第18話 夏の終わり
続けて出発した園田組、美咲組は普通に肝試しを楽しんだようだった。その後は花火ではしゃいだりして、部屋に戻ってからは泣く國分を慰めたりもしつつ……。
もう寝るだけという時間になってから、座布団にちょこんと座ったジャージ姿の水壺が挙手した。
「肝試し中、林にバナナを仕掛けた。見に行きたい」
二人制ボードゲームで遊んでいた俺と園田、枕を抱いてその様子を見ていた國分、全員の視線が水壺に集まる。
「水壺さんまさか」
「おいおい水壺ちゃん」
いつの間にか水壺くんから水壺ちゃんに昇格している。いや今この瞬間昇格したのか。いや? そもそもこれは昇格なのか? 分からない……。
「間違いない。この林ではクワガタが取れる」
プラスチックの虫かごはなんとわざわざ人数分用意してある。そんなに嵩張るものを。
「どう、望月」
「おいおい……」
かごを受けとりながら立ち上がった俺は、靴ベラを取って三人に振り返った。
「覚悟はいいか? 見せてやるよ、かつて『兜の貴公子』と呼ばれた俺が——アリの子一匹残らず獲り尽くす様をな!」
目をきっらきらさせて捕まえまくる國分、なぜかカミキリムシの虜になった園田、いつの間にか虫に触れなくなっていた自分に絶望する俺……。
昆虫に未だ夢中なお子様二人を差し置き、俺はもうカブトムシを何匹か捕まえてもらって満足したので、石碑に腰かけて休んでいた。水壺はというと石碑の土台に立って、石碑の上の方を右手で攫っている。左手にはライトの付いた携帯がある。
「そんなところにも仕掛けたのか?」
「仕掛けはした。でもさっきは見つからなかった。なのに——」
上から戻ってきた水壺の右手には携帯が一つある。左手に持つのとは別のもの。
——仕掛けてたのって、携帯かよ。
「いつの間に仕込んだんだ」
「肝試しの直前、バーベキュー中に抜け出して」
「全く気付かなかったよ、流石の影の薄さだ」
「ありがとう」
「褒めてない」
「……!?」
「なんでショック受けてるんだよ……。——なるほどな、その位置なら全部録音できてただろうよ。春夏李を辞めさせるのに役立つ情報が入ってるといいな」
「もう聴いた。iphoneにデフォルトで入っている録音アプリは、操作せずともクラウドで共有されるから。こっちの携帯で聴くことができる」
迂闊だったと言わざるを得ない、これは避けなければならない事態だった。真意を疑われていることには気付いていたのに。録音が仕掛けられる可能性を考慮して水壺の行動を注視していなかったのは明確な落ち度だ。春夏李と國分の件でキャパが溢れてしまっていた。
一見するとぶっきらぼうな態度で、しかし慎重に尋ねる。
「……で? どうだったんだよ」
「まずは僕の疑いが当たっていたことに喜んだ」
「ああ。俺たちが付き合ってないことを事前に見抜いてたのは流石にお前だけだったな」
「そして、君たちに青春の波動を感じたので、僕の決断は保留しようと思う」
「そ、そう……それは何よりだ……。何よりなんだけど言い方ちょっとキモいな……」
「だから望月、勘違いしないでほしいんだけど」
水壺は俺の隣に座り直した。いつも通りこちらを見ず前を向いたまま。
「これから誰かが炉端に牙を剥いたとしたら、それは僕じゃない」
「そんなことがありえるのか?」
「君以外に、僕の行動に注目するような人間がいたならば」
水壺のカゴには既に三匹のオオクワガタが入っている。それぞれ自分用、美咲用、美鈴用だそうだ。美咲からせっかくなら取ってきてくれと頼まれたらしい。丁寧に敷居で分けられている。
「そういえば、さっきお風呂から先に戻ったとき、ふと見えてしまったんだけど、随分と通知が重なってなかった? 何十も何百も」
しまった。画面を上にしていたのか。……いや裏側にして行ったはずだ。水壺がわざわざ画面を改めたのだろう。
「ああ、あれはいいよ。どうでもいい通知だから」
