第7話 体育祭

 六月の最終週にて、体育祭は午前の雨に見舞われつつもなんとか開催が決定した。


「園田」

「おお、倫斗っちに炉端っち! 今来たとこ!?」


 春夏李と二人、校門から直接グラウンドの様子を見に来てみたところ、園田に出くわした。巨大なスポンジを運搬用の一輪車に乗せて運んでいるところだ。


「今来たぜーい。園田君はまさか排水に協力でもしてたのかい? 殊勝なことだねえ」

「点数稼ぎも兼ねてんのよ! 賢いっしょ!」

「本当に偉いな。それで、努力の甲斐はあったか?」

「倫斗っち! そんな質問して甲斐がなかったらどうすんだよ!」

「それもそうだ」

「バッチリ成果が出てるぜ!」

「出てるんかーい」と突っ込んだのは春夏李。

「でもまだ泥の跳ねるところはあるから、気を付けた方がいいべ。特に炉端っちの服は高そうだしさ」


 春夏李は今日も今日とてアニメチックなワンピースを着ている。本日は丈の短いジャケットにツバの帽子で軍服風のデザインである。


「ボクはいつも通り着替えるから心配要らないよ」

「そっか。それにしても、よくもまあそんな格好できるわ。この暑さで」


 六月末。じめっとした嫌な暑さがある時期だ。特に今年は例年より暑く——毎年言ってる気がするが——なんなら今日も夏日である。ロリータやコスプレ風の衣装はデザイン優先で作るものなので、当然暑いし夏の着用には向かない。


「仕事先からそのまま来ているからね」

「コンカフェって制服があるもんじゃねえの?」


 視線を貰ったのは俺だ。衣装に合わせてうやうやしいポーズを取る春夏李を横に見つつ。


「まあ、仕事は理由ではないな。だからってなんでだかは知らないけど」

「いやーまったく! 恥ずかしいことを言わせないでおくれよ!」

「あっ、もしかして倫斗っちに可愛いところを見せたいからとか!?」


 園田が言うのに春夏李はひゃーっと頬を抑えるフリをした。


「うひょー相変わらずお熱いなー! お邪魔しちゃいけねえしオレはもう行くわ!」


 園田は一輪車を傾かせながらグラウンドへと戻っていった。春夏李と二人、背中を見送る。

 古い木造の校舎は黄色い色調に染められて、カステラのようになっていた。


「実のところは違うよな」

「倫斗のためってのもウソじゃあないぜ?」

「なるほど、確かに可愛いと思うぞ」

「おや! 将来はこんな服を着てくれる人と結婚できるといいね!」

「自傷行為に事欠かないな」

「それはまるでボクが、キミのことを好きなのにキミが別の人と結婚するところを想像して勝手に傷つこうとする自傷癖の変態みたいに聞こえるけれど」

「変態は合ってる気がするが」

「サービスしてるだけだから」

「でも、じゃあ——俺たちの関係って、いつまで続くんだ?」

「さあ?」





 グラウンド外縁に並べられた学校椅子に座り、他学年の徒競走を眺めていた。前半は徒競走系が行われ、練習してきた大縄などの団体競技は日の沈む後半に行われる。体育祭は大体三時間くらいで終わる予定だ。

 椅子を持って歩き、水壺の隣に移動する。水壺は傾いた西日を避けテントの真下から椅子をずらしており、他の男子より少し離れたところにいた。


「リレーではよろしくな」


 首に冷感タオルをかけてハンディファンを見つめる水壺の雰囲気は間違いなくインドア型のそれなのだが、しかし彼はこのクラスの人間で最も足が速かった。ちなみに俺は四番目。

