第8話 生粋
『おお、色々あったんだね……まとめようか。
水壺くんとは進展。順調に見える。
対して小泉さんは不穏だね。君に罠を仕掛けてきたわけだし、生物の先生が泣かされていた場面に出くわしていたことから、君に興味を持ったのかもしれない。
そして炉端春夏李さん——との過去の話は、まだ聞かせてくれてないね!?』
「いや、春夏李について書いてもいいんだけど……別に大したエピソードがあるわけじゃないんだ。いつの間にか、気付けば、俺に恋人のフリを強いてくる存在になっていた。それだけ。
今俺が気になってるのは小泉だな。今回の小泉の性格の悪さを見て俺は、小泉が亜港先生を意図的に嵌めたんだと確信した。自分から亜港先生にあだ名で呼ばせておいて、それを自分の親から非難させた。だとしたら小泉の目的は何なのか」
『過去の君の発言を引いてくるなら、『大人からの承認が足りていないから』だね。おそらくこの記述の心は、小泉さんに親からの愛情が足りていない、というような状況を想定していたんだと思う。これは私には的を得ているように思えるよ。生物の先生を貶めたのは、親からの愛情を再確認するため、これで筋は通る。——とはいえ、水壺くんにせよ小泉さんにせよ、その前に期末テストかな?』
「こっちは二期制だから第二中間って名前だけど。君は勉強が得意なんだろうなあ」
『平均70点くらいだから中の上くらいかな。ご期待に添えず申し訳ない。君は?』
「俺は平均90以上あるけど、去年詰め込まれた蓄えがあるし、こっちのテストは相当簡単だからな。いや、そっちはかなりの進学校だって聞くし、偏差値70くらいあるよな? じゃあ俺なんか全然及ばないと思う」
『(偏差値に言及した記述を消した跡がある)私は君と話していて自分がどれだけ世間知らずか思い知ってるところだよ? お互い様。——あ、席替えしたから、今後は教卓に入れといて!』
当クラス一年一組は車椅子の生徒がいる都合上、もう片方の一年クラス、二組とは違って地上一階にある。真夏の陽に差されてヘトヘトの身には、階段を上る必要がなくてありがたい。
制汗剤の匂いが残る教室に一番乗りすれば、担任の椎名先生の姿があった。以前と同じようにして教室の中央の机に座っている。挨拶もなく初っ端から——。
「実は困ることがあってな」
こんな調子である。俺はため息をついて向かいの机に腰かけた。
「水壺の件の進捗は聞かないんですか?」
「ああ、まあ。それは今はいい」
「目下の問題は美咲……ですか」
椎名先生は頷いた。
瀬戸見美咲は一週間近く学校に来ていなかった。美鈴の方は来ている。養護教諭の先生と共に問題なく授業を受けている。
「心身問わず調子が悪くて休む奴は決して珍しくないが、しかし今は時期が悪い」
「もう明後日からはテストですからね」
テストの欠席は落単に大きく近づいてしまうアクシデントである。普段出席の少ない生徒であっても、テストの日は大抵来る。やはり受けると受けないでは単位獲得への距離が大きく違うのだ。そして落単は留年に、留年は退学に繋がっている。
「ということで家に伺ったんだが、芳しい成果は得られなかった。顔を見ることはできたんだが、『なんとなく学校に行きたくなくて』だとか『今のうちだけなので』みたいな上辺の言葉しか引き出せなかった」
「椎名先生はなぜそれが上辺だと確信しているんですか?」
「大縄で負けを決定的にしたことを原因に挙げないのは、逆におかしいと思って然る」
「確かに。納得しました」
「そして『今のうち』すらも嘘だって言うなら、ここで機を逃すと美咲は学校を辞めるかもしれない。——オレが思うに、美咲は以前から問題を抱えていた。その『問題』に、心当たりはないか?」
「心当たり、は——」
ある。美咲の抱える矛盾した心。青春への憧憬があるというのに、美鈴を理由にそれから遠ざかろうとする……。
俺が考え込む様子を見て椎名先生はポンと手を着いた。
「よし。じゃあ任せる」
「何を?」
椎名先生が差し出す付箋に書かれているのは病院の名前である。
「学校の教師が病院にまで押しかけるのはおかしいからな」
