第12話 リューネの森 ③



「泉ですか……」

「レイナ」


 肩を掴んでくるりと振り返らされ、レイナは目を瞬く。頭のてっぺんから爪先まで視線でなぞられて、居心地悪く脚を踏みかえる。


 実際、レイナが着ているのは半分溶け落ちた一枚布のシャツとドロワーズだけだ。

 腕も足もすっかり晒している状況でいたたまれず、うろ~っと視線を逸らした。


「怪我はないな」


 重々しい口調で言われ、レイナは背筋を伸ばす。


「大丈夫です」

「取り敢えず、その甘ったるいにおいを落としてこい」


 腕を組んで顎で泉をさししめされて、肩を落としてすごすごと清水が溢れる水辺に近寄った。


(鼻が馬鹿になっててわからない……)


 ただ確かに胸が悪く吐き気が込み上げてくるが、最初に感じた甘ったるい香りはわからない。それでも消化液がかかった服を洗濯する気分で、唯一無事だったブーツを脱いで泉に飛び込んだ。


 深さはレイナの腰の高さほどでしゃがみ込んで頭まで清水に浸かる。

 綺麗な水の中は真っ白な水中花がゆらゆらと揺れている。鱗が虹色の魚がついっと泳いでいくのを見ながら、レイナはざばっと立ち上がった。


 石鹸でもあれば綺麗になるのだろうが、水を汚してしまう。


(消化液も似たようなものかな……)


 でも植物由来成分だから問題ないかも──魔物だったけど。


 ごしごしとシャツの裾を摘まんで洗い、余計に破れが広がるが仕方ない。ドロワーズを脱ぐわけにもいかず、胸を支えるよう巻いたさらしも解かずにひたすら水を浴びた。


 岸辺に視線を遣ればいつの間にか隊長がいない。


 まだ隊を指揮する仕事が残っているのだろうと申し訳なく思いながら、レイナはゆっくりと冷たい水から立ち上がった。


(……着替えは……)


 自分の荷物は乗ろうと思っていた馬に括り付けられている。馬を回収しなくては、と歩き出そうとして、がさがさと下草をかき分けてアレクシスが戻って来た。


「ほら」


 荷物を差し出され小走りに近づく。


「ありがとうございます」


 ほっとして荷物を受け取り、アレクシスが差し出す乾いた布に手を伸ばす。と、頭からかぶされ、酷く乱暴に髪を掻きまわされた。


「ちょ」

「まったく! 俺以外のやつに変な液体かけられるわ、変なにおいつけられるわ、服はどっかいくわ……」


 ぶつぶつと不穏なつぶやきが聞こえるが、がしがしと動く彼の手に返答もできない。

 最終的には身体まで拭われて、レイナは悲鳴交じりの声を上げた。


「もう結構です!」

「馬鹿いえ。誰のせいでこうなったと思っている」

「服が吹き飛んだのは間違いなく隊長のせいです」


 言えば、軽く目を見張った後ふんっと鼻を鳴らされた。


「そもそもお前が消化液をまともに喰らうからだ」

「避けれませんよ、あの至近距離では」


 濡れた布を畳み、しゃがみ込んで荷物をあさり、替えのシャツと下着、制服を取り出してはたと振り返った。


 腕を組んだアレクシスがじっとレイナを見ていた。


「…………あの」

「なんだ」

「……確かに、私が所属する宵闇騎士団では男女分け隔てなく、実力主義を貫いています。そのため遠征先で男女区別なく雑魚寝をすることも多々あり、危機的状況では下着姿も仕方ないと諦めてはいますが……」


 長い長い前置きに、アレクシスが眉を上げる。


「それで?」

「……ただそれはあくまで下着姿までで……」

「今もそうだな」

「そうですけど!」


 これからレイナは濡れたシャツとドロワーズを着替えるのだ。つまり……胸はさらしを巻いているが下半身を晒すことになる。


 シャツに色気のないドロワーズという格好はいいにしても、流石に半裸を見せるわけにはいかない。


 そう視線で訴えるが、上司は軽く眉を上げるだけだ。


(この人はッ……!)

「さっさと着ろ。風邪ひくぞ」

「わ、わかってます! わかってますけど……」


 うろっと視線を彷徨わせ、レイナは上司が背を向けるでも目を隠すでもない堂々とした立ち姿に閉口する。それから一つ溜息を吐くと衣類を抱えて近くの木立へと向かった。


「なんだ?」

「つ、付いてこないでくださいッ」

「今さっき俺の目の前で多大なる失態を犯したくせに?」

「他にも吊り下げられていた騎士はいたでしょう!?」

「無様に服が解けたのはお前だけ」


 ぎりぃ、と奥歯を噛み締めて歯をむき出すレイナに、アレクシスはようやく溜息を吐いた。


「わかった。見ないからさっさと着替えろ」

「どうもありがとうございますっ」


 一音一音強調して告げ、レイナは手早くボロボロのシャツを脱いで着替える。それよりももっとスピードを増してドロワーズを履き替え、ようやく隊服を着た。


「もういい?」

「了承する前に振り返らないッ!」


 振り返っていいか? という確認と同時に振り返るとはどういうことだ。

 それでも濡れた髪を手早くポニーテールに結び直し、ようやく一息つく。


「……さて、レイナ・ティントレイ」


 再び並んで歩き出し、残された一頭の馬の前にレイナは周囲をきょろきょろと見渡した。


 立派な黒い馬は隊長の愛馬だ。それはいいとして、自分の馬はいずこに?


「約束は覚えてるかな?」

「……約束?」


 馬が気になって頭が回らない。鸚鵡返しすると、彼女の腕を掴んで引き寄せたアレクシスがじっと顔を覗き込んできた。


「負けたら全裸でベッドに転がすという約束だ」

 ……──あ~……それね……。


「負けてないので無効です」

「俺以外の相手に脱がされたのに?」

「い、い、か、た」


 ぎろっと睨み付ければ、最凶の上司は肩をすくめる。


「まあ、お前の服を最終的に飛ばしたのは俺だからよしするか」

「どういう理屈ですか」


 多少機嫌が上昇したのか、楽しそうに馬に跨るアレクシスを横目に、レイナはじわじわ不安が募ってきた。


「あの……私の馬は?」


 恐る恐る尋ねると、アレクシスはサラッと周囲を見渡した後、さも驚いたように目を見張った。



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