第13話 滝夜叉姫 4

「に、兄さん。本当にこの赤ちゃんが、そ、その、武尊と大和の事を知ってるって人なの?」

清次がおずおずと尋ね、大和と武尊も同じ気持ちのこもった目で晴明を見た。


「ああ、間違いない。確かに光圀殿の代行者の魂だ」


安倍晴明あべのせいめいの代行者の彼が言うんだから間違いない。それに生まれたばかりの赤ん坊は、普通こんな目でこっちを見たりしない」


「そうなんですか?」


「そうだよ。生まれたばかりの赤ちゃんはあまり目が見えないんだ」


「産婦人科医の晴明が言うんだから間違いない」


武尊は気がついた事があった。この頼光という人物は……なんかちょっとイラッとする。


「生まれた瞬間の代行者を見つけられるなんて、今回産婦人科医を選んで正解でしたね」


須佐が嬉しそうに言った。


「厳密に言うと生まれた瞬間じゃないよ。うちは分娩施設のないクリニックだから、里帰り出産の予定のある人を三十二週くらいまでみてるけど、それ以外は不妊治療がほとんどかな。この赤ちゃんの母親は気さくな人で、生まれたら必ず赤ちゃんの写真を送ってくれるって言ってたけど、おそらく目力にびっくりしてこの写真を送ってくれたんだと思う」


「里帰り出産されてるってことは、いまこの人は……」


「うん、沖縄にいる」


沖縄!


「それじゃあ今すぐ沖縄に……」


勢いよく立ち上がった武尊の勢いを削ぐように、晴明が武尊の肩にぐっと手を置いた。


「それはダメだ。ただ三十二週まで担当していただけの医者がわざわざ沖縄まで会いに行ったりすれば怪しまれる。光圀様に話を聞くには母親から離す必要があるけど、怪しまれずに赤ん坊を預かるには、検診などの理由をつけて正式に呼び出すしかない」


「赤ん坊の検診なら、三か月検診とかですかね」


須佐が言うと、晴明が首を振った。


「多分この人はしばらく東京には帰って来ない。ご主人が単身赴任で家にいないから、しばらく実家に居ると言っていた。おそらく次に来るのは、早くても九か月検診だろう」


「九か月……」


がっかりする武尊を慰めるように、晴明が武尊の頭をポンポンと撫でた。


「心配するな。九か月なんてあっという間だよ。我々もしっかりフォローする」


さすが、清次の兄だけあって頼りがいがある。武尊は気になっているあの感情について、晴明に相談したくなった。


「……あの、晴明さん、ちょっといいですか? 相談したい事があって……」


武尊は他の皆に聞こえないように、晴明を部屋の隅に引っ張っていった。


「なんだい、相談って?」


武尊は一瞬躊躇したが、柔和な晴明の笑みに背中を押され、思い切って口を開いた。


「あの、あいつ……大和の事なんですけど。俺、あいつと出会ってまだ一週間くらいしか経ってないんですけど……」


「大和君は転校生なんだよね? 清次から聞いてるよ」


「そうなんです。それで、その、まだあいつの事全然知らないんですけど……いや、そういう問題でもなくて、あいつを初めて見た瞬間から、ちょっと俺、おかしくて……」


「おかしい?」


「その……なんて言うか、特別な感情を抱いてしまってると言うか……」


やはりストレートに言葉にするのは恥ずかしすぎて、武尊はなるべく核心に触れないよう、曖昧な言い方をした。それでも顔は火照って赤く染まり、汗までびっしょりとかいていた。そんな武尊の様子を見て、聡い晴明は武尊の言わんとする事、聞きたいことを正確に察してくれた。


「なるほど。私も初めての事例で正確なことはわからないけど、君がそんな風に感じるのは魂が分かれてしまっていることと無関係ではないと思うよ」


「やっぱり! そうですよね」


「元々一つの魂だったのだから、一つになりたがるのは当然だ。君の方は特に魂の配分が少ないから、相手をより強く求めてしまうんじゃないかな」


武尊は少しホッとした。なぜ急に会ったばかりの男に欲情するようになってしまったのだろうかと意味が分からず悩んでいたが、予想とはいえ晴明の言葉には説得力があった。


(つまり俺の体があいつとヤリたがるのは、割れた魂が一つになろうとする至って正常な行動であり、俺がよく知らない相手を節操なく好きになるような人間だったとか、決してそう言うわけじゃないってことだ)


ちょうどその時、ソファの方で清次の悲鳴に近い声が響き渡った。


「えぇ〜? じゃあまさか武尊が言ってた気になる人って……」


晴明と武尊は顔を見合わせて後ろを振り返った。ソファの方では大和がこちらに背を向けて何か説明しており、頼光がそれを身を乗り出すように聞いていた。他の大人と清次もその輪に加わっていて、清次は後ろめたそうにちらっと武尊の方を見た。


