第4話 手合わせ




 そこでレイナの苦々しい夏至の日は終わり、次に目を覚ましたのは王立の医療施設だった。


 古代魔導化学を応用した最新技術でレイナは腹の穴をどうにか修復し、大怪我の割には一か月で施設を退院した。

 リハビリも兼ねたトレーニングを開始し、徐々に怪我をする前のコンディションへと近づけていく。


 腹に穴が開くのは一瞬なのに、元の状態に戻すには気が遠くなるような時間が必要だと気付いてうんざりもしたが、兄たちの応援もあって必死に喰らいついていった。


 半年たったある日、第一隊の訓練施設で模擬戦を行っている際に、隊長であるアレクシスが見回りに来た。


 そうとは知らないレイナは、夏至から半年という短い期間で参加していた騎士たち全てを撃破し、労われていた。


 ほぼ同期との戦闘だったため、親し気な口調で「お前には敵わないな」とか「俺の背中を預けるのはお前だ」とか「私のお嫁さんになって~」なんて同性の騎士に言われたりとか、揶揄われていたのだが、そこにアレクシスのひんやりとした声が漂う。


「この中ではティントレイが一番なのかな?」


 はっとして全員が入り口を振り返り、戸枠に身を預け、両腕を組んでこちらを斜めに見下ろす隊長に、大急ぎで姿勢を正す。


 腕を解き、ゆっくりと大股で中に入って来たアレクシスはにっこりと微笑むと夕日色の瞳で真っ直ぐにレイナを見た。


 ぞくりと背筋が緊張に冷たくなる。


 目の前の彼はあの日憧れて、心から尊敬した雲の上の人だ。


 その人に真正面から見据えられて、レイナが高揚しないわけがない。頬が熱くなるのを覚えながら、レイナは一歩前にでた。


「今日の模擬戦で全員を撃破しました」


 かすかに鯱張って告げると、「うん」と片手を顎に添えたアレクシスが一つ、頷く。


 すっと細められた瞳に頭のてっぺんから爪先まで、視線で辿られて緊張から胃の腑が震えるのがわかった。


 ドキドキしながら隊長からの言葉を待っていると。


「じゃあ、最後の対戦相手は俺だね」

「!?」


 さらりと告げて彼は悠々と訓練場の中央へ歩いて行く。


 同僚たちがどよめき、レイナは真っ赤になった。こんな光栄なことはない。

 隊長自ら稽古をつけてくれることなど……滅多にないのだ。


「よ、宜しくお願い致しますッ!」


 声を張り上げ、レイナは同僚たちに背中や肩を、気合を入れるように叩かれて頷く。


「頑張れ」


 一人にくしゃりとかき混ぜられて、編み込んでいた髪がだいぶ歪むが気にしない。

 そもそも先程までの実戦訓練で乱れていたし。


 目元と頬を赤く染め、緊張に高鳴る鼓動を隠したレイナは愛剣を手に前に進み出る。


 その様子をじっと見つめていたアレクシスが、腰の剣に手をかけながら、唇を笑みの形に釣り上げた。ただし目が笑っていない。


「ハンデをやろう」

「ありがとうございます」


 即座に胸を張り声を張り上げる。


 その様子に目を細めたまま、アレクシスが淡々と告げる。


「君は全力で打ち込んで来い。俺は片手……それも利き手とは反対の左手だけで応戦する。こちらから攻撃はしない。その条件で、俺を一歩でもこの場から動かせたら──君の勝ちだ」


 周囲がざわつき、こんな有利な条件を課されたレイナをうらやましがるような声が上がる。だが、相対するレイナは全然有利ではないと直感で悟った。


 にっこりと、柔らかく優しく微笑み、優美にも思えるアレクシスの立ち姿が何故か……とてつもなく凶悪で、とてつもなく巨大に思える。


 こちらから攻撃はしない、という言葉通りゆったりと立っているだけなのにどこにも隙がないのだ。


(う……打ち込めるイメージすらできない……ッ)


 どう斬り込んでも跳ね飛ばされる。


 ぐ、と奥歯を噛み抜いた剣を構える。


 アレクシスは剣の柄に手を置いたままゆったり立っているだけだ。

 じっとりと掌が汗ばみ、呼吸が荒くなる。


(どうする……どうすれば……)

「どうした?」


 甘い声が楽しそうに囁き、レイナはぶるっと身体を震わせた。朱金の瞳が細められ挑発する。


(……考えるから剣筋を読まれる)


