第27話 決戦 砂漠を這う亀 vs ソラ駆ける兎
人の行き交う廊下の一角にて、水壺と二人並んでメイド服を纏い、ときおり写真撮影にも応えつつ、メイド喫茶を宣伝しながら。
「改めて僕の主張を振り返ろうか。前回の僕は長々と喋っていたけれど、要点は次の二点に絞られる。君が論破しなければならないのはこういう主張だ」
・青春は貴重な時間である。特に我々にとっては。
・善意でもって、他人の問題を早急に解決しようとしている。
「さあどうかな。こちらもたくさんの反論を考えてきているから、気兼ねなくどうぞ」
通行人からカメラを向けられたときポーズがぎこちない俺に対して、水壺は女の子らしいポーズを自然と取れている。練習してきたようだ。不気味の谷を越えている。青春に対する姿勢だけは本当に真剣である。
阿知賀先輩が興奮してツーショットを撮りまくっていったのが不穏だが……ここは一旦忘れることにしよう。
「論破すること自体は簡単だ」
「おや」
「流石に時間はたくさん与えられてたからな。水壺、お前のやり方は——」
一、自由と成長の機会を奪っている。相手を尊重していない。
二、意志と選択を無視している。価値観の押し付けでしかない。
三、意図せず害する可能性もある(小泉を「害」と切り捨てた点から水壺はここを指摘されると痛い)。
四、真に相手を思いやっているならば、共に悩み共に解決しようとするはずである。
「加えて特にこれだ——」
五、問題の解決方法は多様である。時間が解決することもある。
「確かに。全く予想外の方向から解決する特殊勝利は存在していた。けれどそれは何度も使える手ではなかった」
「この五つの軸で挑めば、どれか一つ以上で水壺を折ることは可能だと思う」
「それはやってみなくちゃあ分からない。どれからでもどうぞ」
「どれからもいかない」
「……?」
「お前の用意してきたセリフに乗っかっているうちは、どう転んでも勝ちようがないからだ。お前の言葉遊びには付き合ってやらない」
看板を掲示しながら横目に見れば、水壺は奇妙そうに首を傾けていた。
「水壺の厄介な点は、話していると自然に行動を誘導される点にあると思う」
「それは……」
「初めて水壺の哲学を聞いたとき——あのときのお前の目的は俺を揺さぶって春夏李との関係を探ることだった。対して俺はまんまと動揺してお前にヒントを与えてしまった」
「どうだったかな」
「夏休み明けの小泉のときも俺を容易に操った。直接そうしろと言わないのが上手いんだろうな。『小泉の処罰如何を判断しろ』だなんて言われようものなら、俺は強く反発したはずだ。『小泉を救う機会がある』と俺自身に気付かせることで、より効果的に目的を達成している。まるで人形遊びだな」
「そのとき偶然、そのように効果しただけでしょう。モデルケースが足りていない」
「今日が三つ目のモデルケースだ。論破を目的とする限り、俺はお前に勝てない。『論破』に誘導された時点で逆に確信できた。論破ルートはお前の想定内、既定路線だ。俺はそこから外れないといけない」
「……」
「それもそうだよな。人生かけて築いてきた哲学なんだ。ちょっとやそっと論破された如きじゃ納得できないはずだ。そう、目指さなければいけないのは『論破』じゃなくて『納得』」
「まさか——」
水壺の声に表れた不快感を俺は見逃さなかった。
「本気で僕のやり方を変えようとでも?」
「まさか! そっちは最初から本気じゃなかったのか? おいおい嘘だろ、こんなに早く『想定外』なのか。水壺颯兎も底が知れるな」
「……」
無言の圧。この時が初めてだった。水壺の「苛立ち」を引き出したのは。
——やっぱりそうなのか。水壺の弱点はプライドの高さ。自己評価の高さ。それが意味するのは保身の傾向だ。
「お前の納得を勝ち取るために俺が指摘する、お前の最大の弱点は——」
待ちぼうけていたって兎はかからない。罠にはもう追い込んでいる。あとは獲るだけ。
「自分がやられて嫌なことは他人にやってはいけない」
水壺に動揺の気配はまだ無い。
「『自分がやられて嫌なことは他人にやってはいけない』。これは人間社会の揺るぎない基本原則、黄金律だ。それが間違っているとは流石に言えないだろう。さてそこで、お前の場合を考える。お前は他人を簡単に退学させようとするが、自分が退学することは——させられることは——嫌がる節があるよな? これは真理に反した姿勢なんじゃあないか?」
