第15話 國分依舞注意報
二週間前のやりとり。
『ん? ちょっと待って? そういう話になったの? 國分さんは男部屋!? 三つ目の部屋とかじゃなくて!?』
「個室にしようかって話も出たんだけど、國分本人が『費用がかさむし自分は男の子たちのことを信頼してるから男部屋でいい』って言ったんだよ。そこまで言われてなお個室を推すのは、國分を除け者にしてるみたいになるしさ……」
『なっ……随分自分勝手な! こっちの事情も考慮してほしいよねえ! なんてったって男子高校生だよ!!? 男子高校生三人に女子が一人混じって一晩を過ごすだって!? 何も起きないはずがない!! うわあああああ!!!(スリッパとペンギンの中間の生物が交尾しているイラスト)』
「どんだけ不気味なイラストを描いてくれてるんだよ……。冗談だとは思うけど、君は流石に男子の性欲を過大(過小?)評価しすぎ。実際のところ俺たち男子三人のうちの誰かが大なれ小なれ性加害を加えるなんてことはありえないと思う。それはなんとなくだけど確信できる、この夜間に来るような人間がそんなことはしない。それはそれとして、気を遣ってしまうのはしょうがないんだよな。(それと、まあ、春——)」
『消しゴムで消したつもりかもしれないけど見えてるよ。そうだよ問題は春夏李ちゃんだよ。春夏李ちゃんの君への執着ぶりだと、かなり気を悪くするだろうなあ……』
「そ、そうなんだよな。かといってもうどうしようもないし……」
**
「あの腐れ女あ!! いてこましたるわあああ!!」
露天風呂に出ると竹壁の向こう、女風呂の方からこんなブチギレ声が聞こえてきた。反射で手元が震えて手拭いを落とす。いつの間にか手が耳たぶのホールに伸びていた。
「倫斗っちが炉端っちの怒声でPTSDを発症してんだけど……」
「望月、いつでも言ってくれれば——」
「い、いや、ぜ、全然何も、トラウマなんかじゃあ、な、ない」
「お湯浴びながら声震わせててその主張は無理あるって!」
寒気がしたので早風呂で先に部屋に戻った。ドライヤーの音がする部屋に一応ノック。
「いいですよー」
國分依舞は既に完璧に着替え終わって、座敷のコンセントに繋いだドライヤーで髪を乾かしているところだった。レンズの大きな眼鏡。普段から眼鏡をかけているはずなのが、今の國分は学校とは違った印象を覚えた。よく見ればこちらの眼鏡はかなり度が強いようだ、普段使いの眼鏡は伊達らしい。ドライヤーはちょうど終わったところのようで、最後に犬みたいに頭を振った。
「望月さんだけ早かったんですか?」
「まあちょっとな」
化粧水を貰ったりしつつダラダラと携帯を触る。あまり話すことがないなと困っていたところ、お腹が鳴った。
「そういえば、朝ごはんはこの時間で食べた方がいいよな?」
「そうだったはずですね。みなさんの分を買いに行きましょうか。ご一緒しても?」
「それは当然」
「ん……でもちょっと、これだけ……」
國分はピアスを差し込むのにかなり手間取っているようだった。ミラーを立ててなお結構苦戦しているので、相当の不器用さだと言えるだろう。ピアスに慣れてないのかと一瞬思ったが、しかし記憶の中の國分はいつもピアスを付けている。なら毎日こんな調子なのだろうか……。
「俺が入れようか?」
提案を受けて、國分はわっと明るく笑った。
「いいんですか? じゃあお願いします!」
シルバーのピアスを受け取った。福がありそうな大きい耳たぶを抓めば——。
「ひゃん!」
嬌声が上がる。
——なんでだよ。
試しにもちもちしてみたらひゃああと逃げていった。
「なに、なに!!? 望月さん、耳フェチなの!!?」
「ちょっと興味本位で」
「やっ、やめたってもらえます!? くすぐったいんですっ!!」
顔を赤くして座り直した國分に笑いかけながらさっさとピアスを嵌める。
ミラーに映った國分は何やら驚いた様子で耳元に手をやっていた。
「手際が良いですね」
「春夏李で慣れてるのもあるけど、人に嵌めるならこんなもんじゃないか?」
國分はおもむろに眼鏡を外して置いた。ポーチから取り出すのはコンタクトケース。恥ずかしそうに声を小さくして目を伏せる。
「じゃああの、その……コンタクトも、い、入れてもらえたり、しませんか?」
「は?」
「一人でやると三十分くらいかかっちゃうんです……!!」
廊下で出くわした乃木に男子部屋の鍵を預けて二人でコンビニに向かうことにした。乃木の反応——「え、お前ら二人で行くの? ま、マジか。そうか。い、いやその……炉端を相手してるアタシらの心労もちょっとは考えてほしかったな……」——を受けて初めて國分と二人で外に出ることの意味に気付いたが、時は既に遅かった。ダーッと降る暗い雨模様に傘を差して宿場街の道に出る。コンビニまでは片道三分くらいである。
「人の目にコンタクトを入れたのは流石に初めての経験だったな」
まだ指先には國分の眼球の感触が残っている。つる、ぷにっ。
「たはー! いい経験になったんじゃないですか!?」
「それを國分の口から言うのはなんかおかしくないか!?」
斜面を広く流れる水を避けて道の脇を一列になって歩く。自然と俺が前の形になった。
「望月さんは、夏休みはどのように過ごされているんですか?」
「あんまり出かけてないな、暑いし」
「ふうん? 炉端さんとデートとかは?」
「俺と春夏李は仕事の時間がちょっとズレてるってのもあるから、あんまり。送り迎えのついでに服を見るとかくらいかな」
「それはそれでデートらしいじゃないですか。お部屋ではもうアレですか? アレ」