「特定の一個人からのメッセージと着信の嵐だったよね。学校でもちょくちょく見えていたよ。四六時中あんなことになっているのにブロックしないんだ。難儀なものだね、血縁とは」
水壺ならば、通知の送り主の名前を確認していないわけがない。
「望月と炉端の関係が見えてきた。つまり君たちは共に——」
「——水壺」
「?」
「場合によってはやっぱりお前に頼むかもな」
「僕の哲学に恭順すると?」
「かも、しれない」
「それは残念だ……けど」
水壺は穏やかな微笑みを浮かべて、手元のカゴを撫でた。クワガタがハサミを持ち上げている。
「君の感謝の言葉を聞けるならば、それはそれで悪くない」
**
八月の十九時過ぎはまだにわかに明るい。ターミナル駅で解散してから、同じ路線の人間も先に降りていき、俺と春夏李は車内に二人残された。一日ぶりの二人きりである。
春夏李は俺の肩にポテンと頭を乗せてきた。こちらも頬を当てる。
「疲れたか?」
「まあね」
「寝ててもいいぞ」
「それには最寄りが近すぎるかな」
「そうか」
吊り広告と吊り革が夕日に照らされ揺れている。
「國分依舞から何か聞いたかい?」
「泣く國分を慰めたのは俺だ」
「はは。そりゃあ変な話だ。泣きたいのはボクの方だったのにさ」
「人の想いを振るのはしんどいもんな」
「ん……ああ、いや、そうじゃあなくてね」
春夏李はまるで猫がそうするように頭を擦りつけてきた。くすぐったい。この調子だともうすぐ寝てしまうだろう。
「ボクはキミに相応しくないんじゃないかって、思ってしまって」
普段なら聞き流しているところだった。適当に慰めているところだった。でもつい尋ねてしまった。だって「誰でも良かった」という言葉を聞いたばかりだったのだから。いくらなんでも言っていることが違いすぎる。
「俺で良かったのか?」
そして春夏李も、うつらうつらと意識が曖昧だった。普段なら適当にはぐらかすところ。
「歩く……速さが。同じだから……」
トンネルで黒い窓に映った春夏李は、少しだけぼーっとしてから、じわじわと目を開いていった。
「ボク今なんて言った?」
「え、いや、なんだろうな。なんて言ったかな」
「自分でも驚くというか……思ってもないことを言った気がする」
——思ってもないのか!?
「変だな」
「そ、そうか」
しばしぼうっとしていれば、もう降りる駅である。春夏李の肩を叩いて一緒に降りる。
改札を出れば、ちょうど陽の沈むところだ。赤とんぼが群れをなし、星がぽつぽつと浮かび始めている。それぞれの一等星から、星座のイラストが自然と思い出された。
俺が空を見上げているところ、春夏李は呆れて肩をすくめた。
「相変わらずお気楽なことだね、空を見るのが好きだなんて」
「そうだな」
「何が面白いのやら」
「物語を知ってるから、かもしれないな」
「物語? 星座の? そんなものを覚えているのかい?」
「覚えるも何も、最近知りなおしたところなんだよ」
覚えているのか? と尋ねたということは、春夏李がそれを知ったのはかなり前ということだろうか。
「春夏李はいつ聞いたんだ?」
「いつ? いつってそりゃ……」
返事が止まる。
「春夏李?」
春夏李は夕暮れの星空を呆然として見上げた。何かに思い至ったように、過去の情景と重ねるように。
「お母さんとお父さんに、キャンプに連れて行かれたんだ。そこで」
春夏李の口から親とのエピソードが出てきたのは初めてのことだ。
「そうだ。懐かしい。帰りの車内は地獄だったけど——」
俺が何も言えないでいるうちに、春夏李は一人でミニのキャリーを引き、先に行ってしまった。
「なんかとっても楽しいかも!」
「え? 春夏李? ちょっ——」
「ねえ倫斗! 後でボクのことを肩車してくれるかい!?」
「なんで!?」
「なんでも!」
夕日に飲み込まれる春夏李を追いかけた。そのときの春夏李は、現実の問題なんか頭の外に追いやって、ただただ世界の質感を楽しんでいるように見えた。
**
「いいじゃんいいじゃん、かなり楽しんだっぽいね! 國分さんにも最後には慣れたんだね」
