第17話 滝夜叉姫 8

「鬼の面をつけた女の幽霊?」


「そうだ。それに驚いた工員が転んだり階段から落ちたりして怪我人が続出しているらしい」


「しかし、この世のものでないものは普通の人間には見えないのでは?」


大和のもっともな疑問に頼光は頷いた。


「ああ、つまりまだ間に合うということだ」


「それって……」


病院の駐車場に入ると、すぐに晴明が駆け寄ってきて助手席に乗り込んだ。


「武尊、大和、昨日ぶりだね。頼光様、ご依頼の品お持ちしました」


「よし、後ろの二人にも渡せ。お前らさっさとそれに着替えるんだ」


「晴明さん! 病院空けて大丈夫なんですか?」


回された服に腕を通しながら武尊が聞くと、晴明は助手席から振り返ってウィンクした。


「そのために分娩施設の無いレディースクリニックを開いたんだよ。診察は副院長に任せてあるから問題ない」


「へえぇ」


妊娠出産に全く縁のない武尊はいまいちピンと来なかったが、分かったようなフリをして頷いた。


「あの、さっきまだ間に合うっておっしゃってましたけど……」


「頼光様、二人にもう説明されたんですか?」


「いや、まだほとんど話していない。工場に幽霊が出てストライキが起こっていることだけ説明した」


頼光は再びアクセルを踏んで病院の駐車場を出た。


「続きはお前から話せ」


「分かりました」


晴明は頷くと、バックミラー越しに後部座席の二人を見た。


「君たちも知っての通り、この世のものでないものが見えるのは我々代行者たちの特権だ。つまり工場の人たちが見たのは、鬼の面を被ったただの人だということだ」


「ただの人?」


拍子抜けした武尊は思わず間抜けな声を出した。


「まあ、ただの人というのは少し語弊があるけど。こないだの八岐大蛇事件で女の子が呪いのペンダントを持っていたね。次の女性では鬼の面がそれに当てはまる」


「まだ間に合うっていうのは? 辰巳とその女の人では何が違うんですか?」


「まだ誰も死んでないからさ」


晴明は人差し指と中指を立ててピースの形を作った。


「人を呪わば穴二つって言葉を知ってるかい?」


「え……なんか聞いたことあるような……」


「人を呪えば自分にもそれが返ってくるという意味だ。七人の同級生を呪い殺した辰巳さんも、最初の一人を呪うまでは生きていたはずなんだ。最初の一人が大蛇に食われると同時に自らも呪いによって命を失い、我々にしか見えない異形の姿に変わったのさ」


「つまり、今回の女性が誰かを呪い殺す前なら、恨みを買った人間だけでなく彼女自身も救えるということですね?」


大和の言葉に晴明と頼光は深く頷いた。


「これが本来の我々代行者の動きだ。八人も死者を出すなんて本来あり得ないことだ」


「八岐大蛇の時は完全に後手に回ってしまったけど、基本はこうやって迅速に先手を打つんだよ」


晴明はフロントガラスの奥の遠い景色に視線を投げた。


「人は、他人を呪うことで自分自身も殺す。それを幇助ほうじょするのが鬼だ。鬼の先手を打って、人が人を呪う前に食い止める。それが私たちの仕事なんだよ」


頼光はストライキ騒ぎの起こっているという工場の前で車を停めた。平日の昼間にも関わらずしんと静まり返った工場に入ると、かろうじて灯りのついている事務所が目に入った。


「今から何をするんですか?」


「経営者から話を聞いて、夜の工場に潜り込む」


頼光は手短に説明すると車を降りた。階段を登り、二階の事務所の扉を叩くと、事務員の女性が何事かという顔つきで対応に出てきた。


「渡部の方から連絡させていただいている者なのですが」


堂々とした頼光の態度に、女性は全く怪しむことなく四人を奥の応接室へと通してくれた。


「警察の方ですね? お待ちしておりました」


経営者らしき男性は四十代くらいに見える小太りの男で、差し出された名刺には「代表取締役社長 藤原秀樹」と印字されていた。


(警察の方?)


武尊と大和は非難がましい目で頼光を見たが、彼は完全に二人を無視した。そういえば頼光と晴明はスーツ姿だったが、晴明の持ってきた武尊と大和の服は、警察の着る半袖の制服によく似ていた。


「渡部の方から説明はお聞きしてますでしょうか?」


「はい、潜入捜査に入られると」


「ご協力感謝いたします」


「いえ! こちらこそご足労いただきまして……」


藤原社長はちらっと武尊と大和を見た。


「ずいぶんとお若い方もいらっしゃるんですね」


「彼らは今年の高卒です。若い分体力は我々より上かもしれませんね」


「そうですか」


彼は安心したように頷いた。


「それで、事件の内容について詳しくお聞きしたいのですが」


「ええ、まさかこのようなオカルトじみた案件でも警察の方が動いてくださるとは思いもせず、本当に心強く思っております」


「実は別の殺人事件の容疑者と関わりがありそうで、急遽捜査に入らせていただいたんです」


「ええ! 殺人事件ですか?」


まさか自分の会社の幽霊騒ぎが殺人事件と繋がるとは予想だにしておらず、藤原社長は度肝を抜かれた。


「それは、その、どういった……」


「詳しいことは機密事項ですのでお話しできません。あくまでまだ捜査段階ですのでね。それで、その幽霊というのは何時ごろ、どのような場所に現れたのですか?」


「あ、はい、申し訳ありません」


藤原社長はハンカチを取り出して冷や汗を拭うと、幽霊について説明を始めた。


「二週間ほど前ですかね、初めて幽霊が現れたのは。いや、私が直接見たわけではないので何とも言えないのですが、夜勤の工員が四階の喫煙所前の階段から転落して腕を骨折したんです。普段危険な場所でもないですし、何があったのか本人を問いただすと、タバコを吸っている時に鬼の面を被って白い着物を纏った女が背後から現れたと。驚いて逃げ出した拍子に足がもつれて階段から落ちてしまったとのことでした。その時はその工員が幻覚を見ただけだろうと思っていたのですが、その一週間後に今度は三階の非常階段から別の工員が転落したんです。その工員の証言も最初の者と同じで、それから噂が工場中に一気に広まりまして……」


藤原社長は一旦お茶を飲んで一息ついた。


「それでストライキが起こったんですか?」


「それが、その鬼面の女の姿が前社長の令嬢の姿に似ていたと怪我をした工員が証言していて、それで彼女の祟りなんじゃないかという噂が広まり、私の退任を求める一部の工員がストライキを起こしているんです」


「ほう!」


頼光は少し前のめりになってその話に食いついた。


「その話、詳しく聞かせていただけますか?」

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