第21話 目指すところ

「おおー!!」


 ステージでのマジックショーが終われば、小泉は声を上げてお世辞抜きの拍手をした。


「最後のは流石に最後なだけあって凄かったね! いつ入れ替わったんだろ!」

「俺の一万円を燃やされた時が一番ビビったな。震えるわ」

「よかったじゃん戻ってきて!」

「戻ってこなきゃ暴れ散らかすところだったよ」

「そこまで!?」

「そこまでだろ!?」





 オウムのすみれちゃん(正式名称)との写真撮影も終えてマジックバーから出てきた。携帯を見れば午前二時。これだけの時間になると新地の繁華街とはいえ落ち着いた印象になってくる。人影もぽつぽつと見かける程度。千鳥足のサラリーマンや最後の一杯を楽しむグループ、彼らを見つめる道端のタクシー……。

 帳の下りた御堂筋沿いに出ていく。小泉はずっと楽しげな様子だ。なんならルンルンとスキップ模様である。縁取りのセレブな麦わら帽子を指でくるくると回している。


「それで、次はどこに連れてってくれるの?」

「意外と疲れ知らずだな。しばらく連れまわしてるけど」

「そりゃーね! だってやち、朝まで遊び歩くなんて初めてだから! 楽しくって仕方ないよ!」

「楽しんでくれているようなら何より。そうだな、次か——」

「そういえばコンカフェとかは!? ももちゃんと一緒にいるんだから流石に詳しいんじゃない!?」

「難波の方ならともかくこの辺りのコンカフェは初心者には勧め辛いな」

「なんで!?」

「なんでも。十八になったら自分の目で確かめてくれ」

「おだちゃんもまだ十七だよね!!?」


 足を南に向ける。


「中之島の方に戻るの? あっちの方にはお店あんまりないんじゃない?」

「ちょっと川辺でもぶらつこう」





 大川を左手に見ながら丁寧に舗装された中之島の北岸を歩く。ライトアップも終わる時間、光は対岸のビル群にぽつぽつと。都市の中心地だというのに、なかなかどうして時間が過ぎるのを遅く感じた。小泉の歩速にも慣れてきた。これはこれで悪くない。傾いた月もそうだそうだと頷いている気がする。


