第16話 告白

 季節外れのひんやりした空気の漂う洞窟。天井からは無数の石筍が垂れさがり、足元からはにょきにょきと石柱が突き出ている。青や紫でライトアップされて幻想的な風景。

 鍾乳洞は雨水が入ってこないからこそ鍾乳洞足りえる。とはいえ通常以上に湿っているのは事実なので、地下水の小川を渡すため設置されている鉄板はよく滑った。これに踏み入るときは注意する必要があるのだが——。


「っ——!?」


 足を滑らせた春夏李の腕は國分が支えている。滑ってから腰を着くまでのほんの僅かな間に、繋いでもいない腕を掴んで見せた。現実離れしたスマートさである。

 國分は春夏李を腕の中に抱くようにして丁寧に立たせる。


「お怪我はありませんか、炉端さん」

「ボクは大丈夫。あ……ありがとう」

「それはよかったです、どういたしまして」


 今回の春夏李は比較的動きやすいキュロットスカートの皇子様風ファッションを選択している。銀髪の春夏李と透けた青髪の國分。一見すると美少年二人で背景にはバラが咲いていた。俺はというとそんな二人の様子を少し後ろから眺めている。


「いい。今のかなり良かったな。その調子、その調子だ」

「おだちゃん、まさかのネトラレ趣味? やちったらドン引きだよ」

「いいや最高だ。適度に暗くて雰囲気あるし、夏服で来て凍えてるところをあのイケメンの腕になんて包まれてみろ。余裕の一目惚れだろ、俺なら惚れてる」

「なぜ思考がメス側!?」

「炉端がネトラれちゃったら望月ってフリー? 私ワンチャンあるかな」

「てかほんとにさみーねー。マジ凍えるんだけど、なー理央」

「情けねーな。ほら、上着貸してやるよ」

「理央……オレ、情けねえよっ……!!」

「そうやって病むところこそ情けねえよ……」

「……(今なんかスルーするには怪しい発言が無かったかと思い返している)」


 美咲が隣に並んでくる。


「でも実際のところいい策だね」


 今日の美咲はハイウエストの裾が広いデニムで、普段とはまた違った大人っぽさを醸していた。春夏李に書いてもらった眉が気に入ったそうで先ほど感想を求められたのだが、女子の眉なんて分からないので適当に「若いね」というと尋常ではなく喜ばれて、以後ずっとご機嫌だ。期せずしてクリティカルを引いたらしい。


「今朝の炉端は國分を目の敵にしてたけど、二人にしてみたら結構馴染んでるみたいだし」


 俺と國分の作戦は周囲にはこのように解釈されている。


「うむ。人間やっぱり接してみないことには分からないものだからな。そこで一つ提案があるんだが——肝試しをしようと思う」

「肝試し? 確かに夜から晴れるって予報ではあるけど」

「宿のおかみさんに、学生が合宿に来たとき肝試しするルートを尋ねてな、下見も終わってるんだ。朝のうちにチェックした。虫よけスプレーも買ってきてる」

「ああ、道理で帰ってくるのが遅かったんだ。炉端をなだめるの大変だったんだよ」

「それはごめん……」

「いやいや倫斗っち! 行動力の化身か!?」

「んで? それがあの二人にどう関係してんだ?」

「あの二人を一組にして行かせようかと思うんだ、くじ引きに細工とかしてバレないように」


「なんでそこまで?」と美咲が尋ねるのに、俺は目頭を押さえる振りをした。


「俺……! 春夏李に俺以外の友達がいないんじゃないかと心配で……!」

「望月、そこまで炉端のことを想って……!?」


 水壺がじっと俺を見るのは何か別の狙いがあるのではないかと疑っているのだろう。対して一番に理解を示してくれたのは小泉である。


「いーじゃんいーじゃん。面白そうだしやちは乗った!」


 小泉は俺の短冊——『春夏李が幸せに暮らしていけますように』——を見ているので、この行動は筋が通っているように見えているはずである。


「では、國分依舞と炉端春夏李の仲良し作戦を決行しよう」





 そんなこんなでその後の屋内プールでも國分と炉端が二人になる機会を調整しつつ、遂に夜を迎えた。夜空は曇っていたとはいえ雨の降る気配が止んだだけ上出来だ。あくまで幹事の開催するイベントだという体で園田がコースの解説をする。