 俺は隣の水壺に顔を向けているが、向こうは前方少し下を向いたままでいる。


「まさか水壺の足が速い方だとは思わなかったよ」

「別に」

「何かスポーツでもやってたのか?」


 水壺は少し返事に詰まったが、声の調子を変えないまま答えた。


「サッカー」

「サッカー! 道理で足が速いわけだ。でも今はサッカー部入ってないよな、もう辞めちゃったのか? 何か理由が?」


 この問いかけは普段の俺ならしないしこの学校の多くの人間もしないだろう。部活を辞めた過去というのは、心の傷を想起させるものだからだ。イジメとか、体罰とか、身体的な要因でやむなく、とか。色々と思い浮かぶ。心の傷を掘り返しかねない質問は、そういう可能性は本来は避けるべきだ。最悪の場合、相手が学校を辞めてしまうことだってありうるのだから。


 人と仲良くなるのにはリスクが伴う。なるほど理解した。俺と「彼女」の意見が異なった理由を。全日制の人間たちはきっともし相手を傷つけてしまったって辞められることは滅多にないのだろう。対して夜間のこちらはギリギリの者も多い。ほんの少し押すだけで崖から落ちていく。


 ——「聞き出す」じゃなくて「理解する」……上手くできてるだろうか。


 果たして。


「運動部は疲れたから」

「なるほどな、サッカー部というか、運動部を避けたのか」

「真面目な運動部ほど、頑張りたくはなかった」

「運動自体は嫌いじゃないってことか?」


 水壺は少しだけこちらを見て、それからまた目線を戻した。判断に悩むところだが、今回は肯定の反応と受け取ろう。


「そうだったのか。そりゃあ速いわけだ。足を引っ張らないか心配だよ」

「足だけに?」

「今のは別に何か上手く言おうとしたわけではなかったな……」

「じゃあ今の忘れて」


 その水壺のやや早い声は、顔を背けて立ち上がる仕草は、「照れ」のそれである。


「望月、そろそろ」

「ああそうか時間か」


 水壺に続いてアナウンスに従いグラウンドに出ていった。


 ——これは結構楽しく話せたんじゃないか!?





 上級生も遥か後方、ぶっちぎりの首位で帰ってきた水壺に園田と一緒に抱きつけに行けば、水壺は青春の真っ只中で照れくさそうにしていた。





 陽が沈めば、団体競技をやって体育祭も終わりである。学年問わず大繩と玉入れを行うことになる。


「よおーし! いっちょ円陣でも組もうぜ!」


 競技直前のタイミング、テントの元で園田が声をかけたが、集まりは悪い。

 園田のシュンとした空気を一秒未満で察知した乃木が、それぞれの背中を叩きに行った。


「ほらほら立て、やるぞ。ほらやろう」


 クラスの者共がしぶしぶといった様子で集まってきた。こう言うと、みな円陣が嫌だったのかと思われるかもしれないが、おそらくそんなことはない。なんとなく気乗りしないというか、気恥ずかしかっただけだろう。