 何も考えず、突っ込むしかない。でもでたらめに剣を振るっても勝てない。


 ならば。


 はあっと息を吐き、レイナはぎゅっと剣の柄を握り締めると床を蹴った。


 下段に落とした剣を、利き手で下から振り上げる。

 ガキン、と金属がぶつかる音がして、アレクシスの剣が真横に振るわれ、一瞬で彼女の剣を吹っ飛ばした。


 手でしっかりと剣を握っていたならば、レイナも一緒に弾き飛ばされただろう。

 だが彼の神の如き速度の一撃を予測したレイナは素早く手を離す。


 剣だけが飛び、レイナの身体はアレクシスの正面に辛うじて残った。返す刃で斬られる……その一瞬前に、レイナは勢いそのままに彼の懐に飛び込んだ。


 そのまま押し倒す勢いで、彼をその場から動かそうとする──……が。


「……武器も持たずに敵の懐に飛び込むとは……君は馬鹿なのかな?」


 呆れた声が耳の横を掠め、視界がぐるん、と反転する。

 そのまま空中で一回転したレイナは背中から床に落ちた。


「っぅ」


 肺からすべての空気が押し出され、ばったりと両足が打ち付けられる。


 勢いのまま突っ込んだレイナを、あわてず騒がず、アレクシスは腰を掴んで背後に放り投げたのだ。


 全員がぽかんとした眼差しで二人を見つめ、訓練場の天井を見上げるレイナは悔しそうに奥歯を噛んだ。


「頭は打ってないな?」


 振り返ったアレクシスがしゃがみ込み、爽やかイケメンスマイルを浮かべて倒れ込むレイナを見下ろす。


 背中と腰が痛いが、頭は守った。


「大丈夫です」


 かすれた声で告げれば、ややしばらく倒れ込むレイナを見下ろしていたアレクシスが、ふっと……唇を引き上げて、妙な感じのする笑みを浮かべる。


 何故か鼓動がざわつき、胃の腑の辺りがちりちりする。それを誤魔化すように飛び起きようとしたレイナに先んじて、アレクシスが彼女の腕を取って引き起こし、長座する彼女の頭を肩に引き寄せた。


「こぶにはなってないな」


 手袋をはめた手が、乱れて潰れたレイナの編み込みを包み込む。そのまま探るように撫でられ、熱く、いい香りがするアレクシスの首筋の近さに目を白黒させた。


「で、ですから大丈夫だと……」

「それより、あんな真似をしてどうするつもりだったんだ?」


 ひんやりと冷たい声が耳を掠め、放り投げられる際に呟かれた叱責と同等の質問をされる。


「敵ならば持っていた短刀で胸を一突きするかと」

「先に身体を捉えられたら元も子もないぞ」

「相手に近づければ、どこでも刺します」

「君ね……」


 呆れたように告げられ、身体を離したアレクシスがレイナの両手首を掴んで引っ張り上げた。


「あたた……」


 腰と背中に痛みが走る。その彼女の目の前に立ち、彼はそっと背を屈めると耳元に唇を寄せた。


「もっと自分の身を大切にする戦い方も身に付けろ」


 命がいくらあっても足りない。


 ふうっと溜息交じりに付け足され、レイナは身体をぞくぞくしたものが走っていくのを感じた。


(ナニコレ……武者震い!?)


 思わず顔を引きつらせると、アレクシスが片手でレイナの両頬を掴んだ。


「ついこの間腹に穴をあけたことを忘れるな」

「……ひゃい」


(お……怒ってる……)


 笑顔なのに苛立たしそうな雰囲気を読み取り、レイナは姿勢を正すといくらか間の抜けた声で答える。


 ゆっくりと手が離れ、隊長はくるりと背を向けると訓練場の出口に向かって歩いて行く。その背中に、レイナは声を張り上げた。


「ありがとうございました! 是非、次回もお手合わせ願います!」


 ぎょっとする同僚たちを他所に、必死に背中を見つめ続ける。レイナにしてみれば、憧れの隊長に稽古をつけてもらえる貴重な機会を逃したくない。


 と、振り返ったアレクシスがふっと唇を笑みの形に引き上げる。


「気が向いたらな」


 それから何度か、気まぐれに現れた彼に稽古を着けてもらい、怪我をして一年が過ぎようという頃、レイナは剣速や体捌きを磨き、魔術を習得し、第三撃まで用意して挑んだ一戦で彼を一歩、後退させるのに成功した。


 その一か月後に辞令がおり、同僚……ひいては宵闇騎士団第一隊内で三本の指に入るほどの実力を手に入れた彼女は、アレクシス・コールドウェル隊長の補佐官に任命されたのである。



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