第9話 魔王の提案
美咲の案内で院内のカフェに移動した。一見すると市街のカフェと変わらないが、点滴を引く患者や白衣に名札を提げる医者など病院らしい人間もいる。俺達が座ったのはあまり大きくない丸テーブルだった。
注文が届くのを待たず、美咲はじろりと尋ねてくる。
「で、なんで望月がここにいるの?」
「椎名先生から頼まれたんだ。美鈴の診察に着いて来ているはずの美咲とちょっと話してきてくれって」
「やちはその助手だよ〜」
「椎名先生にその予定は言ったし、椎名先生が望月を頼ったのも分かる。でもさ。なんで隣にいるのがよりにもよってコイツなワケ?」
「酷い言われようじゃない?」
「妥当だとは思うけどな」
美咲は遠慮なく小泉のことを睨んだ。
「コイツはあの円陣の場でお姉ちゃんを無意味に責め立てたんだよ」
小泉は怯まず飄々としている。
「それで? やちが責めたのはすずちゃんだったのに、なんで学校に来なくなるのがことりちゃんなのかな?」
「そ、れは……」
「小泉、協力してくれるのはありがたいが、その、もうちょっと聞き方には順序ってもんがあるんじゃないか」
「んーないない、甘いよおだちゃん、今現在ことりちゃんのせいでどれだけの人間が気をもんでいるか知ってる? せっちゃんは担任として気に掛けてる。テスト前で忙しいだろうにお家を訪ねまでしてるんだ。ご両親だってきっと気に掛けてるよね? すずちゃんの存在だけでも常に頭を悩ませてるだろーに、そこにことりちゃんまで問題児になっちゃー頭がパンクしちゃうんじゃないかな。その上で——」
「小泉、本当にありがたくはあるんだが、一旦、な。まくし立てたって意味は無いだろ」
小泉はハッとした様子で自分の口を塞いだ。
「ごめんね二人とも、やちったらまたやっちった。やっちい〜(鳴き声)」
「まだふざけてるな……」
美咲は届いたシェイクに口をつけようとして、しかしそうせず、はあとため息をついた。
「私は……ちょっと気が乗らなくて。起きたら気分が悪くてさ、なんとなくベッドから出れなくて」
「やちが看破するまでもないじゃん。すずちゃんの診察に付いてこの病院まで来てる時点で、外出が億劫ってわけじゃーない」
「つまり美咲が学校に来なくなった理由は確かに学校にあるってことか」
「そうじゃないなら、問題は本人にあるけど、学校に来ない限りは無視できるのかな」
「それ学校に原因があるのと何が違うんだ?」
「違うよっ! 原因が外世界にあるなら解決は簡単だけどね、心の中となるとそうは行かないんだよっ!」
「本人の前でプロファイリング進めるのやめてくれるかな。——ともかく、テストには出席するよ、それでいいでしょ」
「わっ、もう話す気ないってさ。頑固だね」
「アンタさ、
「診断を受けてないだけでそうかも〜。でも診断を受けるまでは病人じゃないからあ~」
「テストの後は来れるのか? 大丈夫か?」
美咲は財布を取り出して席を立ってしまった。。
「はいはい、大丈夫だよ。大人に迷惑かけてもいけないしね。じゃあさようなら」
ということで追い出されてしまった。それぞれ飲みさしのフローズン飲料を片手に、駅のホームでベンチに座る。
「はあ、一応、テストを受けに来るって言質は取ったから収穫ゼロではないか。小泉の感覚だとどうだった?」
小泉は日傘の先端をつま先で揺らしている。
「やちが想像してたのはさ、お姉ちゃんの世話が嫌になっちゃったから学校に来なくなったってストーリーだったけど」
「それが一番分かり易いな。俺も似たようなことを考えてた」
「でも今日はお姉ちゃんの検査なりリハビリなりに付き添ってきてるんだよね。本人は外で待たされるだけ? みたいだったから、親が車で送迎するとき隣にいる、ただそのためだけに。随分とお姉ちゃん思いだこと」
「となると『姉の世話に嫌気が差した』は理由として違うな」
「つまり理由はやっぱり本人にある。それが学校という場で顕在化するんだよ。だってそれを言ったとき、ことりちゃんは否定しなかったし」
「学校にさえ行かなければ、心の平穏は保たれるのか」
電車が到着した。春夏李相手にそうするようにドア際の隅を勧める形で座ると、なんか慣れてるね〜とからかわれた。
「ありがとう小泉、俺だけだと踏み込み損ねてた気がするよ」
今回に関しては、小泉のあけすけな物言いのおかげで収穫があったと言えるだろう。いやまあ、小泉がいたからこそ強硬な姿勢を取られたという可能性もあるにはあるが……。
「感謝にはまだ早いよ。なにせおだちゃんはこれからやちに付き合うことになるんだからね」
「え。付き合っ——」
「仕事無いなら暇でしょ? 一限までまだ四時間以上あるよ?」
「あ……ああ。そうか。いや……その。いずれにせよ、春夏李に怒られるから」
春夏李には椎名先生に頼まれて仕方なくとかなんとか言って小泉との二人きりをお許しいただいている。病院を離れてしまってはもう言い訳が聞かない。
「怒られるとどうなるの?」
「春夏李の名誉のために回答は控えさせてもらう」
「その回答の時点でかなり不名誉だよう……。まあさ、ほら、今日付き合わされた分くらいは付き合ってもらうのが筋じゃーない?」
「それはそうなんだよなあ。うーむ」
「道理に負ける程度の彼女なんかーい。ももちゃーん、もーちょっとがんばえ~」