『ああ。一緒に過ごして分かったけど、全然普通に男子だったな。そりゃあそうなんだけど。風呂とか着替えとか、そういうところでほんのちょっとだけお互い気を付けるだけ。慣れてしまえばそれは同性同士にある些細な配慮と大差ないって気もしたな』
「なーるほど、勉強になるよ。——実は私も友達と出かけてきたんだぜ。聞きたい? 聞きたいよね?」
『お、いいな。話に聞いてた例の友達か』
少女は怪しく笑う。
——なんなら今回はこのノートに貼るために写真を現像すらしてきているのだよ。ふふふこのためだけに色々と頑張って中学の友だちと連絡を取ったんだ。私、偉すぎる。凄すぎる。驚きたまえよノートの向こうの「彼」。お互いの顔も名前も知らない関係はここまでにしようじゃあないか(まあ実は私の方は望月くんの名前を独自ルートで手に入れているのだが)。以前からこのノートをスクラップブックにしてやりたいと思ってたんだ。覚悟しろ! うおおお——。
そうして意気込む少女は、だめだだめだ興奮しすぎては、明鏡止水、と呼吸を一つ挟んで、書き込みに続きが無いかと一応の気持ちで次のページもめくってみた。果たしてそんな少女の目に飛び込んできたのが虚をつく一言。
『好きってなんだと思う?』
目が文字列をなぞる。これまでのページを見返す。
少女は微笑んで彼女の哲学を書き記した。
この翌日以降、少女の元に交換日記がやってくることはなかった。
**
八月末。学校再開の初日に春夏李の姿が見えなかった。春夏李が学校をサボることはままあるが、連絡の一つも無いのは珍しい。だからだった。様子を見に行こうかと、授業を途中で抜けて春夏李の部屋に向かったのは。
鍵がかかっていたので合鍵を差し込む。
「春夏李ー?」
返事はない。
連れ後の春夏李は母親が蒸発した後、血の繋がらない父親から虐待の限りを受けた。今は母方の叔母を保護者とした上で一人暮らしをしている。
「出かけてるのか」
部屋の電気を付ければ、ベッド、テーブル、それとモニターだけがある1Rの八畳間。カーペットは家具に敷かれる程度の大きさ。カーテンレールどころかほんの一、二センチの縁であっても、それが頭上にあるならば須らくハンガーがかけられ、多種多様なロリータワンピースが飾られていた。
テーブルの化粧品やリングライトなどを片付けていると一つの紙片が目に入った。俺の字で書かれた文字列を印刷したものだ。後から黒のボールペンでチェックが入れられている。
『顔を洗う ✓
歯を磨く ✓
化粧水を塗る ✓
保湿する ✓
ご飯を食べる ✓ ……』
以降もしばらく続く、細かく長いチェックリスト。
春夏李はこういうリストがないと日常生活を送るのが難しかった。一度分からなくなると次に何をすべきだったか思い出すまでに相当の時間がかかってしまう。この部屋に通い始めた頃のリストはホワイトボードだったのだが、チェックの消し忘れや見逃し、繰り返しといったミスが多いように見えたので、印刷したものを毎日捨てる方が向いているのではないかと提言すれば採用された。原本は手ずから——二人で相談しながら書いたものだ。
チェック済みのリストを取り上げてゴミ箱へ。丸まったティッシュの溢れる隙間に無理やり差し込む……。
「……はあ」
いっぱいになっている袋を取り上げた。底にコンドームの殻となんらか萎びた一片の植物がそれぞれ残っていたのだが、取り上げる気力が湧かなかったのでまた上から袋をかけてしまった。
カーペットに腰を下ろして、なんとはなくコントローラーを手に取った。モニターに映るのは春夏李と遊んでいたゲームの画面。遷移すれば映画の視聴履歴。交互に選んでいったラインナップ……。
「……たまには料理でもするか」
結局、どれだけ待っても春夏李は帰ってこなかった。
三章「海底撈月」 ここまで。
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