第5話 寝耳に水の縁談話


(それからの三年……いつの間にかティントレイからレイナへと呼び名は変わり……)


 雲の上の存在だったアレクシスだが、書類仕事は苦手、片付けも苦手、甘いものが好き、職権乱用してのお願いごとは日常茶飯事という問題だらけの存在に切り替わった。


 補佐官とは名ばかりのお世話係へと華麗に転身した今現在、あの頃、頬を染め目をきらきら輝かせていた初心なレイナはすっかり姿を消してしまっている。


 残ったのは歴戦の猛者のような顔つきの女性騎士だけだ。


(そこにセクハラ発言までプラスされるとは……あの人は何を考えているんだか……)


 詳しく今後の日程の打ち合わせをした後(本来は隊長が参加するのだが、「レイナ行ってきて」の一言で代行となった)、ようやく自分の執務室に戻って来た彼女は、デスクの上に溜息と同時に突っ伏した。


 心配してくれているのは本当だろう。だが発想が斜め上どころか明後日過ぎる。


 知らずこめかみのあたりを指で揉んでいると、ノックと同時にひょいっと誰かが顔を出した。


「ティントレイ、聖水運搬の件だが、ルートは決定したか?」

「ジョイス副隊長」


 顔を上げると、明るい茶色の短髪に、同じようなブラウンの瞳を持った副隊長が大股で入って来る。


「はい、こちらにありますが……どうかしましたか?」

「ん~……あの野郎がさ、リューネの森をどうしても通りたいっていいだしてな」

「………………は?」


 え? ではなく、低く、地を這うような「は?」がでた。


 ジョイスに見せるように執務机に置いた地図を慌ててレイナも確認する。

 あの野郎、こと麗しのアレクシス隊長が御所望のリューネの森の通過は、今回出現する精霊の都への入り口へ大きく遠回りをして向かうことになる。


 ……というか、リューネの森が第二の目的地のような形になる。


「……なんでですか?」


 思わず半眼で聞けば。


「俺が知るか」


 遠い目でジョイスが答える。


 補佐官と副隊長はどちらも同時に深い深い溜息を零した。


「あの野郎……ホント、マジで、何考えてるんだろうな」


 よろよろとレイナの部屋のソファに腰を下ろし、「あー」と天井を見ながら声を上げる。ちなみに音声には濁点が付くおまけつきだ。


「リューネの森に何があるんでしょう? 訓練の一環ですか?」

「聖水を受け取りに行くのに訓練して、面倒ごと増やしてどうするんだよ」

「デスヨネ……」


 早々に隊長殿の我儘に屈するジョイスを他所に、レイナはじっと地図を見つめ、アレクシスの意図を探ろうとする。だが何一つ思いつかず、彼女もまた「あー」と濁点のついた声を上げて頭を抱えてしまった。


「ま、取り敢えず地図は貰ってくよ」


 一通りどんよりした空気を堪能した後、ジョイスがおもむろに立ち上がり突っ伏すレイナの前から地図を取り上げた。


「そろそろ昼食会も終わりだし、無駄だと思うけど隊長に真意を確かめとく」

「昼食会?」


 そういえば自分も昼をくいっぱぐれている。そんなことを考えながら副隊長に視線を向ければ、彼は大袈裟に肩をすくめてみせた。


「そー。ミス・ダイヤモンドとの顔合わせと称した見合いだな」

「見合い!?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。目を丸くするレイナを他所に、ジョイスは深い溜息を吐くとがしがしと後頭部を掻いた。


「全く無意味なことするよなぁ。けどまあ、代々ミス・ダイヤモンドは宵闇騎士団の隊長格と婚姻を結ぶのが定例になってるし、結界塔と騎士団の結束が求められているし、やらざるを得ないんだろうな」


 ぼやくようなジョイスの台詞に、レイナは艶やかな黒髪と輝く銀色の瞳を持つ、線が細く、儚げな容貌のダイヤモンドを思い描く。


 その隣に、同じく黒髪に夕日の朱金の瞳を持つ美丈夫が並び立つのだ。


(絵になるなぁ)


 周囲がミス・ダイヤモンドの夫に、我が隊のアレクシスを選ぶのは当然のことに思えた。


「じゃあ隊長もついに結婚するんですねぇ」


 人をこき使った挙句、セクハラ発言をする、恐ろしいほど強く美しい変態男神がねぇ。

 いつの間にか遠い目をするレイナだが、ジョイスは「は」と短く鼻で笑った。


「するわけないでしょ」


 うんざりしたようなその台詞に、結婚式の様子を思い描いていたレイナは「え?」と我に返った。


「なんでです?」


 思わず目を瞬かせて尋ねれば、「いやだって」とジョイスがさもわかりきったことを聞くなと言いたげに答えた。


「するわけないでしょ。あの隊長が」


 半笑いで告げられて、レイナは眉間にしわを寄せた。ジョイスは絶対にアレクシスが結婚しないと態度で伝えていた。


 だがそんなことはわからない。

 彼だっていい大人の、公爵令息の、第一隊の隊長だ。

 鬼神の如き強さを持つ騎士でもある。


「でも……ミス・ダイヤモンドはとても美人ですし。繋がりを作るならうってつけの──」

「え? まって、レイナ。お前マジでそう言ってんの?」


 語を繋ぐレイナを遮ってジョイスが口を挟み、まじまじと彼女を見つめる。


「……マジですけど?」


 副隊長の口調に合わせてそう言えば、彼は何故か目元を押さえて天井を見上げた。


「なんでお前が隊長とミス・ダイヤモンドの結婚を望んでるんだよ。百パーセントないだろ。ていうか、それをお前が理解してないのが意味不明だ」


 酷い言われようだ。


 むっと唇を尖らせると、嘆きながら執務室の扉へとよろよろ歩いて行くジョイスに棘のある声で反論していた。


「百パーセントないって、なんで断言できるんです? 隊長だってそこまで馬鹿じゃ」

「馬鹿だよあの男は」


 扉に手を掛け、肩越しに振り返ったジョイスが神妙な顔つきでレイナを見る。


「馬鹿で……執着心が凄くて……多分逃がさない」

「?」


 何を言ってるのかさっぱりわからず、首を傾げるレイナを横目に、副隊長はひらひらと手を振って出て行く。


 不意に、施設内の時計塔が三時をお知らせし、レイナはぐーっと鳴ったお腹を抱えて力なく椅子の背もたれに身体を預けた。


「……隊長が結婚ねぇ」


 とりあえず外面は人畜無害の爽やかイケメンだから、結婚してもその仮面だけは外さないでほしいな、と物凄く他人事に考えて立ち上がり、遅い昼食をとるべく食堂へ向かったのであった。



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