第18話 滝夜叉姫 9

「その前社長令嬢というのは、お亡くなりになられたのですか?」


頼光の問いに藤原社長は首を振った。


「それがわからないのです。前社長の葬儀以降音信不通になっていて、誰も消息を知らないのです」


社長は深々とため息をついた。


「工場内の監視カメラを確認しましたが、そのような人物は写っていませんでした。なので私としても彼らの言い分を信じることが難しく、むしろ私の退任を狙った作為的な証言と捉える方が合理的でして。確かに五月さんはお父様の会社を私が買収したことを快くは思っていないはずで、それを知っている者が彼女を口実に使っているのではないかと……」




「……あの社長の話、本当なんですか?」


夜、工場の正面玄関側に張り込んだ大和が晴明に聞いた。


「本当って?」


「監視カメラに何も写ってなかったと言ってましたが……」


「ああ、そのことね」


晴明はにっこり笑って大和に説明した。


「八岐大蛇の鱗のペンダントや鬼女の面などの呪いの道具を身につけた人間は、生と死の間に身を置いた状態となる。この世のものでないものを身につけるということはそういうことなんだ。黄泉の国に片足を突っ込んだ状態だから、写真や動画に姿が映らなくなるんだ。鏡にも映らないし、影も無くなる」


「そうだったんんですね……」


「でもまだ一応生身の人間だから、扉のない所を幽霊のように通過したりなんてことはできない。この工場に現れたということは、必ず扉のある所から入ってきたはずだ。ここの元社長令嬢なら鍵だって持っているはずだし、勝手知った場所なら侵入も容易かったはずだ」


「それで武尊たちは非常口側を張ってるんですね」


「そういうこと」


晴明はうーんと大きく両手を上げて、長時間同じ体勢でいるせいで血流の悪くなっている体を伸ばした。そんな晴明を横目でちらっと見た後、大和は少し遠慮がちな声で聞いた。


「あの、鬼面の女というのはもしかして……滝夜叉姫ではないですか?」


「おお!」


晴明はぱっと顔を輝かせた。


「記憶が戻ったのかい? ということはもしかして、武尊とセッ……」


「違います!」


慌てて否定する大和を晴明は不思議そうに眺めた。


「違うのかい? ならどうして……」


「神楽の演目に似てると思って」


晴明は驚いて目を見開いたが、ふと思い当たることがあって頷いた。


「そういえば大和は島根出身だったね。けっこう田舎に住んでたのかい?」


「はい。それに俺、地域の神楽団に入ってたんです」


(何という偶然か……)


晴明は嘆息した。記憶を失っていても、やはり本能が彼をこの道へ導いたということか。


(まあ、魂の八割を持つ大和が神楽の本場に生まれたんだ。こうなることは必然だったんだろう)


「どうして神楽団に入ったんだい?」


「それは、やっぱりかっこいいから。団員は地域の子どもたちみんなの憧れですよ」


「都会の子どもたちは神楽の存在自体知らないだろうに」


「そうなんですね。俺たちは生活の中に当たり前のように神楽があったから。お祭りの際には必ず上演されるし。三歳くらいの小さな子どもでも喜んでくるくる回って真似してます」


「そうか……」


晴明は感慨深く頷いた。


「神楽は我々にとってとても意味深いものだ。戦いの記録であり、戒めであり、何度も生を繰り返す我々の記憶の支柱だ。君たちのように記憶をなくした代行者は今までいなかったけど、君たちのおかげで今回この神楽の存在意義を改めて再認識することになったよ」


「神楽は、代行者たちの戦いを再現したものなんですか?」


「かつて最も有利に勝利を収めた記録といっていい。毎回同じようにはいかないけど、やはり勝利体験というのは精神的に心強いからね。我々はなるべくそれに近づけようと努力している」


「滝夜叉姫の演目はやったことないですけど、見たことあります。貴船神社で妖術を授かった滝夜叉姫が、父の無念を晴らすために朝廷に反発して、大宅中将光圀おおやけのちゅうじょうみつくにがそれを討伐する話ですよね? 今回は光圀公がまだ赤ちゃんだから、俺たちが出てきたんですか?」


「そうだよ。こういうことは今までにも何度かあって、その度に他の代行者で補い合って、我々は勝利を収めてきた」


「ヤマトタケルは……」


大和の言いたいことを晴明は素早く理解した。当然のことだった。晴明を含め、他の代行者たちが一番気にかけている問題を、大和は今まさに口にしようとしているのだから。


「いくつかの演目に出てきますね。実際俺が舞ったこともあるんです」


「……そうか。どの演目を舞ったんだい?」


「伊吹山」


大和ははっきりとその演目の名を口にした。落ち着いた声だった。晴明の方が動揺するほどに。


「最も有利に勝利した記録とおっしゃいましたね。当然伊吹山もそうなんですよね?」


「ああ」


晴明は頭を垂れた。


「どの戦いも毎回事情が変わるから、必ずしも同じ結果になるとは限らない。今回だって、ほら、光圀殿は欠席だろう?だけど、伊吹山の結果が変わったことは今まで一度もないんだ。我々も毎回死力を尽くすんだが、なぜかいつも同じ結果になってしまう。君が今回の光圀殿のように幼過ぎたことも一度たりともなかった。君は必ず剣を持てる年齢で、いつも孤独な戦いを強いられた」


「このこと、武尊には黙っておいてもらえますか?」


大和は真剣な表情で晴明に請うた。


「なぜだい? 君一人で背負うには荷が重すぎるんじゃないかな?」


「そんなことないです。今までだって一人で背負ってきた重荷でしょう?」


大和は視線を足下に落とした。


「あいつは……俺とは全然違うんです。明るくて、能天気で、幸せそうに見える。変わって欲しくないなって思うんです。自分の過去を知ったら、あいつは心を病んでしまうかもしれない。幸いあいつは神剣を使えないし記憶も俺よりずっと少ないから、過去の俺たちが辿ってきた道から外れることができるかもしれない」


晴明は何も言うことができなかった。


(魂を分けた存在だと言うのに、黙って一人で行くつもりなのか……)


「大和……」


コツン、とヒールが地面を打つ音が、大和と晴明を現実に引き戻した。


(こっちに来たか!)


白い着物の裾を引きずって、長い髪を振り乱した鬼面の女が、大和と晴明が張り込んでいる正面玄関前に姿を現した。和装にも関わらず足元だけ真っ赤なハイヒールなのがミスマッチで少し滑稽だったが、その手に握られている薙刀を見ると笑っていられる場合ではなかった。


(できれば非常口側に行って欲しかったんだが……)


晴明はあらかじめスマートフォンに用意しておいたメッセージを素早く頼光に送信すると、大和を庇うように前に出た。


「晴明さん……」


「とりあえず剣を抜いて。頼光様が来るまではなるべく動かないように。相手が攻撃してきたら迷わず剣を振うんだ」


大和は頷くと、天の村雲の剣を鞘からすっと引き抜いた。


「……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る