第7話 オカシナ提案 ②


「……隊長」


 ふわふわの座席に、居心地よく座るよう身じろぎするダイヤモンドを視界に収めながら、レイナは車輪の音に紛れ込ませるよう、小声で隣に座る上司に尋ねた。


「いつまでこのままですか?」


 ぐ、と繋がれた手に力を籠める。


「なにが?」

「この手ですよ! いつまで繋いどくんですか」


 ひそっと尋ねると、彼は大きな瞳にレイナを映し、ぱちぱちと瞬きをした。


「目的地に着くまでだけど?」

「なんでです!?」


 小声で怒鳴る、という芸当を披露すれば「ふう」とこれ見よがしにアレクシスが溜息を吐いた。


「ミス・ダイヤモンド」

「は、はい!?」


 ようやく居心地よく座れ、身体の力を抜いていたダイヤモンドが、びくりと肩を震わせる。上目づかいにこちらを見上げるダイヤモンドに、アレクシスが悲しそうに眉を下げて、レイナと繋がっている手を持ち上げる。


「ティントレイが手を離したいそうなのですが、宜しいですか?」

「駄目です!」


 悲鳴のような声がダイヤモンドの喉から漏れ、恐怖に彼女の瞳が大きくなる。


 レイナにすれば全く意味の分からない反応で、思わずのけ反ってしまう。そんなレイナを見つめたまま、今にも泣きだしそうな顔でダイヤモンドが続けた。


「何故です、ティントレイ卿! 私が嫌いなのですか!?」

「え!? い、いえそういうわけでは……」

「では何故コールドウェル卿の手を離そうなどと考えるのですか!? そんな……お、オソロシイこと……」


 身体を震わせるダイヤモンドにレイナは魂が抜けたような顔をする。


 本当に……どんな話を吹き込んだんだ?

 私が手を離したら何が起きるというんだ。


 ただどう考えても、ダイヤモンドが信じる話はこの変態上司が作り出したデマで妄想なので今こそ正す必要がある……と思う。なので、レイナはゆっくりと口を開いた。


「ミス・ダイヤモンド。何を言われたのかわかりませんが、私が隊長の手を離したところで何も起きません。といいますか、私が手を離したら何が起きるというんですか?」


 なるべく穏やかに、穏便に冷静にそう告げれば、目をいっぱいに見開いたダイヤモンドが、震えるピンク色の唇をゆっくりと開く。


「で、では……わ、私がコールドウェル卿と一緒にいても──」

「そうですね、手を離しても問題はないでしょう。こうすれば」


 割って入ったアレクシスがぱっとレイナの手を離し、代わりに彼女の腰に手を当てるとひょいっと持ち上げて自分の膝の上に横向きに座らせた。


「アレクシス隊長!?」

「ほら、こうすればもっとダイヤモンドの身は安全ですよ」

「な、な、な、何を急──」


 もが、と伸びてきた手に口を塞がれ、レイナの抗議の声は掌に吸い込まれる。


「ちょっと黙れ」


 ひそっと耳元で囁かれ、その声の甘さが何故か身体に響く。


(くっ……この男はッ)


 ぎろっと人一人射殺せそうな眼差しで睨み付けるが、もとより「最強」と「最凶」を冠されて名前を呼ばれる男だ。一矢も報われない。


「この状態ではわたしは何もできません。これなら手を離しても問題ありませんよね?」


 にこにこにこ、とそれ以外では形容できない完璧な笑顔を向ければ、ダイヤモンドの顔色がみるみるうちに元に戻り、胸に手を当ててほっと息を吐く。


「それなら安心です」

(私はまったく安心じゃないんですけどおおおおお!?)


 何なんだ。一体この二人の間でどんなルールが設定されているのだ。


 眉間に山脈を刻み、ぎりぎりと奥歯を噛み締めて考え込んでいると、不意にアレクシスの手が伸びて来て、強張るレイナの顎にそっと触れた。


「そんなに噛み締めたら血が出るよ?」

「ご心配なく。歯茎も鍛えてますので」


 揶揄う口調に噛みつくように答えれば、「へえ」と彼の目が細くなった。


「みせて」

「!?」


 ぐ、と顎を掴まれその力に思わず唇が開く。


(こんの我儘ドS上司ッ)

「みーせーてー」

(五歳児かッ)


 屈してなるものかと必死に顎に力を籠め、愉快そうな眼差しで見下ろすアレクシスを本気で殺そうかと思い始めた頃。


「……お、お二人はお付き合いされているのですか?」


 おずおずとダイヤモンドが訪ねてくる。


「はあ!?」


 思わず悲鳴に近い否定の声が漏れる。


「そうですよ」


 だがレイナを膝に乗せる上司は百八十度違う発言をした。


「はあ!?」


 今度も似たような声が出た。驚愕に目を見開き、わなわなと震えるレイナに、アレクシスはうっとりと、愛しいものでも見るような甘すぎる視線を落とした。


「彼女はわたしを身を挺して護り、わたしはその思いに応えることにしたのです」


 何の話だ。そんなの聞いてないんですけど。


「で、では……わたくしとの婚約の話は……」


 そろっと尋ねるダイヤモンドの、長く美しい睫毛が伏せられ、ピンク色の頬に影を落とす。


「それは結界塔のお父上とわたしの父が考えているだけだとお話しましたでしょう? だから安心してください。わたしにはレイナがおります。それにほら、こんな状況ではなにもできないでしょう?」

(いやいやいやいや……いやいやいやいや)


 ぐるぐると否定を示す単語が脳内を駆け巡る。じわじわと血の気が引き、青ざめるのを覚えながら、レイナは血走った眼でアレクシスを見た。


「……本当に?」


 上目遣いに尋ねる、可憐なミス・ダイヤモンド。世の男性がみたらきっと一瞬で骨抜きにされるほど庇護欲をそそられる儚さと初々しさを前に、壮絶なイケメンはあっさりしたものだった。


「この間ご説明したような状況にならないよう、このティントレイがいるのです。だからミス・ダイヤモンドは身体の力を抜いて、リラックスしたまま精霊の都を目指しましょう」


 二人だけに通じる何かがそこにある。

 再び口から魂が飛び出る、抜け殻の様なレイナをしっかりと腕に抱き寄せてアレクシスが笑う。


(違う……嗤うだ、嗤う)


 今は何を聞いても煙に巻かれる。この男が情報を開示しようと思わない限り、レイナが真相を知ることなど不可能なのだ。


 リューネの森の件もよくわかってないし。


「それを聞いてほっと致しました」

(今の話のどこにほっとする要素が……)


 ようやくにっこり笑って安堵するダイヤモンドを前に、レイナは心に刻む。


 後で何としてもこの上司から話を聞かねば、と。



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