國分はそういうことを言わせたそうだが、一応俺は春夏李の名誉も背負ってきているので、迂闊な発言は避けることにした。意図して空気を外す。
「部屋から出ないときは……近くのブックオフでゲームを買ってきて一緒にやったりするかな。アドベンチャーの棚を左から順にローラーで。終わったらまた売りに行く」
「アドベンチャー?」
「ああえっと……テキストアドベンチャー。画面には立ち絵とテキストが映っていて、ボタンを押せばテキストが進む。たまに選択肢がある、そんな感じ」
「ああ、分かりました。そういうのをアドベンチャーって言うんですね。ゲームか……参考になります」
苦笑する。何かの参考になったらしい。
「ギターやってるんだろ? そっちの方が高尚で有意義な趣味に思えるよ。青春だな」
「そうですかね。わたし青春できてるでしょうか。していいんでしょうか。十八なんですが」
「俺も十七だし。せっかくなら俺も青春しようと思うよ」
「わたし以外は未成年ですからね……性犯罪に遭うならまだしも、万が一加害者側に立った場合を想定すると、女の子の部屋には行けなくって。ごめんなさい、気を遣わせていますよね」
そうと聞けば、こちらの考えが足りていなかったことを思い知らされた。國分は一人だけ成人である点で懸念材料が他の者より多く、その上で繊細な立ち位置だったわけだ。もしかしたら実際は男部屋に来るのも苦渋の決断だったのかもしれない。その上で、心が傷つくのを見ないふりして……。
俺たちが慣れていないのと同様に、きっと國分だって慣れていないのだ。その不安を相談できる相手もおらず。
「いいや、歓迎だ。三人だと一人余るしな。四人の方が都合がいいよ」
俺たちはどれだけ小さな問題に悩んでいたのというのか。下手に意識せず、自然体で接しよう。これが國分の配慮に対してこちらが取れる最大限の敬意である。
「そうですか、ありがとうございます」
気持ち振り返って笑いかけた。
「青春するのに年齢は関係ないと思うぞ」
國分は何か言おうとしたようだが、一度それを飲み込んで、それからまた口を開いた。
「ごめんなさい」
「ん?」
「炉端さん。望月さんにピアス嵌めてもらってるんですね」
「え? ああ、まあ、頼まれたときだけな」
「羨ましいです」
「春夏李が?」
「望月さんが」
「そうかあ?」
「わたしが炉端さんのことを好きだから」
「へー、そうな——」
あまりにも突拍子が無くて、聞き流しそうになって、慌てて掴み取った。
——今なんて?
詳しく聞き返したかったが、こんな豪雨の下り坂で足も止められない。車道では舐める雨水が川のようになっている。
どうしようなく足を進める首元に、嘲笑するような、呪うような、どろりと腐って濁った声が届き続けていた。
「ああ、羨ましいな。羨ましくって、妬ましくって。実はわたしね、諦めきれないんです。わたしが先に好きだったのにって。油断してたわたしが悪いんですか? そんな、まさか四月のうちに搔っ攫われるだなんて思わないじゃないですか。それまで交流が無かったはずの望月さんとある日突然引っ付くだなんて。何か、何か変なことがあったんじゃないかと想像しちゃうんです。弱みを握って脅しただとか、暴力とか金で言うこと聞かせてるだとか。もちろんそんなことないんです、99パーセントありえないんです。でも万に一つを考えてしまう。だからね望月さん、わたし——告白しちゃおっかなって思うんです。キッパリ振られたら諦めもつくと思うから。ですからお願いします。炉端さんに告白する許可を、いただけませんか?」
コンビニの駐車場までやってきて、俺はやっと振り返った。叩きつけるような豪雨の中、國分依舞は肩を小さくして切なく微笑んでいる。
「重ねてごめんなさい。わたしのことを理解しようとしてくれた人にする仕打ちではないと理解しています。逆の立場なら裏切りと捉えるかもしれないし、恩知らずの自分勝手な人間だと思います。それを承知の上で、どうか。どうか、お願いします」
國分は雨に打たれるのも構わず、傘を閉じて頭を下げた。
俺はもう面食らってしまっていた。驚いたままに尋ねる。
「春夏李を幸せにできるのか?」
「え? は……はい。幸せにする、つもりですけど——え、今のどういう質問でした?」
「俺と春夏李は付き合ってない」
「それはそ——ん? ん……?」
國分を傘に入れるまで詰め寄る。
「ふえぇ? なにぃ……?」
「春夏李のことが好きなんだな? 本気で?」
國分はキッと表情を鋭くした。
「ほ……本気です! 本気で好きです! 絶対幸せにします!」
「どういうところが好きなんだ?」
「お洒落さんだけど拘り強そうなところと、さっぱりした風だけど本性はじっとりしてそうなところと、学校での所作は優雅でしゃらんとしてるけどライブハウスに行ったらヘッドをエイトにバンキングしまくってそうなところと、あと、えっと、その……正直言うとやっぱ顔!? ごめんなさい顔です!! 顔でした!!」
「正解だ」
「正解でしたか!?」
俺は國分を手招きした。
「俺は國分を応援する」
「どういうことぉ!?」
「國分には話すよ、俺が知っている限りの春夏李のことを。それでも春夏李のことを愛せるって言うなら、俺は本気でその恋を応援する」
春夏李のことを本気で好いてくれる人間がいるなら、それを応援しない理由が俺には無い。俺も春夏李も、お互いのことを好きではないのだから。
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