(何だろう……なんか嫌な予感がする……)


「おい! 片割れ!」


頼光が真剣な表情で武尊を手招きした。


「お前、今聞いたぞ。片割れ同士で接触すると記憶や能力が戻るそうじゃないか!」


「はあ……」


武尊が近づくと、頼光は武尊の首にがしっと腕を回した。


「その接触は、深ければ深いほど効果が高いんだな?」


「え? えっと……」


「確かに手を繋いだ時より、抱きついた時の方がより鮮明に記憶が戻り、この世のものでないものを見る能力も向上しました」


淡々と抑揚のない口調で報告する大和を、武尊は上目遣いにちらっと確認した。口調と同じく表情も淡々としていて、何を考えているのかさっぱり分からない。


(こいつ、恥じらいとかないのかな)


「そしてさらに聞くところによると、お前大和と一つになりたいとか言ったそうじゃないか」


(清次ぃぃぃぃ!)


清次は武尊の視線から逃れるように顔を伏せて兄の後ろに駆け込んだ。武尊は何発殴っても気が済まない心地だったが、頼光にがっしり首を掴まれているためその場で歯軋りするしかできる事がなかった。


(こんのお喋りがあぁぁ!)


「こんな大切なことをなぜもっと早く言わなかった!」


言うって? 何を? まさか自分が大和のことをそういう目で見ているということをか?


武尊はそろそろこの頼光という大人の人間性を疑い始めていた。


「九か月もぐずぐず待ってられるか! さっさとやれば済むことじゃないか!」


「え? やるって?」


武尊は思わず心から本気で尋ねていた。


「お前の心が求めていることだろう? 一発ヤれば全て思い出すんじゃないか?」


「え、何を……」


「お前童貞か? ABCから教えてやる必要があるのか? そんなのセッ……」


「頼光様! それ以上はひどいセクハラ兼パワハラです」


見かねた渡部がようやく止めに入ってくれたが、もっと早く奴を止めて欲しかったと武尊は切実に思った。あまりの恥ずかしさに顔が茹であがりそうだ。掴まれている頼光の腕に潜るように顔を下げて、少しでも小さくなろうと躍起になる。


(この状況を大和はどう思ってるんだ? 俺のことは? あいつの中で俺の評価はどうなってるんだろう……)


とてもじゃないが、大和の顔を見る勇気は無かった。


(違うんだって! 確かに俺はお前とヤリたいと思ってるけど、それは分かれた魂が元に戻ろうとしてるだけであって、別にお前のこと好きとかじゃ……ってこの言い方だとなんか余計失礼な気が……)


武尊は頭を抱えた。こんなに激しい感情を抱いているのに好きじゃないとか、自分自身にも説得力がない。自分はノンケなのに、好きでもない男相手にする事はしたいというのも矛盾している。


「まあまあ、接触度合いによって記憶や能力の戻りに多少差があったとしても、え〜……したからといって必ずしも戻るとは限らないわけだし。君たちまだ知り合って一週間くらいでしょ?男女でも深い関係になるには早すぎるよ」


「深い関係になれなんて誰が言った? 私はただ、一発ヤれと……」


「なんてこと言うんですか!」


遠慮がちだった須佐まで頼光のデリカシーの無い発言に悲鳴を上げ、もはや収拾がつかなくなってきた。須佐と頼光がぎゃあぎゃあ喚いている横をすり抜け、いつの間にか晴明が大和の近くに寄って来ていた。


「武尊の方が魂の量が少ないから、一つになりたいという意思がより強いのは当然の事なんだ。驚かないでやってくれ」


「……そうなんですね」


「それでも武尊の意見ばかり聞くのはおかしな話だ。二人が了承しなければならないことなのにね。君はどう思う? 記憶や能力を早急に取り戻せる可能性があるなら、彼とそういう行為をすることも厭わないかい?」


晴明の声を聞いて武尊は迷った。顔を上げるべきか、上げざるべきか。血を吐きそうなくらい恥ずかしかったが、大和がどう思っているのか知りたかった。


(ええい!)


覚悟を決めて潜り込んでいた顔を上げた途端、大和と視線がばちりとぶつかった。


(……あ)


武尊は見た。目が合った瞬間、大和がぎこちなく視線を下げたところを。


「そういうのは、もっとお互いを知ってからでないと……」


大和が恥じらって、目を逸らした。ずっと無表情で淡々として、心を乱されているのは自分だけだと思っていたのに。その事実だけで、武尊は空も飛べる気がした。

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