「話の組み立ては大体できたよ」

「んー? ただ論破されたくらいじゃーやちは曲がんないよ?」

「俺はさ、お前のことを愉快犯だと思ってた。他人にあくどい干渉をする、そのこと自体が目的なのかと疑ってた」

「半分正解だけど」

「小泉は世界を征服したいんだなあって」

「……はい?」

「だって、短冊にはそう書いてただろ?」





『世界の全てが自分のものになりますように やち』





「あ……あー。ありゃー、そりゃー、まーねー」

「でもさっき聞いた話だとさ、小泉はちゃんと小泉なりの考えがあって人を害してたわけじゃないか。じゃああの短冊は嘘ってことか」

「やちのことが知られてるところで本音の短冊は書けないよ。心配させちゃうし」

「おっと、ここには俺しかいないな」

「まっさかー。短冊なんて用意してないでしょ?」

「ものに書く必要はない。俺は感銘を受けたんだ。大事なのは『願いを言葉にすること』、『言葉にすらできないような半端な覚悟しかないなら、その願いは叶わない』」

「まあまあ。よく覚えておられますこと」


 立ち止まって手すりを取った。対岸には屋形船が停められている。小泉に振り返り、煽るようにして笑いかける。


「さあどうだ。まさか人にはあんなに偉そうに言っておいて、自分はできないのか? 願いを言葉にできないとでも?」


 小泉は肩をすくめた。


「はあ。しょーがないなー」


 手すりに気だるげにもたれて。


「やちのパパとママが痛い目を見ますように~。はい言ったよ」

「ふうん、残念だ」


 じとりと睨まれる。


「なに? どゆこと?」


 小泉が誰のために憤っていたのか。それは「私たち」という言葉からして明白である。


「お兄さんはどうなっても知らないってことか?」

「……性格わーる!」

「お前ほどじゃあない」


 小泉は「あーあーっ!」と吐き捨てた。


「おにいが元気になってくれますように! はいこれでいい!?」

「もう一声」

「え……え? やち今けっこう頑張ったよ? 何がもう一声なの?」

「分からないか……」

「分かんないですけど!?」

「まあいい」

「よくないが!?」


「で、俺が指摘したいのは、小泉が両親の顔に泥を塗ろうが期待を裏切ろうが、その願いは果たされないんじゃないかってことだ」

「じゃあどうしろって言うんだよ、お医者さんですら治せないものをやちたちに治せるわけがないじゃん」

「その通り。つまり妥協が必要だ」

「やめろっつったってやめないよ」

「小泉の手段では、気はせいせいするだろうがお兄さんを元気にはできないだろうな。そして今から俺が提示する方法でも、お兄さんを元気にはできない」

「じゃあ——」

「だが笑顔にはできるかもしれない」

「——笑顔?」


 小泉が尋ねるのに頷く。


「そうだ。だから妥協してほしい。大きすぎる課題を具体的に分割するんだ。まずはお兄さんに笑顔になってもらう。元気にするのはそれからだ」

「言っとくけどおだちゃん、おにいを笑わせるのはかなりハードル高いよ」

「了承してくれるんだな」

「……そんなつもりで言ったわけじゃ、ないけど……」


 小泉は目を逸らして考え込む。何かを思案して——あるいは思い返して。


「まあ、聞くだけ聞いてあげるよ」


 魅力的に映ったようだ。彼女の記憶の中のお兄さんはよく笑っていたのだろう。


 ——さてここからが正念場だ。これ一枚が俺の用意してきた切り札……失敗はできない。


 カバンを地面に置いて一枚の書類を取り出した。何かと覗く小泉から遠ざける。


「ここに婚姻届けがある」

「!? 誰と誰の!?」

「んーっと、俺と小泉の名前が書いてあるな」

「付き合ってもないのに!? 気が早すぎるよ!」

「ああ間違えた、離婚届だった」

「気が早すぎるんだよ!!」

「いやこれは……健康診断の結果だ。小泉お前……」

「ちょっと、女の子の体重を見るなんてサイテーだね」

「その身長で成長期が終わっただなんて」

「身長いじりはやめて! やめろ! 効くから! やちはまだ伸びるんだから!」

「えーなになに? 蓋をして弱火で五分、それからルウを入れる……」

「それカレーのレシピじゃないの!?」

「ここで豆乳を目いっぱい入れる」

「おや?」

「背が伸びますように」

「やめろってば!!」

「お前の子供の頃の夢、モデルだったのか。残念だな」

「ピアニストだったかな!!? 勝手に夢を諦めさせないでくれる!?」

「よく見たら小学生の頃の自己紹介シートだ」

「学年終わりに冊子で貰ったりするやつね」

「俺の夢は何だったかな。え、芸人……?」

「ここにきて感動路線!? 叶って良かったじゃん……?」

「え、俺たち芸人だったのか?」

「違ったのかよ!! もうまるっきり芸人ロールプレイでいたよ!!」

「合格だ」

「何が!?」


 M-1のエントリー用紙を小泉に渡せば、小泉は軽く一分くらい固まってから、細く長い息を吐いた。額を押さえつつ俺に目線をやり、しかし何も言わず首を振ってとぼとぼと歩き出す。付いていけば中央公会堂を越えて中之島公園の方まで。額を押さえながらバラの花壇の合間をうろうろと歩き続ける。時折こちらを見て何か言わんとするが、しかし諦めるということを繰り返し、二十分が過ぎた頃、恋人向けのブランコのモニュメントに並んで座っているところで遂に口を開いた。


「なんで?」

「おいおい俺たち大阪の高校生だぞ。出なきゃ損だろ」

「な、ん、で。やちを?」

「それを答える必要があるのか? 俺とお前の仲で」

「いつの間にそんな仲になってたんだよ……!!」


 小泉迫真のツッコミだが、彼女の口角は上がっているように見える。好感触だ。


 ——やはりか。いけると思ってたんだ。


 わざわざ「もうええわ」まで言うのは流石に本気度が違う。小泉は漫才好きな女の子だったのである。ちなみに俺もそこそこ好きだった。とはいえ流石にM-1に出場するだなんて大それた計画は二の足を踏むものである。思いついたはいいもののお蔵入りにしたのだが、このような状況になったので、利用できると思い掘り返したのだった。

 身を切る形にはなるが——これが俺の切り札だ。


「申し込みの締め切りは三日後、一回戦は二週間後だ」

「準備期間が短すぎる!」

「ということで、俺の目指すところはここだ。付き合ってくれるな?」

「あーあ、もう……」


 小泉は涙を拭っている。


「泣くほど面白かったか?」

「馬鹿馬鹿しかったのは認めるよ」

「ともかく小泉に学校を辞められると困るんだ。顔を合わせる機会が多いに越したことはない」

「わざわざ言わなくていいよ、冷めるから」

「じゃあ——」


 小泉は用紙で俺の頭をはたいて立ち上がった。両翼にビル群を、肩に月を背負って振り返る。


「やるからには本気だよ、おだちゃん」

「任せろ、お兄さんのことを——」

「おにいのこと、絶対に笑わせるから!」


 それから俺たちはずっと空が白み始めるまでネタを考えていた。


「ちなみに俺の親にも一応頼んだんだけど日本語通じなかったから、保護者からのサインは小泉が貰ってきてくれるか?」

「とんでもないことを言ってくれるね~~」


 このときの小泉は額に汗まで浮かべていたが(小泉が狼狽から汗を流すところを見たのはこれが初めてだった)、ちゃんと親を説得してきてくれたのだった。

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