第14話 滝夜叉姫 5

「……武尊、おはよう」


「ああ、おはよう」


晴明の自宅会議の次の日、清次はビクビクしながら登校したが、武尊が思いの外上機嫌で怒っている様子もなかったので、自分の席に着きながらほっと胸を撫で下ろした。


「武尊、昨日はごめん。武尊は自分の口からだと言いにくいと思って、でもみんなのためにも共有した方がいい情報だと思って……」


「せめてお前の兄さんだけにするとか配慮して欲しかったけどな」


「僕もまさか頼光さんがあんな事言うとは思わなかったんだよ」


武尊はもう少し清次に文句を言うつもりだったが、大和が登校してくるのが見えたのでそれ以上不平を漏らすのはやめた。


「おはよう、大和」


「おはよう」


大和は相変わらず感情の読めない顔で、しかし武尊を避けるふうでもなく普通に挨拶して自分の席に座った。半径一メートル以内に彼が居るという事実だけで、武尊の心はウキウキと弾んだ。


(これじゃまるで童貞の初恋だな……って、その通りなんだった)


ガララッ!と扉が開いて、担任の須佐を伴った副担任の頼光が教室に入ってきた。眼光の鋭い彼の目とかちあった瞬間、高揚していた気分が一気に急降下した。


「え〜、では歴史の教科書を出して」


「先生、ホームルームがまだです」


「何? そんなもの必要か? 仕方ない、須佐先生お願いします」


事情を知らない生徒たちは唖然として担任と副担任を交互に見た。副担任に命令された担任の須佐は気分を害した様子もなく、穏やかな表情で出席を取り始めている。事情をよく知っている武尊は憐憫の眼差しで須佐を見ていた。


(そういえばこの人たちの上下関係ってどうなってるんだろう?)


頼光は歴史の授業でもやりたい放題だった。当然といえば当然だが彼は無駄に細かい歴史に詳しく、しかもタチの悪いことに教科書を痛烈に批判した。


「なんだこの記述は。こんな書き方では誤解を招くぞ。そもそもこの事件の発端は……」


「この人物はなぜ悪いように書かれているんだ? 実際悪いのはこっちの方で……」


「これは全くの捏造だ。こんな功績は日本には無かった……」


「でも先生、教科書にはそう書いてるんですけど……」


たまりかねた真面目な生徒が果敢にも指摘したが、彼が聞く耳を持つはずがなかった。


「なぜ教科書が正しいと思うんだ? 誰かが作ったものなんだから、そいつが間違ってたら教科書も間違ってるに決まってるだろう」


「え……でも先生は間違ってないんですか?」


「当然だ」


(えぇ〜?)


あまりにも自信満々に言い切られ、真面目な生徒は一瞬怯んだが最後の抵抗を試みた。


「でも教科書通りに覚えないと大学受験が……」


「何言ってるんだ? 正しいことを知ることと受験勉強は別物だ。私の試験で史実と異なる記述をしたら零点つけるからな」

「ちょっと須佐さん! あの人止めて下さいよ! 授業中もうめちゃくちゃじゃないですか!」


昼休み、空き教室で弁当を食べながら武尊が須佐に懇願した。武尊と大和は基本的に空き時間は彼らと時間を共有するよう言われていて、もはやお昼を食べた後に友達とサッカーに興じたり、青春を謳歌することは叶わなくなってしまった。武尊は大和さえいればなんの不満もなかったが、それでも昼休みですらこの眼光の鋭い奴と一緒に過ごさなければならないなんて、考えただけで辟易した。


「頼光さんは曲がったことが大嫌いな方だからね」


「……俺たちの教科書ってそんなに間違ってるんですか?」


「決して日本だけじゃない。教育とはどこの国でもそういうものなんだ」


しかし、と須佐は一応頼光に意見はしてくれた。


「歴史は大まかな流れが合っていて、そこから正しく学ぶことができれば問題ないのでは? 何世紀も生きている私たちとは違うのですから、過去のことを全て把握するのは難しいかと」


「ふむ、次転生したら教科書を牛耳れる権力者を目指すか」


武尊は呆れてため息をついた。


(なんでこんな教師が人気あるんだろう……)


授業が終わったあと、女子生徒がきゃっきゃと騒いでいたのを武尊は思い出した。


「水本先生って、なんかこう俺様! って感じがかっこいいよね」


「俺について来い! って感じが頼りがいありそうというか……」


「イケメンだし背も高いし、元警察官でしょ?」


「かっこいい〜。何とかして付き合えないかな?」


(こいつらの目は節穴か? ただのパワハラセクハラ人格破綻者じゃねえか)


「顔だったら須佐先生の方が甘いマスクでよりモテそうなんだけどな」


思わず呟くと、武尊の独り言を拾った近くにいた女子がチッチッチっと指を動かしながら舌を鳴らした。


「大山君よく見ないと。須佐先生指輪してるよ」


「え……」


全く意識していなくて気が付かなかったが、確かに左手の薬指に銀色の指輪が光っていた。


(代行者って重責があっても結婚とかできるのか)


「……そういえば、皆さん島根に住んでたんですよね? 何でわざわざ東京に引っ越してきたんですか?」


弁当の卵焼きを箸で摘んで頬張りながら、大和が須佐と頼光に質問した。武尊はそれを聞いてハッとした。


「もしかして、俺たちのことを心配して……?」


「そうだよ」


「そんなわけあるか」


武尊の言葉に須佐と頼光が同時に答えて声が見事に被った。武尊は何と言っていいか分からず、黙って大和と顔を見合わせた。須佐が何か言いたげな表情で頼光を見たが、頼光は我関せずといった表情で握り飯を頬張っている。


「……頼光さん」


「別にこいつらが心配でわざわざ島根から上京したわけではない」

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