第四話 如意

1-30 夜明けまでに決着を

 頭目のアルセンは、樽の上に腰掛けたまま、言った。


「誰が指揮するかはともかく。こうなったら、このまま籠城をしたほうがいい。なあそうだろ、姐さん。どうせ明日には気温が上がる。ケルピーも干物だ」


 だが、カウンターで肘をついているエメラは、芳しくない顔を横に振った。


「サモエドの山に雲がかかっていたわ。……店に入る前にね」


 こんな夜には決まって雨が降る。しかも激しく、翌朝までは降り続く。


 そう聞くとアルセンは、困ったように口元の無精髭を掻いた。


「雨か…… そいつは不味いな」





 タケシも、窓の外を見た。


 星々で明るかった夜空も、今は千切った雲が、低いまま足速に流れて行く。


 川馬ケルピーと呼ばれる、あの巨大サンショウウオは、その繁殖が水中での卵生である点、そして、粘膜様の皮膚から見て、タケシの知る限り両生類に似た生態を持つと思われる。


 タケシは、胸騒ぎを隠すように腕組みし、歩き回りながら、あらん限りの両生類に関する知識を記憶の中、たぐり寄せた。


 ──となると、呼吸の三割は皮膚呼吸か。もし、雨に濡れれば……


 このまま無為に籠城しても、憲兵隊の努力と犠牲は、文字通り水泡に帰する。



 それに、


 ──もし自分なら……


 人の知性と魔獣の獣性を併せ持つ、あの巨大なサンショウウオのことだ。息を吹き返したあと、次の手は、柔らかな民家を襲い、人々を次々に飲み込んで、卵を奪って籠城する敵の心を掻き乱して見せるだろう。









「──そうさ」


 アルセンも、夜空を行く雲を、恨めしいかのように見上げた。


「しかもだぜ、さらに言えば雨が降りゃ、俺たちゃトドメの手筒砲カノンが使えねぇってワケだ」



 魔獣の皮膚は総じて硬い。粘膜様の川馬ケルピーの皮膚も、その皮下には繊維状の硬組織があり、刃物の斬撃は受け付けない。それゆえ憲兵隊は、槍隊の刺突で四方からあの大きなアゴのある頭部を持ち上げて、胸の下から手持ち大砲で、コアを直射しようと試みた。



「だが。その手筒砲カノンが、どっかに行っちまった今……」


 アルセンは煙り草のパイプにマッチで火を点けた。


「まったく、歯痒いもんだな」


 討って出るのは、今はただ、死に急ぐのと同然である。







 だが、ディンゴは樽テーブルの上に、革製の肩掛けバッグを置いた。


「ん? そいつはなんだ」


 アルセンは、興味深そうな目を煙にしかめた。ディンゴは、


手筒砲カノン胴乱ドーランです」


 その真鍮製のスナップを外して、箱枕にもなる蓋の中を見せた。


「撤退時にスピノザ隊長が見つけてくれました。……回収できて良かった」


 中を覗き込んだアルセンには、三つの仕切りのうち二つの部屋に茶筒ほどの油紙を巻いた物が見えて、タケシにはその正体は明らかでは無かったものの、アルセンのほうは歓喜の声で、


早合はやごかよ…… やるじゃねえか、あの隊長」


 煙り草の残火を手で押さえて急ぎ消した上で、その油紙の筒を、そっと、重たげに摘み出した。







「それは…… 何ですか?」


 焦げ色の油紙が何かを包んでいる。それは茶筒ほどの大きさで、中身こそ見えないが、一方の端が金属球を包んでいて重く、もう一方は粉末を詰めているようで軽そうに見えた。


 興味深げなタケシの目が、アルセンには微笑ましいのか、


「こいつは早合はやごって言ってな。一発分の砲弾と、火薬をひとまとめにしてある、それはそれは便利なモンだ」


 講釈しながら早合を、彼が差し出した手の掌へと置き、


「こうして犬歯で、包みのカドをちょいと裂くだろ。で、こうやって大砲の口から火薬を流し込んで、砲弾を落し入れりゃ、もう発射の準備は完了するってワケだ」


 しかも油紙が、湿気に弱い火薬と、荷の中で転がって座りの悪い砲弾を、一纏ひとまとめにしていることで持ち運びの利点もある。




「そうか。防水か……」


 タケシは関心し、そのにおいを嗅いだが、獣脂の臭気にふと眉をひそめ、もとの革製カバンの仕切りの中へ置き戻した。ディンゴはそのカバンに蓋をした。


「広場は闇夜です。あてなく魔獣の周りをうろつきながら砲を回収するのは、非常に困難かと思います」


「だろうな。寝た子を起こすようなもんだ」


 だがよ、とアルセンは樽の上で口もとを曲げる。


手筒砲カノン以外に、俺たち他にトドメがねえもんな……」


 そう呟きながら腕を組み、「仕方ねぇ」と、鶏の焼き串が落ちていないか床の上に彼は視線を這わせたが、それはクジ引きで決死隊を編成する事を意味する。


 そのさっぱりとした死生観に、ディンゴは微笑んだ。


「しかし。アルセンどの。それには及ません。──この火薬で今から爆弾をこさえます」


 すると、その若者に、アルセンは眉間に寄せたシワともども、腕組みを解き、そりゃオメエ、いいアイデアだぜぇ、と身を乗り出した。


コアを、手製爆弾でブッ飛ばす気か? ははは! こりゃ面白ぇな」




 しかし、窓際に椅子を出し、広場のケルピーを監視していた赤鼻のトズランは、苛立たしげな目でディンゴに歯牙を剥いた。


「だがよ! 爆弾だって、雨じゃ、どのみち使えねぇじゃねえか!」


そして、壁に背をもたせている大男を指でさして、



「トドメだけなら、あのボヤンスキーの戦斧でだってできるんだ! ただし、それには、ケルピーを仰向けにしなきゃならねえ」


 出しゃばるならそれを先に考えるべきじゃねえのか! と、トズランは眉間にシワを寄せて尖らせた口で彼を見ながら、まだ怒りが治まらないかのように、椅子の上、腕と脚を組み、ふんぞり返った。







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