2-25 捕縛無用

 所長は、話を変えたいのか、ひとつ咳払いをした。


「──しかし。ドクターマセュー、あの巻物は、初めて見ましたが……」


 マセューも目を閉じ、気分を入れ替えるように顔を上げて答えた。


「ん。これはな、昔に研究所におった転生者が、ワシに遺した文でな。和歌ウタと呼ぶものらしい」


 だがなんと書いたかは、ついぞ言わずに死地へ赴きおったわい……。マセューは遠い昔を眺めるような目でつぶやいた。


 そして微笑みを浮かべ、所長に振り返り、また子供のような高い声で言った。


「しかしだね、所長? パレードさえ無事に片付けば、このタケシは無罪放免。いやむしろ恩赦じゃ。ワシが譲り受けても良いと言うことじゃないか?」


 






 開け放しの木戸にはランプの灯りが揺らいでいる。


 見つめ合ったまま、あんぐりと口を開けていた所長は、仕方なさそうにカールした金髪の根元を掻きながら、


「──まずは訊いてみましょう。この少年の話とやらを」


 と、廊下で見張りをする憲兵に「ここで調書をとる。椅子を運び込んでくれ」と命じ、


「ですが確約はできませんぞ、我々も仕事でやっておるんです」


 と髭の先で息をまいた。


 




 そこに、タケシとそう変わらない年頃の若い別の憲兵隊員が、木戸の入口に影を落として顔を覗かせ、


「所長、少年の所持品を持ってまいりました」


 好奇心を押し隠せない様子でその若い隊員は、タケシの顔をちらちらと見て寄越しながら言った。手と胸に、革の小袋と一通の奉書包み、そして金属柱を一本、抱え込んでいる。


「ご苦労。それで全てか?」


「はい。改めましたところ、この革袋の中身はミハラ会合衆のヂモンさま宛の割符さいふ。で、こちらの奉書包なのですが……その……大変申し訳ないのですが……」


 若い憲兵は言葉を濁し、横目でマセュー博士を見やっている。そう口ごもりながら愛想笑いを浮かべる彼に、所長は焦れるように言った。


「なんなのだ、シャスポー。さっさと言わんか。奉書包がどうした」


「じつは…… 宛先がマセュー博士でして……」


「なんじゃと?!」


 マセューは思わず若い憲兵へと振り返る。


「本人のワシがここにおるというのに、親書を開封したと言うのか? まったく。差出人はいったい誰じゃ」


 若い憲兵が身を縮め、伏目でマセュー博士を見やりながら言葉を濁した


「まさか博士が、午後もおいでになるとは思っていなかったもので……。差出人はこの通り、イワエド村の武僧院の住持、シカルダとありましたが……」


 聞き慣れない人物名に、マセューがきょとんと立ちすくんだ。


 所長が顎ひげをこすった。


「ご存じ、ない?」


「うむ? ……知らんのう」


 タケシは横になったまま顔を上げ、口を開いた。


「図書館の司書にシカルダさまの同期にあたる修道僧クレリックがいらっしゃるとかで、その方を通してマセュー博士にはお渡しするようにと伺っています」


 所長は確認するようにマセューを見、


「ご存じですか?」


「──ああ、心当たりはな。確かにおる。なんと言ったな、タケシ。そのクレリックの名は」


「アナン様です」


 澱みのなく答えたタケシに、所長は仕方なさそうな顔をした。


「ということはだ。タケシとやら、お前は僧院の小僧か」


 だがタケシは首を振る。


「いえ。おれはただの…… 旅の女の子に拾われた奴隷です。あでも、捨てられました。シカルダさまは心の師匠ってだけです」


 所長は眉間を揉み、タケシを一瞥するにとどめた。


「なんともややこしい……が、凡バルディア法上、無宿転生者にはかわりない」


 だがマセューは拘らない様子で、さっぱりと言った。


「しかしその文の宛先はワシなのは間違いなかろ。なあ、所長」


「そうですな」


「よし。その奉書はワシのもんじゃ、よこせ若いの。それに、この内容いかんではパレード証言の信憑性も測れるというもの。どれどれ……」


 憲兵から奪った奉書を包みから取り出し、眼鏡を直してマセューは読み始めた。


 所長も、革の小袋を受け取る。中には木札の感触が確かにあるようだが、まずはその小袋の口紐に付着している蝋の塊を気にしたようで、表裏と所長は小袋をあらためながら見ている。


「蝋で封印してあった跡があるな。破ったのはおまえか、シャスポー」


 シャスポーと呼ばれている若い憲兵は、はいとだけうなずくが、所長はため息をついて諭した。


「……面倒なことを。……タータル・ヂモンといえば次期の会合衆議長だ。こう言うややこしいモノは念のため上申する癖をつけろ」


「は。申し訳ありません……!」


 所長は革袋の口を覗き、中に木札の半切れを認めた。


「で、何者だ、そのシカルダという坊主は。調べはついているのか」


「はい。闘技に明るい隊員によると、前々回の春の国の御前試合で決勝まで進んだ武僧モンクらしく。なんでも現役時代、タニマチにヂモンさまがいたとか」


「なるほどな」


 所長はタケシの着ている緋色の道着をちらりと見た。


「それで武僧教会モナスタの道着か。……ドクター、親書の方はどうですか」


 言われてマセューが、読みふける文面の途中で声を低くし、所長を睨みつけるような目で手招いた。


「ん。……シカルダ僧の花押については、それこそヂモンに改めさせにゃあならんが、内容は実に興味深いぞ。ここを見てみろ、所長」


 指先でマセューは、その横書きの高文語ハイスピーチバルディア文字による一行を示し、目を這わせて所長が口の中、読み上げていくうちに素っ頓狂な声を上げた。


「……尚此ノ者なおこのもの岩江戸僧院預イワエドそういんあずかリノ見習僧みならいそう御座候ござそうろう依之而これにより捕縛無用ほばくむようそうろう宜敷御取計よろしくおとりはからい願上候ねがいあげそうろう。 ……?! な、なんだとぉ!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る