第12話 vs アオハル庭師
西日の差す学校近くのお寺。その敷地内にはブランコや滑り台があって、子どもが遊べるようになっていた。しかし日差しがあまり差さないためかいたずらに不気味な雰囲気で、子供を見かけたことはない。
俺に呼び出された水壺は既にブランコを漕いでいた。俺の来訪に気付くとザッとブレーキをかけて止まる。
「結構緊張して来たのに、想像以上に本気のブランコ漕ぎに気が緩んだよ」
「子供のうちに漕いでおかないと。大人は漕げないから」
「そんな与太話どこで聞いたんだ」
「ドラマに出てくる大人は座るだけ」
「それはただ疲れてるだけなんじゃないか?」
「……!?」
「何を真面目に新発見って感じで驚いてるんだよ!」
「子どものうちに気付けて良かった」
「十分に手遅れだ」
「……!!」
「何を今さら自分がもう子供を名乗れる歳じゃないことに気付いてるんだよ……!」
本題に入ろうと言えば、水壺はブランコから降りて——改めて勢いをつけてからふわりと弧を描いて飛び降りて——本堂の縁にゆるりと腰かけた。俺も向かいの木の幹に背中を預ける。風が葉を散らして、影を揺らしている。
「なあ、なんであんなことをしたんだ?」
「?」
「そうだな、まずはやっぱり直近だ。昨日の美鈴の件。驚いたよ、あんなにすらすら喋れたんだな」
「それは……事前にセリフを練って練習してきていれば……」
「そこまでして美咲と美鈴の仲を引き裂きたかった理由が分からないんだ。なんであんなに酷いことを?」
水壺は頭を横に振る。否定。
「そんなつもりはなかったってことか? じゃあどういうつもりだったんだよ」
水壺はきょとんと首を傾けた。サラサラの黒髪が揺れる。
「美鈴さんには感謝された」
「だから?」
「僕の善意は伝わっていた」
「……はあ?」
善意。
「あれが善意なもんか。逆に、あれのどこが善意だと思うんだよ」
水壺はずっと要領を得ていない様子で受け答えをしている。
「美咲さんと美鈴さんの関係は改善された」
「荒療治ってことか?」
「そうとも言える」
「なっ……荒すぎるだろ! 流血沙汰だぞ!? 美鈴は自分の首に刃物を向けたんだぞ!?」
つい声を荒げてしまったのだが、対して水壺は微笑むのである。
「あの廊下には人が行き交っていた。君が庇わなくても誰かが止めた」
——コイツ。いけしゃあしゃあと。
「二人の関係が改善したのは結果論だろ」
「改善されなかったらなに?」
「そんな可能性のある手段が善意なわけあるか」
「なぜ?」
水壺は俺を煽っているのだろうか。それともまさか、真面目に分からないのだろうか?
「美咲と美鈴の仲違いは悪い結果だからだ」
「そうかな」
「お前は——最善の結果を迎えたとしても、最悪の結果を迎えたとしても、どちらであっても善意による行為なら、許されてしかるべきだって言うんだな?」
「相対的に望ましい結果ではない」
絶対的には認められるわけだ。つまりコイツはその結果を想定し、許容している。
——ならば、結果の如何はどうでもいいのか?
「つまり——お前にとって大事なのは、『結果が表れること』」
水壺はおっと顔を上げる。
「問題に『終幕』をもたらすこと、それ自体が目的なのか」
「善意の伝わらない相手にはやりたくないけどね」
「じゃあ高濱は?」
「高濱くんも、最後は僕に『ありがとう』と言ったよ」
「何の権利があってそんなことを?」
「権利が無くとも人を操ることはできてしまう、それが現実」
「それは世間一般に非難されることだって分かってるのか」
「世間一般に認められなくとも、当人からは感謝されている」
「まだ理解できない。それが善意に分類される、お前の中で是と判断される——意義? イデオロギー? のようなものが、俺の理解できない『哲学』がある気がする」
このとき「哲学」という言葉が出て来たのに我ながら驚いた。以前までの俺から引き出されることはなかった単語だ。どこで手に入れた語彙だったろうか。そうだ——。
水壺は身を乗り出している。声もうきうきと。
「よくぞそこに辿り着いた、望月」
「な、何が?」
「人を知るとは、人の哲学を理解することだ。着いておいで」
「?」
「僕が思うに——」
ここまでの問答がただの児戯に過ぎなかったことを、俺は身を持って知ることになる。
「——青春とは、若者の特権だ」
「は?」
水壺は両腕を広げ、大仰な仕草とともに語り始めた。
「青春とは若者の特権なんだよ! 分かるよね。青い春と書いて青春だ。青臭い僕たちだけに許された春なんだよ! 僕たちは夜間定時制という進学率の非常に低い、一般的に学生でいられる最後の環境に身を置いている! それは同時に青春に身を置ける最後の時間であることを意味しているんだ! 貴重な時間なんだよ、君が思っている以上に! 当然みたいな顔をして大学で猶予を謳歌する人間たちとは比にならないくらい貴重なんだ! 君がそうであるように、僕たちはただでさえ学校に通うためのお金を自分で稼いでいたり、その他たくさんの苦労があって、ただでさえ『ふつう』の高校生に比べて青春を享受できる構えが、物理的にも精神的にも十分ではないというのにさ!」
「そ、それはなるほど、理解したが——いや。だから?」
——だから、貴重な時間だからこそ?
