第3話 一つ目の終幕


 習熟度別に分けられた少人数授業、現代文の標準クラスにて、クラスのリーダー格である園田ダイヤ(そのだだいや)と姉御的な位置に収まっている乃木理央(のぎりお)が、じっ……と真剣な様子で話し合っていた。

 煮詰まっているようだ、園田は頭を抱えて天を仰いだ。


「ううーん! どうしたらいいんだろうなあ!」

「直接言っても聞かねえしな」


 二人の話題は高濱陸(たかはまりく)についてだった。どうしたら高濱を最良の結末に——高校卒業に——導けるのか。それを話し合っていた。


「理由を聞いてみるとかどうよ!」

「もっと踏み込むってことか?」

「どうして授業を受けもしないのに学校に来るのか、とか、なんのために定時制に来たのかを改めて思い出させれば、態度が変わるとか……なーんて?」

「それは……聞きてえけど。この学校柄もあるからな」

「それもそうかあ」


 当の高濱は基礎クラスの方だ。この話が聞かれることはない。もちろん、そもそも学校にすら来ていない可能性のほうがよっぽど高い。


「みんな真面目だねえ」


 国語科の榎本(えのもと)先生は二人を茶化した。通称おすわり先生。授業中ずっと座っており、パワーポイントだけで授業を行う。プロジェクターを活用する先生は多いものの、みな多少はチョークなり電子ペンなりで手ずから文字を書きこむ。「一画足りとも書きたくない」とまで言うのは榎本先生くらいだ。なぜ国語教師になろうと思ったのか謎である。


 今は配信課題に取り組む時間だった。既に課題を終えたのだろう二人に榎本先生がとやかく言うことはない。なんなら椅子を動かして会話に参加していく。


「下手なこと言ったら学校に来なくなっちゃうかもしれないもんねえ」

「そうなんすっよねー」

「でもありゃ、あのままだと退学すよ。どうせ辞めるなら言っちゃった方がワンチャンあるかもっす。お前このままだとヤバイぞって。アタシもう知らんぞって」

「『ワンチャン』で高濱さんに辞められたら乃木さんは嫌な責任感を持って生きていくことになっちゃうだろうねえ」


 榎本先生の発言を受け、乃木は神妙な様子で考え込んだ。

 乃木の立場になってみれば確かに難しい。自分の発言で人が学校を辞めるかもしれないのだ。おいそれと迂闊な注意はできないだろう。

 今の彼女は言葉一つで他人の人生をへし折ることができる。そしてそんなことをしてしまっては、自分の心にすらヒビが入りかねない。


「結構なことだけど、シビアな問題だからねえ。担任の椎名先生に任せておけばいいよ。あ、ま、もちろん君たちがどうにかしたいと知恵を巡らす行為は尊重するし、きっとそれはいい経験だろうと思うけどねえ」


 榎本先生はそんな感じにまとめて問題の解説に移った。





『へー! そんな話をおおっぴらにするんだ!』

「しないのか?」

『いやしないでしょそりゃ。おおっぴらに云々の以前に、卒業危ない子を心配するだなんてことをしないよ。その二人は気が回るんだね』

「いや……多かれ少なかれみんな心配はしてると思う」

『なるほど、人の気持ちになって考えられる人が多いんだ』


 人の気持ちになって考えることができる。その表現が正しいだろうか。違和感があった。少し違う気がする。


 正しくは——なんらかの理由があるのだろうと想像してしまうというか、勝手に同情してしまう——これならしっくりくる。それはただ一方的な感情なのだ。歩み寄っているわけではない。ただその哀れな姿に同情しているだけ。自分も一歩間違えばああだと。だから俺たちが落伍者に理解を示すのは、自分がそうはなりたくないという気持ちの表れだ。


 あるいは俺たちが真に相手の気持ちに寄り添ってるとして、共感しているとして。そうだとしても寄り添える気持ちは限られている。「痛み」。痛みばかりは誰のものであっても他人事とは思えない。





「きたちゃん聞いてよきたちゃん、ねえきたちゃんったら。無視しないで〜」


 生物基礎の授業中、亜港(あこう)先生に絡んでいたのは小泉八千恵(こいずみやちえ)である。

 小泉は黒髪に赤のインナーが映えるタレ目の女子だ。とろりとした舌足らずで人懐っこい雰囲気。ピンポイントのピアスを好む。

 亜港先生はチョークを動かしつつ背中越しに返事をした。


「小泉さん、多少の私語はいいけどもうちょっと声を小さくしてね」

「ええー? いいじゃん今は黒板書いてるんだしね。ねーきたちゃん」


 小泉はどの時間でも最前列の空いている席に座っている。自分の本来の席には着かない。最前列に座ることを咎められた場合その授業には出席しなくなる。そして、あらゆる先生にこうやってかなりの頻度で話しかけていた。これをうまく捌けるかはそれぞれの先生次第なところがあるが……。

 亜港先生は板書の手を止めて小泉に振り返ってしまった。


「あとさ。その、きたちゃんって呼ぶの、なんなの?」

「えー? きたちゃんだよ、きたちゃん」


 亜港先生が「北海道の出身」と言っていたところから「北海道」→「北」→「きた」なのだが、まあこんな経緯は直接聞かないと想像もつかないだろう。小泉のあだ名の付け方は毎回こんな感じでちょっと連想の飛躍がある。ちなみに俺のあだ名は「おだちゃん」だ。望月→月→おだんご、という経緯らしい。


「せめて先生って付けてくれないかな。その呼ばれ方はちょっと問題あるよ」

「どゆこと? きたちゃん先生ってこと?」

「そう。それならいいよ」

「やだ」

「え、ええ?」

「きたちゃんもやちのこと小泉さんって呼ぶのやめてくれたら先生付けで呼んだげる」

「小泉ちゃん?」

「違うよっ!」

「えっ……じゃあ、こいちゃん? とか?」

「そうそう、いいね、きたちゃん先生!」





『その辺は昼でもたまにあるよ。先生にニックネームつけるみたいなやつ。名前をもじったりとかしてね。席を自由に移動して注意されない生徒は流石にいないけど』

「流石にいないか。小泉くらいに甘えん坊なやつはいる?」

『それはいる。学年に一人二人くらいはいる。先生たちを過度に友達扱いして、職員室まで押しかけて雑談をしようとする人が。あれなんなんだろうね? 私たちとはあんまり絡まないでさ』


 俺は、迷いつつもしかし「大人からの承認が足りてないのかもな」と書き記した。


「ポエムでもしたためてる?」


 背後から声をかけられて慌ててノートを閉じる。隣に来たのは炉端春夏李(ろばたはかり)である。


「やあ、部活行くかい?」


 まだ四時間目の気分だったのに、時計を見れば放課後だった。周りは既に各々移動し始めている。

 最近の俺は昼の「彼女」との対話について深く考え込んで、時間を忘れることがあった。


「あ、ああ。行こう」


 ノートを机に入れて鞄に手をかける。春夏李はあれと指差した。


「倫斗(りんど)。キミいま、かなりダイナミックにそのノートを忘れて帰ろうとしてたよ」

「あっ……あ、ああ。そうだったな。ぼーっとしてた」

「ぼーっと? そんな感じじゃなかったように見えたけれど」

「まあ、そんなこともあるだろ」

「ふーん? あっそう」


 春夏李の細い目線を受けつつ、落書き帳を鞄にしまって一緒に部活へ向かった。後で隙を見つけて再び教室に戻り、ノートはまた机に入れておいた。





 そうして六月も半ば。

 初めての中間試験に高濱は現れなかった。

 以後、高濱の姿を見ることは二度となかった。

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