第10話 滝夜叉姫 1
「……それで、お父様の葬儀は?」
「おかげさまで、無事滞りなく」
そう言いながら、女性は先ほどから止まることなく溢れ出てくる涙をハンカチで拭った。男性は真新しいハンカチを胸ポケットから取り出して、グラスに注いだ芳醇な酒と一緒に勧めた。
「そうですか。お一人でさぞ大変だったことでしょう」
女性は疲れ切った表情で、勧められた酒をぐっと煽った。
「本当に疲れたわ。あの藤原新社長も来たのよ!」
彼女は飲み干したグラスをガンッと机に叩きつけた。
「信じられる? どの面下げて父の葬儀に顔を出せたのかしら? あいつに騙されて父は会社を乗っ取られて、どうにもならなくなって自殺したっていうのに!」
彼女は怒りに震えながら、再び滝のように涙を流した。男性が宥めるように肩をそっと撫でる。
「悔しいですよね。ここでその怒り、全て吐き出して下さい。いくらでも付き合いますから」
「ありがとう」
彼女は少しだけ寂しそうに笑った。
「でももうここには来れないわ。今夜で最後になると思う」
「どうしてですか?」
「もう社長令嬢じゃなくなったから、自由に使えるお金があまり無いの。もっとあなたの時間を買いたかったけど……」
男は優しげな笑みを浮かべた。この絶世の美男子が微笑んで、落ちなかった女は今まで一人もいなかった。
「五月さんはしっかりしてますね。酷く泣いていて心配でしたけど、あなたならきっと大丈夫だ」
「そうかしら」
五月はぎゅっと拳を握った。
「父の仇が、父の作った会社で悠々とあぐらをかいているのよ。それを指を咥えて見ているしかないなんて……」
怒りと悲しみ、疲れと絶望、そして無力感。今の彼女は、負と名のつくありとあらゆる感情に苛まれているように見えた。
「それじゃあ五月さん、最後に僕と一緒に旅行でも行きませんか。今まで長いことお世話になったので、せめて僕からもプレゼントさせて下さい。旅行代はもちろん僕が持ちますので」
「旅行?」
「気分が落ち込んでいる時は非日常を体験するのが一番です。美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たり、神社にお参りするのもいいですね」
男性の笑みが深くなった。
「京都の貴船神社にお参りしませんか。きっと心が晴れると思いますよ」
「ちょっと! 一体どうなってるんですか?」
「……武尊、声を落とせ。人の家だぞ」
「大和、そんな事言ったって……」
放課後、武尊と大和は清次に連れられて、清次のお兄さんの病院兼自宅を訪れていた。
清次の兄は開業医を営んでおり、自宅の一階が診療所、二階が居住区となっている。開業医だけあって居住区は広々としており、確かに大人三人くらい何日か泊まっても問題なさそうであった。
それでも流石にこの人数を想定した住まいにはなっていないため、武尊たち高校生組はソファからあぶれて床に正座している。武尊、大和、清次の三人が床に座り、頼光、渡部、須佐の三人がソファに腰掛けていた。
「突然俺たちの副担任って……水本さん、教師だったんですか?」
「いや。でもお前らの学校は私立で教員採用試験を受ける必要が無いし、今こんな状況のお前らの担任になりたがるような教師はいなかったから、免許さえ持ってれば簡単に潜り込めたぞ」
こともなげに言う頼光に、武尊はマシンガンの勢いで質問を吹っ掛けた。聞きたいことがありすぎて、一分一秒無駄にできなかった。
「じゃあ以前は何の職業に就いてたんですか?」
「島根県警だ」
警察!
「いつ辞めてこちらに?」
「3日前」
三人の高校生はポカンと口を開けた。
「えっと……警察って、そんな簡単に辞めたりとか……」
遠慮がちに様子を伺いながら尋ねる清次の肩を、須佐が真剣な表情でポンと叩いた。
「君たちは真似しちゃいけないよ。頼光様だからできる事であって……」
「我々の協力者が警察のトップにいる。その人に色々と便宜を図ってもらっているというわけだ」
「……そうですが、やはり周りの目も気になりますし。同じ代行者でも全員がそこまで融通を利かせてもらえるわけではありません」
「そういえば、須佐さんが俺たちの担任なんですよね?」
教室に入って来た時、頼光の態度があまりにデカかったため、副担任という言葉が耳に入らなかった生徒はしばらく頼光が新担任だと勘違いしていた。
「そうだよ」
「なんか水本さんの方が偉そうにしてたんで、みんな水本さんが担任と勘違いしてましたけど、何で須佐さんが担任なんですか?」
「私たちの目的は悪霊退治だから、授業もしょっちゅう抜けることになる。頼光様はこれからも一線に出られるけど、私はもう戦えないからサポート役なんだ。担任がクラスの事を疎かにはできないだろう?」
代行者、悪霊退治。この人たちが突然教師になって現れたことが衝撃的すぎてそっちの質問ばかりしてしまったが、元々気になって一週間悩んでいたのはこっちの問題だった。
「あの……その『代行者』と言うのはそもそも一体何のことなんでしょうか」
大和の質問に、その場が水を打ったようにしん、と静まり返った。一呼吸おいて渡部が助け船を出した。
「……先日も申し上げました通り、記憶が無いそうなのです」
「しかし二人とも八岐大蛇を見ていて、こっちの大和の方は一応ぼんやりと記憶があるんだったな?」
頼光の言葉に渡部が頷いた。
「はい、私の刀を覚えているようでした」
「それからこっちの武尊と一緒にいると、記憶が鮮明になると?」
「確かにそう言ったよな?」
渡部に聞かれて大和がこくりと頷いた。頼光はうーんと唸りながら腕組みをした。
「こんなことは前代未聞だ。一体何が起こったんだ?」
再び部屋に沈黙が流れたが、ガチャリ、とドアが開く音でその静けさはすぐに破られた。
「面白い二人組だね。清次の友達にまさかそんな人たちがいたとは。私にその魂を見せてごらんよ」
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