「あの二人がこのクラスにいてくれてよかったな」


 俺の右手側は春夏李にキープされている。


「ええー? まるで本当の青春みたいなことするはめになってるじゃん」

「ここにも本当の青春はあるだろ」

「ね」


 口を挟んだのは小泉八千恵だ。いつの間にか俺の左隣に立っている。


「やちも青春したかったな~」

「おや倫斗? 両手に花だね。肩を組むフリしてセクハラもし放題だね」

「仕方ないだろ肩組むくらいは……」

「残念。やちもおだちゃんと肩を組みたかったけど、それは止めた方がいいよね」

「おっと、ボクに配慮して? いやいや構わないよ別に! ボクはこう見えて寛大だからあ!!」

「んーっ、惜しい! 今やちが配慮したのはももちゃんとは別の病人だよ!」


 小泉は声をそばだてたりしなかった。つまりこの言葉は、形成されつつある円の対面、そこにいる二人に聞こえたわけだ。


「あ、ああごめんね」


 車椅子を押す瀬戸見美咲と、車椅子に乗った瀬戸見美鈴に。


「でも気にせず肩を組んでくれていいよ、ね、お姉ちゃん」


 美鈴は話の流れが分かっていないのか困惑した様子だった。しかし膝の上で不安そうに両手の指を絡めて、ぺこりと頭を下げる。


「ごめんなさい」

「——」


 ぎゅっと胸が締め付けられた。こうやって、なんだか分からないが謝るしかない、そんな人生を送ってきたのだろうことが、察せられて。

 切なさと、気分の悪さ。


「いやいや謝る必要はないから! よしじゃあオレらは……肩を組んで! 美鈴っちはもし肩を組むのが難しかったら手を握ってもらおう、いけそ?」

「……手を?」

「ああうん、ありがとう園田、お姉ちゃんほら」

「よしほらほら肩組め」


 園田がまとめて、乃木が声をかけた。俺も両隣の二人と肩を組む。春夏李のリスカ痕がざらりと首を撫でた。左側の肩は小泉に合わせて下げる。小泉の細っこい腕は日焼け止めでさらさらとしていた。


「一応アタシら多分学校で一番練習してるからな。見せつけてやるぞ団結力ってやつを」


 台詞を言うつもりだったのだろう園田がアレッとしているうちに乃木が踏み込んだ。


「いくぞお前ら!!」

「「おおー!」」


 続けて他の皆がダンと踏み込む。目だけで姉妹の方を見ていたところ、美鈴もぺこりと頭を下げていた。

 円陣が解かれ、いざグラウンドへ向かう——前に。呼び止める。


「小泉」


 振り返る小泉に一瞬だけ浮かんでいたその表情を俺は見逃さなかった。


 ——見間違いじゃなかった。あの笑みは。


 あのときと、教頭先生の隣で目にしたあのときの笑みと、同じものを。

 愉悦と享楽の笑い。


「ん、なに?」


 こちらに向き直ったときにはもうその表情は消えていた。きょとんと首を傾げている。

 先にグラウンドに出たみんなの最後尾では、園田が足を止め、こちらに注意して目を向けていた。眉間にしわが寄っている。何かを懸念しているときの顔だ。例えば俺がここで小泉に食って掛かる……だとか。


「さっきの発言についてちょっとだけ」

「えっ? なんだろ」


 確かに俺は胸糞悪く思った——美鈴には全く非が無いのに彼女が謝らされたところを見て。けどそれについて俺から怒ったら、それは高濱の時の水壺と同じになってしまう。勝手に美鈴の気持ちを引き合いに出して怒る権利は俺にない。


 だからこれだけ。


「春夏李を病人呼ばわりしただろ。そこだけできれば、謝ってくれないか」


 隣の春夏李が驚いてこちらを見る。小泉はわざとらしく口元を押さえて目を大きくした。


「うそ、やちったらそんなこと言ってた? ごめんねももちゃん、気を悪くしないで?」

「い、いや、ボクは別に」


 後はもう素直にクラスのみんなに合流することにした。


「で、他にやちに言いたいことは?」

「他? いや、ないな。ごめんな小泉、めんどくさくて」

「いーや、いーよ。そりゃあ大事な彼女ちゃんだもんね」


 春夏李は「あれ?」と何故だか混乱しているようだ。


「おだちゃん、なるほど確かにやちの失言に我慢したのは偉いよ」

「まるで意図した失言だったみたいだな」

「でもねえ、『病人呼ばわり』はあんまりいい言葉じゃーなかったんじゃーない?」

「……? なにが——」

「だってそれは——病人と呼ばれることを誹りと捉えるのは——病人を下に見ていると認めることじゃん。やちとあんま変わんないよ、それ」





 結局、大縄は下から数えた方が早い結果となった。最後に引っかかったのは美咲だった。

 玉入れも最下位ではあったが、美鈴も楽しそうに参加できていた。





 翌日から学校に来なくなったのは、瀬戸見美咲だった。

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