第6話 八岐大蛇 6

八岐大蛇。八つの頭を持つ蛇。


「と、とにかくここを離れろって兄さんが……」


清次の切迫した声を大和が遮った。


「待て」


ちょうど大蛇の尻尾がずるりと外に出て来たところだった。


「俺たちの担任じゃないか?」


武尊と清次が同時に顔を上げた。


「あ……」


大蛇の尻尾の先っぽに、蒼白な顔でぐったりと目を瞑っている女性の顔が見えた。尻尾でぐるぐる巻きにされていて、顔以外ほとんど見えなかったが、三人が今日一日教壇越しに対面していた女教師に間違いなかった。


「稲田先生だ。どうしてあそこに?」


「お前にはアレ・・が見えないのか?」


ぽかんとした表情で、清次は武尊と大和をを見た。


「真っ暗で何も見えないよ。かろうじて先生って分かるくらい。でもすごく嫌な感じがする。武尊は、大和は……」


清次はごくりと唾を飲み込んだ。


「二人はあそこにその、八岐大蛇が見えるの?」


「ああ」


武尊と大和が同時に答えた。


「ど、どうしよう。今すぐここを離れろって兄さんが。でも先生が……」


大和の判断は早かった。


「阿部はとりあえずここを離れろ。あれが見えないならここにいるのは危険だ。俺と大山で先生を救出する」


「えぇ? 危ないよ! ここはやっぱり警察を呼んで……」


「何て言って来てもらうんだ? 霊感のある警察を探してる暇なんてないだろ」


それより、と大和は清次の肩をギュッと抑えた。


「お前の兄貴を呼んできてくれ。あれを見てもいないのに八つの頭を持つ蛇だと分かるなんて只者じゃない。この道に精通している人間かもしれないし、警察よりよっぽど頼りになるんじゃないか?」


清次はまだ迷っていたが、自分には見えない蛇がいるというその場所をちらっと見て、決心したように頷いた。


「分かった。兄さんはすぐ来てくれるって言ってたから、こっちから迎えに行って案内してくるよ!」


「気をつけろよ」


清次は校舎の反対側の出入り口から学校を脱出し、自宅に向かって走り出した。


「……さて」


大和がおもむろに武尊の手首を掴んでいる手を離した。二人の手が離れても、一度現れた大蛇が二人の視界から消えることはなかった。大蛇は先生を捕獲したまま、ゆっくりとこちらに向かって進んでくる。ずりずりと体を擦りながら進んでいるのにグラウンドにその痕跡を全く残していない。側から見たら先生が宙に浮いて移動しているように見えるのではないだろうか。


「……こっちに向かってくる」


武尊が呟くと、大和は大蛇から目を離さずに頷いた。


「おそらく更衣室に戻るつもりなんだろう。あそこがやつの巣なんだ」


「どうする?」


大和は横目で更衣室をちらっと見て、再び大蛇に視線を戻した。


「竹藪に隠れよう。更衣室も近いし、様子が分かるだろう」


大蛇の動きは遅く、二人は怪物が自分の巣に戻ってくる前に隠れ場所へ逃げ込むことに成功した。


「……あの、先生は大丈夫かな?」


武尊の問いに大和は難しい表情をした。


「分からない。既に手遅れかもしれない」


「あの蛇は本当に辰巳と関係があるんだろうか?」


「普通に考えたらありえないが……」


「もしそうだとしても、どうして先生を襲うんだ?今まで失踪したのはずっとクラスの女子だったのに」


「そもそも失踪事件とあの蛇が本当に関係あるかもまだ分からないんだ。担任を襲うのがおかしいとは一概に言えないだろ」


はぁ〜と武尊はため息をついた。


「分からないことだらけだな」


「お前、結構余裕だな。阿部なんかずっと震えていたのに」


それは……武尊は言葉に詰まった。決してあの巨大な蛇が恐ろしくない訳ではなかった。ただ……


(お前といると、恐れるものなど何もなくて、何でもできるような錯覚に陥るんだ。どうしてだろう?)


「そういえば、前世の記憶みたいなのが少し見えた時、よく分からないけど怪物みたいなのと戦ってる映像を見たんだ。もしかしてあれが八岐大蛇だったのかな?」


「本当か? 俺には見えなかった。あんな大蛇だったのか?」


そう言われると武尊は自信がなくなってしまった。


「う〜ん……お前は見てないのか……」


それを聞くと、突然大和は真剣な表情で距離を詰めて来た。


「もっと近づけば見えるかもしれない」


「え?」


もっと近づくって? 手を握るより親密な動作って?


「……こうしたらいいのか?」


(ちょっと待て待て待て待て!)


大和の両腕が武尊の腰を抱いた。大和が頬を武尊のカッターシャツの胸に埋めるので、髪の匂いを嗅げるほど頭が近い。甘い匂いの女子のシャンプーとは違う、明らかに男の匂いなのに、武尊は全身の血液があらぬところに集まるのを感じて眩暈がした。


(まずいまずいまずいまずい!)


「ちょっ、大和君、これはちょっと……」


『大山君?』


血の気も凍るような不気味な女子の声がして、武尊は冷水を浴びせられたようにさあっと我に返った。

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