第10話 リューネの森 ①


 その森の中は、頭上の光を求めるように、沢山の木々の葉が折り重なって恩恵を受け、お陰で地面に光は届かずじめっとした空気が漂っていた。

 足元の腐葉土は水を吸い過ぎたスポンジのようで、踏みしめる度にじんわりと水が湧いてくる。


 昼だというのに薄暗いそこで、べきべきと何かが軋んで折れるような音がして、馬車から下りたレイナは騎士たちの視線の先へと目をやった。


「あれが……!」


 巨大な釣鐘草のような形をした、毒々しいピンクと黒の巨大な花には、ずらりと肉食獣の犬歯に似た牙が並んでいる。

 薔薇の棘にも似た針の付く茎を触手のように周囲に伸ばし、捕まえた物の肉に突き刺し花の中へと落としているようだ。


「……自走するのか?」


 思わずレイナが尋ねると、うんざりしたようにジョイスが頷く。


「足元を見てみろ」


 うねうねと根っこが波打ち、ずるずると湿った大地を移動している。

 だがそれほど俊敏には見えない。


「あれくらいなら一刀両断できるんじゃないのか?」


 思わずそう言えば、ジョイスが渋面で首を振った。


「そう思うだろう? けど」

「うわあッ!」


 その瞬間、叫び声が聞こえ、はっとレイナが視線を転じた。その先で足を蔦に絡め取られた騎士の一人が空中にぷらーんと宙づりにされているのが見えた。


「……ああやって先に捕まる」

「何をやっている!」


 溜息交じりのジョイスの言に構わず、レイナの怒声が飛んだ。


「さっさと切り払え!」

「し、しかしティントレイ卿」


 レイナの檄に反射的に動いた騎士が、一人を捕まえる蔦に斬りかかるが、がきん、という耳障りな音を立てただけでびくともしない。


「消化液を体内に溜め込んでいるようで、表皮は結構な硬さなんだよな」


 呑気に告げる副隊長に歯噛みし、レイナがずかずかと前に出た。

 手に魔力を集中させ、得意の火焔魔法を出現させる。


「なら燃やせばいいッ!」


 掌から出現させた火の玉を放てば、ごおっと音を立てて一直線に巨大花へと向かった。だが何本もある蔦の一つが消化液を吐きだし、じゅっと音を立てて魔法の炎が霧散した。


「なっ!?」

「どうやらただの消化液でもないみたいんだよなぁ」

「さっきからなんで他人事なんですか、あなたはッ!」


 喚き返し、レイナは部隊全員で吊り下げられている仲間が消化液の溜まった釣鐘草に落とされるのを必死に防ぐ。


「負けたらわかってるよな?」


 のんびりした声がして、レイナは殺気の滲んだ眼差しで声の主を振り返った。


 いつの間にか馬車を下りた上司が、大きな岩に背を預け、腕を組んで立っている。

 せせら笑うようなその表情に、ぎりっとレイナは歯噛みした。


「わかってますッ」

「お前らも、を倒せないようなら騎士なんかやめて田舎に帰れ」

(この男はッ)


 非常時にもれなく発揮されるドSっぷりに苛立ちながら、レイナは声を張った。


「隊長が出張る前に何としても倒せ!」


 もはや何が敵なのかさっぱりだ。


 あちこちから剣戟の音が響き、多少は切り崩すも飛び散る消化液を前にダメージが蓄積される。

 今のところ服が溶けおちることはないが、甘ったるい香りに気分を害するものが増えていき、動きが鈍って来る。


 消化液ダイブは免れてるが、あちこちで宙ぶらりんになる騎士が増えて来て、レイナは歯噛みした。


(これじゃあジリ貧だ……ッ!)


 負けもしないが勝てもしない。


 ただ闇雲に斬ってかかるだけでは駄目だ。


(植物系の魔物だから炎に弱いと思ったんだけど)


 火焔系の攻撃は確かに巨大花をひるませてはいる。だが、何故か燃え上がらない。


(剣で表皮を削る? 野菜の皮むきみたいに……)


 さりさりさり~っと蔦の表面をむけばいけるのでは?


 そんなことを考えていたせいか、伸びてきた一撃を後方に飛んで回避した瞬間、背後から回り込んでいた蔦の一つに足首を絡め取られてしまった。


「ッ!」


 ぐるん、と視界が回転し揺れる。急に高くなった目線の先、かすかに上司が身を浮かせるのが見えた。

 はっとしたような表情の次に、かすかに口元が笑みの形に歪む。


(まずいッ)


 彼が動けばコンマ一秒で片が付く。神速は伊達ではない。


(そうしたらひん剥かれてベッドに放り出されて辱めを受けるッ!)


 いくら身を護るためとはいえ、先に色々なものが死ぬッ! 人としての尊厳とか何か色々がッ!


「レーイナ」


 楽しそうな声がした。


(いや字が違うッ! 愉しそうだ、この場合ッ!)


 きっと眦を決し、レイナは脳を高速フル回転させて状況打破を編み出そうとした。


 今やレイナの敵は巨大花ではなく上司だ。


 ぶらんぶらんと振り回され、どこかにこの花の弱点は無いかと目を凝らした。


 魔法は効かない。剣戟も跳ね返される。やっぱり表面スライサーしかないか? だがそれは刃が入ることが条件で……。

 その瞬間、もう一つの蔦が顔の目の前に迫っていることに気が付き、咄嗟に身体を捻った。ぶはっと噴出した消化液が身体に掛かる。


(ぐっ……)


 甘ったるい香りが全身を包み込み、胃の腑がひっくり返りそうになった。


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