書いてやる」と申し出ず、自分にばかりそういってくるというのは……。
(まだ隊長が求める理想の強さではないってことか)
もっともっと……強くならなくては。
その時に脳裏に浮かんだのは、騎士になって十年のシシリーだ。
彼女は戦闘の邪魔になるからと金髪を刈り上げ、身体は筋骨隆々で日に焼けた肌が眩しい。ただ目が綺麗で可愛らしく、女性らしい装いも好きなようで赤い口紅をしていたりする。
母強し、という言葉があるが、彼女は精神的にも物理的にも強そうだった。
「……もっと手合わせの回数を増やして……討伐戦にも積極的に参加するべきかな」
「ん?」
ぽつりと漏れたレイナの言葉を、耳敏いアレクシスが聞きつける。
「何の話?」
「……いえ。やっぱり、補佐官の任を辞して小隊長を志願するべきかなと」
「駄目に決まってるだろ」
ひんやりした声が頬を掠め、レイナは前を見たまま半眼になる。
何故、と問わなくてもわかる。
そもそもこの男の補佐官を務められる人材が皆無なのだ。
「……隊長もそろそろご自身で、書類仕事や会議や他部隊との連携等をやっていただいたほうが」
「馬鹿だな、レイナ」
ふっと甘い声がする。耳元でアレクシスがぞっとするようなことを囁いた。
「俺がその仕事をし始めたら、君がすることは一つだけになっちゃうよ?」
「……何ですか? 隊長の護衛役ですか?」
それこそ無用の長物だ。
レイナが悪漢に気付く前にこの男が排除するだろう。絶対。
「……そうかもね」
くすくすと楽しそうに笑う上機嫌な上司を尻目に、レイナは溜息を洩らした。
(護衛役しかすることがなくなるなら……やっぱり鍛えないと駄目か)
アレクシスが聞いたら「チガウ、ソウジャナイ」と片言で否定されそうなことを真剣に考えながら、二人を乗せた馬は街へと向かって進んでいくのだった。
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