第8話 オカシナ提案 ③



 滞りなく隊列は進み、一行は精霊の都を目指しつつ大きく迂回する。意味不明なリューネの森まであとどれくらいだろうかと、上司の膝の上で腰を捻り、レイナは窓から外を見ようとした。


「……レイナ」

「はい」


 もうこの状態から逃れることは諦めた。身を捩って自分の背中側になる窓から外を覗く彼女を、アレクシスが腕を伸ばして引き寄せた。


「……なんですか」


 見えたのは遠く紫に煙る山と、まばらな森。それと農地だ。まだ到着していない。

 強引にレイナを元の状態にしたアレクシスを下から睨み上げれば、彼はすっと目を細め、物凄く真剣な表情で囁く。


「いきなり動くな。心臓に悪い」

「…………………………はぁ」


 まったく意味がわからない、パート2。


 思わず半眼になると、彼はちらりとレイナを見下ろした後、深い溜息を吐いて馬車の天井を見上げた。


「他の人間……俺の父まで理解を示しているというのに、当の本人は何も気づいてないなんて……俺は何か間違えたのかな」


 ぶつぶつと低い声で意味不明のつぶやきを漏らすアレクシスを不審な思いで見つめる。この男の傍若無人振りは三年で身に染みていたので、考えるだけ無駄だと切り捨てレイナは視線を正面に戻した。


 いい加減、上司の膝に横座りし、揺れる度に肩に捕まる状況を改善したい。


 見れば、広い座席でクッションを抱えたダイヤモンドがこっくりこっくりと船を漕いでいる。


「ミス・ダイヤモンド」


 今にも座席から落ちそうな彼女にそっと声をかけると、はっと彼女が身を起こす。

 ぽっと頬を染めて恥ずかしそうに視線を落とす彼女を、「可愛いなぁ」なんて思いながら見つめ、レイナは優し気に告げた。


「きっと作法のお勉強や、精霊の都での交流の練習でお疲れなのでしょう。横になって構いませんよ?」


 がたん、と馬車が揺れ、思わずアレクシスの首に抱き着く。はっきり言ってその状況で言う台詞ではないが、ダイヤモンドは気恥ずかし気にこちらを見て、それからおずおずと唇を開いた。


「……コードウェル卿から男性の前で無防備に寝ると襲われると聞いたのですが」


 思わず目をむいて上司を睨み付ける。

 彼は爽やかすぎる笑顔でダイヤモンドを見た。


「ですが今はティントレイがおりますので。問題ありませんよ」

(この男……薄々気付いてたけど……トンデモナイ説明してないか……?)


 口の端を震わせるレイナを一瞥し、アレクシスはにっこり笑う。


「まだ到着まで時間がありますから。横になっていただいて構いません」


 じっとレイナに視線を落としたまま告げられ、その夕焼け色の瞳に滲む不可解な色にどきりとする。


 ぎこちなく視線を逸らし、ダイヤモンドを見れば、彼女は照れたように微笑んで「ではお言葉に甘えます」と広い座席にゆっくりと身体を横たえる。


 顔の横で両手を組んで目を閉じる姿は、さながら絵画のような神々しさを称えている。

 思わず頬を緩め、その様子を見つめていると、やがてすよすよと心地よい寝息が聞こえてきた。

 それもしばらく聞いた後、完全にダイヤモンドが寝たとわかった瞬間、レイナはぐいっと上司の胸を押した。


「これで私を抱えている理由はなくなりましたね」


 ぴきぴきとこめかみと口の端を引きつらせて慇懃無礼に告げると、ちらりと視線を落とすアレクシスが食えない笑みを浮かべた。


「いいや。男の前で絶対に無防備に寝てはいけない……そうお教えしたのだから、我々は基本この格好でいるべきだろう」

(いや確かにそうですけど、後半部分が間違っている)


 頭痛がしてきた。


 額に手を当てて溜息を堪えるレイナをじっと見つめた後、上司がふうっと溜息を吐いた。


「仕方ない。降りていいよ」

「!」


 この上司が折れるなんて。


(前言を撤回される前に)


 大急ぎで彼の膝から下りて、よろけるように隣に腰を下ろす。


(な……長かったッ!)


 変に緊張していたせいで太もも辺りが強張っている。それを伸ばすようにストレッチをしていると、その太ももに、いきなり彼が頭を乗せてきた。


「ふぁ!?」

「声がでかい」


 慌てて口を押えて正面を見れば、ダイヤモンドは天使の微笑みを浮かべて眠っている。


「な、な」

「なにするんですか、か? 見てわかるだろ。膝枕だよ」

「な、な」

「なんでかって? そりゃお前、俺がミス・ダイヤモンドを襲わないようにだ」

「な、な」

「何故そうなるのか? 理由は俺が、『男は全員魔族で女性を食うことしか考えてないケダモノばかりだ』と説明したからだ」

「な、な」

「別にいいだろ? 事実なんだし」

「事実じゃありません! ていうか、人の質問に先回りするのやめてくださいッ」


 くわっと目を見開いて太ももに頭を乗せる上司を見下ろせば、彼は、はあっと心底めんどくさそうに溜息を吐いた。


「俺とミス・ダイヤモンドに婚姻の話があるのは知ってるだろう?」

「この間知りました」


 伝統としてあるのだと、今まで全く知らなかった。じっと正面で眠るダイヤモンドに視線を据えていると、何故か手を伸ばしたアレクシスがそっとレイナの顎をくすぐる。


「!?」


 セクハラですよ、とぎっと視線を落とせば、彼はレイナを見ているような見ていないような……そんな眼差しをしている。


「ミス・ダイヤモンドは箱入りどころか、結界塔の封印されし純粋培養のお嬢様だ。そんな世間ずれしてない女が、剣術しか取り柄のない野郎どもの中に放り込まれたらどうなると思う?」

「……女性を食い物にするような連中はいないと信じたいのですが」


 平板な声でそう答えれば、「確かにな」と珍しくアレクシスが苦笑する。


「だが彼女は結界塔の切り札だ。その彼女とお近づきになりたい……さらには手を出してモノにしてしまいたいと利権がらみで考える野郎がいることは、お前も否定できないだろう?」


 それは騎士団に限ったことではない。

 王政に関わる全ての権力者が結界塔の姫ともいえるダイヤモンドを手に入れて、文字通りその威光を盾に発言力を増したいと願うだろう。


 結界塔は国土防衛の要だ。


 宵闇騎士団を筆頭に、王城の警備を司る近衛騎士やそれらを統括する王国軍は武力を要し、結界塔は古代魔導化学を使って国を護っている。

 そこのトップの娘であるミス・ダイヤモンドは王政で大きな口をききたい人間には非常に魅力的に映るはずだ。


「……それで白羽の矢が立ったのが隊長ですか?」

「防衛の観点からミス・ダイヤモンドの夫は王国軍の……それも騎士団の人間が好ましいというだけだ」

「その総帥のご子息であるアレクシス・コールドウェル卿は更に最適だと思いますが」


 おまけに美男美女だ。二人が真っ白な衣装を身に着け、青空の下で婚礼パレードをする様子を瞬時に思い浮かべ、レイナは妄想に目を細める。


 きっと国中が祝福するだろう。

 その様子が……ちょっと寂しく、何故か切なくなる。


「──────なあ、お前。それ、本気で言ってる?」


 不意に低い声が耳を打ち、妄想から意識を戻す。視線を落とせば、鋭い目つきでアレクシスがこちらを見上げていた。


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