「想像していたよりも下らない指摘だったよ、望月。僕がやっているのはあくまで問題の解決であって、退学させることではない」
「結果的にそうなっているならそうと言ってしかるべきだろ。学校を退学することを是と思わせるよう仕組んでおいて、他人を辞めさせようとしていないだなんて主張するのは無理がある。お前はやり方を変えるつもりが無いんだろう? それは『感謝される』やり方だからな、きっとお前は止められない。既に辞めている人間がいるやり方を続けるならば、お前はやはり『他人を辞めさせている』んだよ」
「認めよう。だがやはり僕の認識を——分かりようのない僕の心を——判断基準に組み込もうとしている時点で、君の主張には穴がある。実際のところ僕自身、僕が辞めるべき状況になったとき本気で抗うかどうかは分からないんだ。確かに、僕は自分の行いが裁かれることを恐れているのかもしれない。だから君に口止めもした。けれどそれはまだあくまで可能性だ。確信は持てていない。口止めの必要があったのか、自分が害と判断されることを恐れているのか、実はそうでもないのか、そこのところは僕自身よく分かっていない。そしてそれを君から指摘された時点で、自分の感情を分析する気も無くなった。曖昧なまま放置することにした。そうしている限り君の主張は成立しなくなるからね。僕が自分を棚に上げたダブスタを行っているのかどうかは永遠に分からなくなった。棚の上を覗いても答えが無いからだ。いずれにせよ——これが本音だろうと嘘だろうと——僕の認識を一方的に断じる方法では、それを僕が口先で否定できてしまう以上、僕の哲学を傷つける事すらままならない」
——よし。
これで論点は明らかになった。俺は水壺にそうと思わせればいい。自分が裁かれることを「怖い」のだと。「マズい」、「それは嫌だ」と心の底から思わせれば勝ちだ。主観的にも客観的にもそうと認めざる得ない状況を作ればいい。
周囲の人影はここに訪れた当初に比べるとやや減っていた。そろそろタイムテーブルが切り替わる時間らしい。人の流れる量は——ピークタイムのスーパーくらいだろうか。狭いところではすれ違うのに困ったりするが、広い通路では相手を避ければ通行に困ることはない、といった塩梅だ。前の人を追い抜かそうとすれば多少手間取るだろう。
俺は今回、水壺の納得を勝ち取った上で、更に『勝つ』つもりでいる。人が完全にはけてしまうと俺の勝ち目は無くなる。不確定要素が無ければ勝ちようがない。先行して走るのに十分なスペースは必要で、しかし後続の邪魔にはなる程度の人混みが理想である。
それは正しく今だった。切り札を使えのはこのときのみ。
水壺は左手。廊下は右手に向かって伸びており、階段はその先にある。
「俺は小学生の頃、足が速くなかった。なんならドベでさ」
「……?」
「ゆえに着けられた当時のあだ名は『亀さん』。蔑称にしてはちょっと可愛いよな。もしもし亀よ亀さんよ、の亀さんだ」
「何を言って——」
「乃木は言ってたよ。『高濱を辞めさせた奴にはけじめをつけさせる』って」
「……? ——!!!」
やっと理解したようだ。珍しく勘が悪い。
「ということで、俺はこれから乃木に全部話しに行く。洗いざらい、な。俺の好きにさせるも食い止めるも、お前次第ってことだ」
「それは確かに。僕は君を止めようとするだろうね。そしてなんらか交渉を持ちかける」
「力づくで止めたなら、それは叶うかもしれないが」
「——望月」
そしてこれも——これも初めて見る顔だ。水壺はこのとき初めて、演技ではない素の笑顔を見せた。煽ってきた相手に対して、強がってつい笑ってしまった。
「まさか僕の『必死』を引き出せるとでも? 僕に心の底からの『必死』を味わわせることが——君如きにできるとでも?」
あるいは「それ」を楽しみにして——とびきりの「青春」を前にして——漏れ出た笑みだったのかもしれない。
——そうだ水壺、楽しんでやろうじゃないか。これが俺たちなりの青春なんだから。
可能な限り、できる限り長く逃げる。水壺の「本気」を引き出せればゴールする必要はない。だが——。
「当然だ水壺。覚悟はいいか? 見せてやるよ、かつて『亀さん』と呼ばれた俺が——」
「思い出せてあげるよ望月。この学校で誰が一番——」
あくまで逃げ切るつもりで臨む。でなきゃ——面白くないだろ!
