第八話 追跡
2-22 囚われの異邦人
いつの間にか、タケシは冷たい石の独房に寝かされていた。
鼻先に届くのは、頬にも貼り付く新しい麦わらの乾いた匂いと、濡れた石床の対照的な冷たさだった。こんもりと盛った麦わらの山はこの石牢のベッドなのだろうか。身を起こしかけたが、節々が痛み、鉛のように重く、断念した。
うすく開けた目に、次に映ったのは、鉄格子が仕切る小さな天窓で、昼の光が独房にまばゆく差し込んでいる。湿った石壁には苔がむし、足元には掃除用の排水溝が切ってある。目でなぞっていくと、その角隅には誰が置いて行ったのか蓋付きの乾いた木桶があり、年季の入った悪臭を漂わせている。
タケシは持ち上げている顔を、再び麦わらの上に落とした。
壁の小さな木戸の向こうで、近づいて来る靴音があった。
何もかもが、まるで厩舎のようだと感じた。
体勢だけでも移そうと彼が脚を組みかえると、足枷の先で鎖が冷たい音を立てた。金属の重みが、まるで悪夢のようにしがみ付いてくる。さらには目を擦ろうとした腕が、手枷で重く同じ鎖へと繋がっていて上がらない。
まるで思い通りならない身体を仰向けにして、タケシは天井に目を走らせた。
エメラの酒場とは異なり、長く切り出した岩を隙間なく渡してある。
「ここは……」
おそらく牢獄であろう。だがどうして……。タケシは顔を歪めた。
頭も、ぼんやりとしている。
かろうじて思い出せるのは、路地を駆けていたこと。そして倒れてしまったこと。タケシは頭を振る。思い出すべきことが、もっとあるはずだった。
なぜ、自分は走っていたのか……。路地を、あんなにも息を切らして……。
タケシは仰向けに寝転んだ。
見上げた格子窓からさす光の中に、藁クズが漂っている。
そういえば、……イリアの姿がない。
タケシは目を見開いた。
「……そうだ、イリアだ!」
黒い馬車に彼女は飛び乗って行った。
タケシは飛び起きようとしたが、中途半端なまま終わってしまった。手枷の鎖が邪魔し、麦わらの上に倒れ込んで彼はうつ伏せたまま、
「イリア……」
乾いた草の匂いに顔を埋めたまま、タケシは記憶の中を走った。そう。彼女はあの反重力魔道士、コン・ゴルドーとともに行ってしまった。
胸の中に焦燥感が広がる。
こうしている間にも彼女は、王子暗殺に向け、時計の針を進めている──。
その時、独房の覗き窓に影が走った。
気付いたタケシは目を細め、寝たふりをした。
外には廊下があったらしい。男ふたりが何か言葉を交わしながら近づいてくる。その後、壁にはめ込まれた木戸から錠前の外される硬い音が響く。戸が重々しく鎖の音を巻き上げながら跳ね上がっていった。
屈むようにして覗く男の声がした。
「まだ……寝ておるようですな。繋いであります。どうぞ、ドクターも」
木戸の真下でランプの灯りを揺らめかせて、サバトンを履いた憲兵の足元が腰を屈めて入ってきた。タケシは薄目を開けて様子を窺う。
すると続いて白衣の中年男性も戸をくぐり、革の黒かばんを石敷きの床に置き、
「今朝の娘とは違って、こっちはおとなしいもんじゃな。どれ、手早く検査は済ませ、気つけ薬でも嗅がすかの。尋問はまだなんじゃろ、所長」
そう繋がれているタケシの元にしゃがみ込んだ。
すると所長と呼ばれた憲兵隊長は、湿った壁に背をもたせかけて、記録用紙を挟んでいるのかクリップボードとペンの用意をする音をさせて、
「ええ。助かります。よければこの少年の所持品をお持ちしますが」
「そうじゃな。頼もうか」
「承知しました。ドクター・マセュー」
所長は戸口の外で見張りに立つ別の憲兵に声をかけた。
その間にもマセューと呼ばれたドクターは、横たわるタケシのもとに膝を着き、手枷の下、タケシの左右の手首を取り、目を閉じる。
脈を測っているようだった。そして目を開けると、
「──えらい乱れとるな。毒でも盛られたのか」
そう独り言をし、真鍮の聴診器をタケシに当てて耳を澄ました。
「ふぅむ。呼吸も腸も問題なしじゃな」
そして毛髪の根本を指で分けて、
「クロカミも地毛のようじゃな。よかったのう所長。こっちはホンモノかもしれんぞい」
そう言いながらマセューは眼鏡を直してカバンの中を探り、木べらを取り出した。
「どれ。口を開けさせてもらうぞい」
と眠っているフリをしていたタケシに、手にしたヘラを示すと、目と口を開け、見やすいように舌を出したタケシに腰を抜かしたように、そのまま石床へと尻餅を付いた。
「お、おまえ……起きとったんか?!」
目を見開き、禿げあがった頭の側面に残った白髪を後ろに束ねるマセューは、驚愕をその顔に浮かべた。
「しかも…… 言葉が…… わかるのか」
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