翌日、午後一時。駅に付随した商業施設の本屋に、約束より早い時間に小泉は立っていた。英語の参考書の内容に目を通している。
「小泉」
「お。おだちゃん、遅いよう」
「五分前だ」
小泉は英語の本を棚にしまった。大学受験教材の棚である。
「大学、行くのか?」
一般的に夜間定時制からの進学率は三割。それには専門学校なども含まれるので、大学に進む人間はかなり珍しい。
「行った方がいーよ? 人生ってゲームをより楽しもうと考えるならね。おだちゃんは行かないの? 奨学金制度一緒に調べてあげよーか?」
「いや……どうかな。一旦は断っておくよ」
ロータリーまで降りて来れば、暖気がぬるりと張り付いた。紫外線を感じる曇天である。
向こうにそびえたつ病院が本日の目的地。この辺りで最も多くの診療科を擁する地域一の大病院だ。
「そっちから約束を取り付けてくるだなんて! って思ったら、まさか病院送りだなんてさ。この前の仕返し? やちの方こそ病人だって? 失言だって言ったじゃん! 酷いよう!」
ぷくと頬を膨らす小泉は、珍しく髪を編んで留めていた。黒と赤が交互に表れてクールだ。ピアスもフックの揺れるもので意外な印象。花柄のロングスカートは涼しそうな素材。底の厚いサンダルを履いてなお、相当に背が低い。
「事情は説明しただろ」
「そうだったっけ、忘れっちった」
「お爺さん、事情はもう説明しましたよ」
「老夫婦のありがちな会話!?」
「夫婦別姓を選ぼうって話じゃあありませんか」
「ないがち! その会話は老夫婦にはないがちだよ!」
信号が青に変われば、小泉は小さな歩幅で駆けるようにして追いついてきた。歩くスピードを合わせて遅くする。普段あまりすることがない仕草で……奇妙に思った。俺は日常的に春夏李と並んで歩いているが、こんなことを気にした覚えがない。
——春夏李が合わせてくれてる? ってことはない気がするな。シンプルに、俺と春夏李って歩くスピードが全く同じなのか。
「それにしたって、どうしてももちゃんじゃなくてやちなの?」
「春夏李は予定が合わなかったのと、あと小泉なら、嘘を見抜くのも上手いかもしれないと思ったからだ」
これを受けて、小泉はまあまあと口元を隠してから、しかしにひひと笑った。
「まるでやちが生粋の嘘つきみたいじゃーん」
「生まれつきの嘘つきとまでは言わないが」
きょとん、と。
「『生粋』って『生まれつき』って意味なの?」
「え? いや……なんとなく。『生』の字が入ってるから。疑問に思ったなら誤用かも」
小泉はスマホを叩いてweb辞書に目を通した。
「生粋の生は『なま』から『そのまま』の意味で、粋は『精米されたお米』の意味から『混じりけが無い』こと。つまり原義は『そのまま混じりけがない』だ。でも確かに、現代では『生まれつき』の意味もある気がするよね。おだちゃんみたいに考える人が多いってことかな?」
「へえ、面白いな」
「成り立ちを考えると、精米された結果混じりけが無くなってるわけだから、どちらかといえば逆だよね。後天的に不要なものを削り落として、残ったものが『生粋』なんだよ」
——不要なものを削り落とす。
病院の自動ドアを潜って吹き抜けの大ホールに入れば、冷風がぶわっと吹き付けた。
「人間に不要なところってあると思うか?」
「あると思うよ? どこかしら削らなきゃあ社会の規格に収まらないじゃん」
「小泉も削ってきたのか?」
「それが嫌だったから夜間に通ってるんじゃーない?」
小泉はまっすぐ迷わずに院内の案内板を発見する。
「なんか慣れてるな、来たことがあるのか? あっ、言い辛ければ——」
「お兄ちゃんが心療内科にお世話になっててね」
「小泉って一人っ子じゃないのか!? 嘘だろ!?」
「どういう意味!?」
神経内科を二階に見つけ、エスカレーターを上れば待合席が並んでいる。平日の昼間なので老齢の人々ばかりの中に。
「え」
「美咲、おはよう」
「やっほーことりちゃん」
キャップにポニーテールの女子、瀬戸見美咲を俺たちは見つけたのだった。
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