第七話 焦点
2-10 塔を見つめる少女
おだやかな風に、出窓の鉢植えがそよいでいる。
窓には、南にひろがる市場の空に向け、見晴らしの塔がくっきりそびえている。
その出窓の前でイリアは、左の片腕を上げ、じっ、と外を見つめている。
ミハラの曲輪の東門から続く市場街が南北の大通りへと変わって、その名前を中央広場とあらためるあたりの、そのまた少し西に引っ込んだ筋の住宅街の中、サーカスの騒ぎから救った母親のエステルと息子のガフが住む官舎がある。
「宿をお探しなら、どうぞうちに泊まってくださいませ」
そう言ってエステルが聞かず、すっかりイリアにも懐いたガフが二人を引きずるようにして、この四階建ての
廊下をへだててキッチンダイニングと寝室、そしてこの書斎があるきりだが、四階建ての角部屋だけあって見通しが効く。道具屋の界隈が密集する屋根のならびのかなたに、見晴らしの塔がよく見える部屋だった。
だが案内されるなり、出窓から塔までの距離を測ったイリアは、不満げになり、それきり左手を挙げて、向こうの空に祈りか、合図でも送っているのか、立っている。
ドアのむこうからは、スープのにおいが漂ってきている。
この部屋から塔までの測距は、そうして案内された直後とうに測り終えていて、五リーグ(五〇〇〇m)には少し足りないこともわかっている。
それでも立ち尽くしているのだから、彼女には、もうそうして出窓の前に立っていることに意味があるものと思われた。
タケシはソファに寝転がったまま、その彼女の背中を眠たげに見ていたが、
「──あー、イリア。いつまで見比べても、塔までの距離は変わんないんじゃないかなぁ」
かれこれもう十五分も、そうして窓際に立っているのだから、だんだんタケシも心配な気持ちになっている。
タケシの声かけに、イリアは振り返り、
「わかっている。距離が変わるとかそう言うことじゃない。もう、こうするほかないんだ」
その声はいつになく寂しげで、タケシは身を起こした。
「こうって、お手上げってことかい?」
「そうだ。もうこれしかない」
と、また出窓に向けて、疲れたのか今度は右の腕を掲げはじめた。
──しかし、その時。
前髪と、白いスカートの端がフワリと浮き上がるような揺らぎがし、タケシも空気が床ごと持ち上がったかのような一瞬の違和感に、あたりを見回した。気のせいかとも思ったが、風もなく机の上でメモパッドがめくれて音を立てた。
イリアは、その様子に手を下ろし、出窓に背を向けた。
そして椅子をひき、机のうえに頬杖をつくと、
「ためしてみるものだな」と、呟いて目を閉じた。
タケシは、部屋の様子を伺っていたが、違和感は消えており、
「なんか、いまジェットコースターみたいな、フワッとした感覚があったけど…… イリアした重力の魔法かい?」
しかし、イリアは頬杖の上で、青い目を薄く開け、
「気にするな。敵じゃない」
と、また目を閉じた。
市場ではあんなに急いでいたのに、イリアは椅子の上で、今は覇気が失せたように、疲れている。タケシは、
「お祈りだかなんだか知らないけど、まぁ、疲れたろ。このソファ、きみが使ってよ」
と、立ち上がりかけた。
しかしイリアは、
「──とてもじゃないが、横になんか……」と、腰掛けたままアクビをし、「眠ってる場合じゃない……」そう眠たげな目を頬の上に乗せて、机の上の肩掛けカバンを近づけて、それを抱くように一度埋めた顔を上げて、ぼやくように言った。
「それに、客が来るかもしれない。あんまり、招きたくは無いがな……」
「──客人? なんのこと? それ」タケシは首をかしげた。
まもなくすればエステルが
「……むしろ、おれたちがお客さんじゃなくね?」
そうはいいながらも、タケシは微笑み寝息を立て始めたイリアに、その肩へとブランケットをかけてやった。
だが、気配に目を覚ましたイリアは、謝るタケシに、薄目の横目を向けて見、
「──寝たくない。タケシ、話に付き合え」
そう言って、机の上で抱くバッグの位置を変えた。
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