「——『兎』をぶっちぎる様をな!!」
「——速いのかを!!」
もはや殴りかかったも同然の掴まんとする腕を咄嗟に躱す。アドバンテージはほんの一メートル。姿勢を崩したまま体重を使って前に蹴り出した。ドラムのような低音を立ててタイルが揺れる。スカートも揺れる。
「わっ!」
「なんだ!?」
通行人の合間を無理やり押し通り、しかしちょっと荷物を引っ張ったりして通った道は塞いでいった。息を荒らす余裕もなく、通行人が後ろの騒ぎに反応できず疑問の音を挙げている間に、グリップを効かせて階段に飛び込んだ。一足飛びに十五段越えて踊り場へ。
「えっ望月氏!?」
「あぶっ、えっ、メイドさん!?」
踊り場の手すりを掴み、体重を回してもう一度飛ぼうという瞬間——その姿がちらりと見えた。
俺と違って軽い足音、氷面で追い風に吹かれているのではないかと疑う滑らかさ。指先までピンと伸ばした腕を鋭く振る。見えたのはここまでだ——階段へ向き直るためにブレーキをかけるのではなく、スピードのままに跳ね、階段側面の壁に左足をピタリと着けて、膝を曲げたところまで。
——やっ……ば。
三角飛びで手すりを飛び越える影を足元に見ながら、角を折れて渡り廊下へ。二人分の足音が誰の話し声よりも大きく廊下に反響している。
横一面のガラスで開放的な渡り廊下。駆ける視界の端には星明りが閃光を走らせた。背中に感じる視線は冷たい氷の刃が首筋に迫るよう。汗が滴り落ちて視界を曇らせたが、拭う暇もなく次のコーナーを折れた。
「あぁ!? なっ望月!? ——と、水壺!!?」
危ないだろという椎名先生の声を背中に聞きながら、俺はまた階段を踊り場まで飛び越えようとした。しかし着地点の人の多さに躊躇した刹那、後先考えず手すりに右手をかけて飛び越えた。幸いにも人はいなかったが、しかし着地の段差で足をぐきりとくじいてしまう。
「ッ——」
——後は……直線を乗り切ればゴールだっ……!!
痛みは無視して廊下に出よう——として。影はもう俺の右手すぐ傍に追いついていた。
——嘘だろ。
手すりの縁を掴んだ両手を軸に、スピードを身体に乗せ、スラリと伸びた脚を弧として振り上げる。さながら格ゲーで見る逆立ちキック。時計で言うなら十二時五十五分。星の引力に逆らって月面を駆ける。
すぐにスピードも体重も乗せて勢いよく足を下ろしてきた。俺の後頭部目掛けて、鷹が獲物に向かって急降下するように。
——やっ……ば。
とはいえ一瞬見えた水壺の表情も——初めてまともに見えた前髪の下、焼けていない白い顔も——俺と同じようなものだった。お互いに「しまった」の表情。後先考えず飛び込んだのは水壺も同じ……。
「——!!!」
「——ッ——!!?」
二人くんずほぐれつ残りの数段を転げ落ち、階段前のスペースにそれぞれ倒れることとなった。
「うぅ……」
階段を転げ落ちたのなんて小学生ぶりだが、記憶の中のそれよりずっと痛い。全身もれなく打撲のオンパレードだ。水壺の下敷きになる形だったせいもあるだろう。震える身体を肘をついて持ち上げる自分の動作が、まるで漫画のキャラクターみたいな動きに思えて面白かった。だが笑おうと思えば全身に電撃のような痛みが走ったので断念した。
「もう……走れないな……」
仰向けの水壺は、胸に手をやってゴホゴホと咳をしていた。向こうも相応に疲弊したようだ。
「直接蹴るつもりは……なかった。ごめん……」
「あーあ、はあ……最後の直線が勝負になると思ったら、そこまですらいけないのか……流石だな」
「あ……当たり前だ。僕が一番、速いんだから……」
辺りに人が集まってきていた。ひそひそと話したり携帯を向けたりする。女装メイドが二人並んで床に倒れているだなんて異常な光景なのだ、見世物になるくらいは仕方あるまい。踊り場からは椎名先生が何事かと見下ろしている。
「俺の……負けか」
水壺颯兎は額の汗を拭うと、目を閉じ、改めて一つ細く息をついた。
ウサ耳のカチューシャを外して置く。そうして、楽しげに、満足げに、口角を上げたのだった。
「君の勝ちだよ、望月」
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