「その通り。僕たちの青春に無駄な時間は無いんだよ。それはつまり、先延ばしにされているだけの問題は、それだけで僕らの毒だということ。青春の最高のパフォーマンスを目指すにあたって、先延ばしだけは駄目なんだ。いや当然、反論は想定しているよ。先延ばしにされていることに価値のある問題だってある。もちろん僕はその点理解している。色恋沙汰に代表されるような、そういう駆け引きすら短縮させるだなんてことはしない。だから僕が切り落とす問題は、やはり『時間の問題』に限ると言えるだろうね。高濱君の例をとっても、瀬戸見さんたちの例をとっても、彼らの問題は『時間の問題』だった。今見て見ぬふりをしたっていつか問題は顕在化した。いつかは向き合わなければならないものだった。ならば! そんな下らない問題で時間を無駄にするならば、誰かがさっさと最短距離で『終幕』に導いた方がいいでしょう! この行為が、厚意が、非難を受ける謂れがあるとでも!?」
「なるほどそれがお前の『善意』か。だが俺は改めて同じ問いを投げかけるぞ。お前に何の権利があってそんなことをしてるんだ? それは当人たちの問題だ。お前が踏み込んでいい問題じゃない。さっきお前は『感謝されたこと』を自分の正当性に挙げていたな。でもそれは結果として付随したものじゃないか? お前の行動を良しとする根拠足りえていないはずだ。お前が干渉しようと思っているうちには、相手から感謝を受けるかどうかは定かじゃあないんだからな。まさか、自分の予想は完全に正しいとでもいうつもりか?」
「人間という者は多少なりとも誰かのために踏み込んでしまうところがあるものさ。貴重な時間を無為に浪費する彼らを慮っているんだ。君とて一度たりともそんなことをしたことがないだなんて言わないでしょう? 誰かのために、誰かの気持ちを勝手に想像して、勝手に世話を焼いたことが、無いとは言わせない。我々たる者、同情せずにはいられないのだから」
「そんなことを尋ねて何になるんだ? 俺が『無い』と言ったら終わりだろ。実際のところ、最近は特に意識してそういう発言をしないよう注意してたんだ。水壺、お前のおかげでその『勝手な世話焼き』に対するアンテナが上がってたおかげでな」
「当然意味はある。なにせ僕は君が他人に『本人の意思を問わない世話』を行っているところを目にしているんだから」
「いつのことだ? 俺が覚えていないような些細な事案を挙げられても——」
「庇ったでしょう、炉端を。炉端春夏李を」
「——それは」
水壺が言っているのは、体育祭の、あの日。
『春夏李を病人呼ばわりしただろ。そこだけできれば、謝ってくれないか』
「僕は覚えているよきちんと覚えている、君は小泉八千恵に言外に病人呼ばわりされた炉端春夏李を庇った」
「それは違う……だろ」
「彼女だから? 大事な人だから?」
「そ……うだ。彼女だから。大事な人だからだ!」
「でも炉端の方はピンと来ていないみたいだったよ。まるで『本当の彼氏みたいな振る舞いをされた』ことを疑問に思っているような表情だった」
——な、コイツ、どこまで。
「君たちの関係は少し変だったからね。お互いの矢印がお互いに向いていないというか、そこにいる人間なら誰であっても構わないって感じ。あくまで体だけの関係のような——」
「いいかげんにしろ。妄想のし過ぎもほどほどに——」
水壺はずいと詰め寄ってきた。しなだれた柳のような前髪から、その垣間から、トドかカラスか、動物のように真っ暗で真っ黒の目が真っ直ぐに突き付けられる。
「本当に? 僕の目を見てそれが嘘でないと言える? 他人に一方的に同情して庇ったわけではなくて、守ってしかるべき関係性の大事な人間を守ったのだと?」
「そ、れは」
つい顔を逸らしてしまった。水壺はなおも詰め寄ってくる。
「あるいは自覚が無い?」
「な、なんの」
「炉端春夏李が本当に病人ではないと信じている?」
「何の話をしてるんだ」
「炉端が病人であるという疑惑を持っていたからこそ、小泉の言葉に強く反発したのでは?」
「どうして春夏李のことを病人と言えるんだよ!」
「薬物乱用とリストカット中毒の病的な少女のことを。病人と呼んで何が悪い?」
「そんなことを言わせて何に——」
——いや。
俺はそれに気付くのが遅すぎた。
「——水壺お前、春夏李を辞めさせようとしてるのか」
「なんのことかな」
水壺には同様の欠片も見えないが——。
「これ以上お前の探りを受けてはやらない。春夏李の問題の解決に……少なくともお前の手なんて借りてやるものか」
俺がじりりと警戒したのを受けて、水壺はまた微笑んだ。
「そう。でも少し遅かった。僕は既に一層疑いを深めている。もし君が僕の予想通り、救いようのないメンヘラに束縛されて無為な時間を浪費しているだけだという確信が持てたなら、僕は手練手管を尽くして炉端を辞めさせるでしょう。彼女は君にとっての毒、記憶を這うゴキブリ、剪定してしかるべき悪枝。ゆめゆめ忘れないよう、瀬戸見美咲は僕の介入が無ければ最悪の結末を迎えていたということを。僕は頼られるときを待っています。君の友人として、ね」
なるほど水壺のスタンスは理解した。「善意の公益」だ。しかしそうだとしても——。
「——狂ってる」
水壺の論じる理屈は理解できたはずなのに、しかしなおも頭が受け付けない。
「誉め言葉?」
「『狂ってる』に誉め言葉の側面はないだろ」
「……!?」
「何を普通に悲しんでるんだよ……」
病気の枝を間引く庭師。救われようとしない者を幇助するドクター・キリコ。
最短最速を生き急ぐ傍若無人の首刈り兎。
水壺颯兎の身勝手さと悪性を暴くことは、今の俺には出来なかった。
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