「ということで、林道の奥の石碑の前でツーショットを撮り、ぐるっと回って帰ってくれば終わり! どうよ、面白そうっしょ!?」


 春夏李の表情は険しい。


「雨上がりの夜の林に入る? 気が進むわけないんだけれど……。てかもれなく夜行性陰キャのボクらにしては、随分と陽キャっぽい催しだね?」


 ——そうかな……ごめんじゃん……。


「そ、それは、そうなんだけどな!」


 ——そうなんだ……。


「気持ちは分かんだ炉端! でもほら、せっかくだしやってこうぜ!」


 順調に春夏李と國分が組んだ。それ以外は特に仕掛けもしていないくじ運だったが、俺が組むことになったのは乃木だった。あとは水壺と美咲、園田と小泉といった組み合わせ。


 ——水壺と美咲の組み合わせは心配だけど大丈夫だろうか……。


「後続が気になるか? お前の今の相方はアタシだが?」


 プリンカラーの金髪はストレートなシルエットのボブカット。丈の短いカットソーにショートパンツ、トレードマークのスクランパーはいつも通り。

 片手を前に振るジェスチャーで俺を呼ぶ。


「一番乗りは貰った、ほらいくぞ望月」

「あ、ああ」


 着いていきたくなる背中をしている。流石の乃木理央である。





 轍の隙間に草の生える、街灯の一つも無い林道である。携帯の明かりを頼りに進むが足元を照らすのがやっとで、五メートル先は本気で何も見えない暗闇だ。この距離ではクマやイノシシを視認したとて逃走は不可能。学生がよく使うルートだというならそんなことはありえないのだろうが、しかしついついそんな可能性を想像してしまう。強い風が草葉をざあざあと揺らすのも不安を掻き立てている。

 足のすくむ俺を置いて乃木はさくさくと前を進んでいた。


「おいおい遅えぞ」

「乃木は怖くないのか? 俺はけっこう怖いんだが」

「ハッ! 怖がってやろうか? 頼りにしてやろうか」


 乃木はピタッと足を止めて俺が追いつくのを待った。俺の後ろに半身を隠して背中に右手を着き、左手に持ったライトで前方を照らす。


「そこの暗闇から刃渡り20センチの刃物を持った通り魔が現れる。180センチに90キロ」

「肝試しとは思えない都会的な設定だな……」

「私は155センチで吹けば飛ぶような体重しかないから抵抗の余地はないだろうな。運動もできないから逃げても追いつかれるに違いない。間違いなく殺される」


 想像した。つまり俺は通り魔から乃木を庇わなければならないわけだ。


 ——どうする? 武器を取り上げれたとしても殴り殺される体重差。逃げるしかない。でも二人でか? 足の遅い乃木を置いていくことになる。なら俺が残って乃木を逃がすしかない。命を賭けて——。


 背中をポンポンと叩かれた。


「はは、ホントに心拍数上がっててビックリしたよ」


 言われて気付く。確かに、今の俺はかなり真剣に体を緊張させていた。


「え、あ、そのために背中に——」


 背中に手を着かれたまま、押されて歩き始める。


「アタシがお前の女だったら今の凄い嬉しかったと思うぞ。マジで自分のために死ぬ想像してくれたんだからな。暗闇のお化けを相手に強がるよりは何倍も嬉しい。実際には……自分なんて置き去りにして逃げてくれた方が嬉しいだろうが。なんだ、まったく、いい彼氏じゃないか」

「いやいや俺はそんな」

「だってのになんで炉端を國分に譲ろうとしてるんだ?」

「なんのことだ?」

「心臓が跳ねたぞ」

「そっ……んな、まさか——」

「こっちもカマかけだ」

「——お手上げだ」


 肩を落とせば、乃木は再び俺の前に出て笑った。


「まあなんだ、アタシが言わんとしていることはだな」


 開けた広場に出た。巨岩が二つ積まれている。土台と石碑、上の方には誰が詠んだか分からない短歌が掘られている。背丈よりも大きい、かなり立派なものだ。


「お前に炉端を救えって言ったのがアタシで、それを受けてお前が炉端の事を真剣に考えた結果、炉端を國分に任せるって判断に至ったんなら——」


 左手にスマホを構える乃木、その右手でおもむろに頭を捕まえられた。半ば無理やり画角に引き落とされてすぐさまシャッター。そんなんだから、ツーショットの俺は随分間抜けな表情になっていた。乃木の方は牙がちらりとクールに盛れている。

 乃木は携帯を前に構えて写真を見せ、にやりと得意げに頬を上げた。


「お前の責任は、アタシが取ってやるのが筋ってもんだ」


 自信にあふれた頼りがいのある倒れない柱、彼女こそが俺たちを率いる甲斐性の鬼である。


 ——かっ……こいい、告白をされたな。


「甘えたくはあるけど、乃木にはもっといい人がいるよ。というか、俺のことを異性として見てるわけじゃないだろ?」

「そうか残念だ。やぶさかじゃあなかったんだが」

「最上級の誉め言葉だ。ありがとう」


 乃木は胸に手を着いて息を整える。


「乃木?」


 微かに息が切れているように見える。まるでちょっとした距離を疾走してきたかのように。

 乃木は自分の身体の反応に自分で驚いているようだった。


「なんというか、告白ってこんなに緊張するんだな。心臓バクバクだ」

「え。そ、そんな本気だったのか」

「そんな本気でも無かったはずなんだけどな」

「そんな本気でも無かったはずなのか……」


 そうと明言されると、それはそれで複雑な気持ちである。


「そうか、それでもこれだけ緊張するものか。勉強になった。知ってたか?」

「いいや、知らなかった」

「一度は経験した方がいいぞ、面白い」


 ——初めてだったんだな。


「ありがとうな、乃木」


 乃木は最後に一つだけ鼻で笑った。


「さて、写真は送ったから次の二人が——國分と炉端がスタートしたはずだ。対してアタシらは別の道を回って戻るってえ手筈だが——」


 俺たちは二人で石碑の裏に隠れた。


「見込みはあんのか?」

「可能性が薄いのは國分も承知の上だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る