カフェや図書館、多数の多目的ステージを擁した複合施設。子育て世帯の多い駅前にはよくある建物。ダンスやヨガを習う主婦、新聞に目を通す老人、冷房の当たるテーブルに漫画を持ち寄った小学生……そういう人々を眺めながら開放的な雰囲気のエスカレーターを登っていく。
「なんというか……随分と地元感のあるところに来たな」
「やちの地元だよ〜ここの託児施設がやちの第二の故郷と言っても過言じゃない!」
実際のところ既に「八知恵ちゃん」と二回も声をかけられている。顔見知りが多いようだ。
最上七階のホールには笹がいくつも立てられて、短冊も無数に吊るされていた。
『みんながげんきですごせますように』『せかいがへいわになりますように』『いつもたのしくあそべますように』……。
「子どもたちの願いは漠然としてるな」
「具体的な問題が目に付き始めた頃が子どもじゃなくなったときなのかもね」
促されるままチケットを買えば、既に次の公演の席は開放されていた。小泉に続いてドームの中に入れば——四十四の座席は全て一方向に向いている。ドーム中央に伸び出ているのが投影機だろうか。
「プラネタリウムってどの席がいいんだ?」
「後ろの方がいいとされているね」
客はまばらで席は選び放題だった。並んで座る。席を倒そうとすればほとんど横になるくらいまで倒せてしまい驚いた。
職員が声をかけて上映が始まる。簡単な挨拶で笑いを取りつつ、モニターを操作して解説を始めた。最初から真っ暗になるのではなくまずは夕陽が沈むところかららしい。
「月は太陽の光を受けて輝くんです。太陽が地球の裏側に行くと——」
隣の小泉にこそっと話しかける。
「プラネタリウムって解説に順序があるものなんだな。知らなかった」
小泉も席を全て倒しているので、まるで隣で寝ている人間に声をかけるような感覚だ。
「大きなところは全部録音でもっとストーリー仕立てだったりするよ~」
モニターがどんどんと暗くなっていく。
「はい。星も見え始めましたね。貴方の一番星はどれでしたか?」
解説員が尋ねれば、母親の膝に乗った子供が「あれ!」と指差した。解説員がポインターで確認する。
「お、これはデネブっていう星なんですよ。じゃあまずは白鳥座から見ていきましょうか!」
真っ暗になって、星座のイラストが浮かび上がった。それから夏の大三角、天の川、七夕……と解説は展開していく。
「織姫と彦星が会う方法については色々なパターンがあります。船に乗って出会ったり、あるいはカササギという鳥が橋をかけてくれたり——」
ドーム前の適当なテーブルに着いた。小泉はあくびを手で隠している。
「ふわあ。おだちゃんったらかなり楽しんでたね」
「値段以上の面白さだったよ。特に、地球を飛び出して色んな星に視点を移していくところが、アトラクションに乗ってるみたいでさ。バックトゥザフューチャー顔負けのスピード感だったと思う」
「もう無いよそのアトラクション。おだちゃん本当に大阪の高校生? 最後にユニバ行ったの何年前?」
「あれは今から百年前のこと」
「百年前のユニバはまだ海だよ!!」
「俺は両親を救うためにタイムスリップした」
「それにしては戻りすぎてる!!」
「え? 楽市……楽座?」
「戻りすぎてるんだよ!!」
「未来に帰るために平賀源内を探す!!」
「エレキテルじゃ電力が足りないよ! もうええわ!」
「うーん。掛け合いを理解するための前提知識が多すぎたかもな」
「何を目指してんだよおだちゃんはよ」
「小泉はプラネタリウム、よく見るのか?」
「んー? 滅多に見ないよう、何年ぶりくらい」
「そうか、でも見たかったんだな」
「そうそう。なんとなく、ね」
「俺をデートに誘ったのも?」
「なんとなくだと思う?」
「そうであってほしい」
「なんで?」
「何か理由があって俺を誘ったなら、それはきっとよからぬ企みだと思うから」
「あはは! やちったらそんなに計画的な人間じゃーないよ!」
「じゃあなんで亜港先生にあんな仕打ちをしたんだ? 例えば、席の移動を咎めてきた教員にやり返した、これなら一応のところの理屈は分かる。けど亜港先生は小泉にとって決して悪い先生ではなかったはずだ。というか、もっと他に、やり返すべき教員がいるべきだろう」
「じゃあやり返すのが目的じゃーないっ! って考えるのが自然じゃーない?」
小泉は笑みを崩さずに立ち上がった。手を立てるジェスチャーに従って待っていれば、持ってきたのは二人分の短冊とサインペンである。
「やちって短冊が好きなんだよね」
「風情があるから?」
「願いを言葉にしているから」
「初詣でも声に出すのか?」
「お墓参りですら声に出すよ」
「そういう人は結構いる気がするが」
「言葉にすらできないような半端な覚悟しかないなら、その願いは叶わない」
「そう、か。ならこうだな」
書き終えた短冊を吊るしに行く。
「いーねいーね。そういうことだよおだちゃん」
俺が吊るした短冊は——。
『春夏李が幸せに暮らしていけますように 望月倫斗』
俺も覗かれたのだ。小泉は何を書いたかと見てみれば——。
『世界の全てが自分のものになりますように やち』
——お前はふざけるんかい。
「願い事のスケールが魔王なんだよな」
「叶った暁にはおだちゃんに世界の半分をあげよう!」
「遠慮しとくよ……」
小泉八千恵はいつも通り人をからかうようにして笑っていた。
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