第7話 八岐大蛇 7
ぞっとするような声に振り返ると、古びてぼろぼろになった更衣室の扉が開け放たれ、ギーギーと不快な音をたてながら風もないのに揺れている。その扉の先に、今しがたそこから出て来たばかりというかのように、一人の少女が佇んでいた。不自然に真っ直ぐな長い髪に、膝上の短いスカート。あまり特徴的ではないものの、どちらかと言うと華やかな顔立ちには見覚えがあった。
「辰巳?」
『大山君?』
武尊は身震いした。見た目も声も、確かに武尊が知っているクラスメイトのはずだったが、前髪で隠れて見えない目や血の気のない肌、風のように遠くから聞こえてくるような声には、鳥肌が立つような不気味さがあった。武尊は大和のせいで今にも立ち上がりそうだった場所が縮こまるのを感じた。
『やっぱり大山君だ。嬉しいな、こんなところで会えるなんて』
「?」
大和は何事もなかったかのように武尊から体を離すと、鋭い目で辰巳を睨んだ。
「こいつが失踪したクラスメイトか?」
「ああ、一番最初に失踪した辰巳だ」
『ねえ、大山君、そっちの人は誰?』
武尊はちらっと大和を見た。
「……答えていいんだろうか?」
「いや……」
しかし、辰巳は二人の様子に構わず、勝手に一人で喋り出した。
『すごい、かっこいい。大山君と同じくらいモテるでしょ。ねえ、私と付き合ってくれない?』
「……さっきから何を言ってるんだろう? 様子がおかしい……」
「普段の彼女と違うのか?」
大和に聞かれて、武尊は首を傾げた。
「あんまり話したことなかったんだけど、もっと大人しい印象というか……」
他の女子に隠れて影が薄い印象だった。少なくともこんな風に誰彼構わずアピールしてくるようなタイプではなかったと思う。
「ていうかさ、大和……」
「何だ?」
「あれ……辰巳って、その、生きてるのかな?」
武尊の問いに、大和は目を細めた。
「難しいな。阿部がいれば良かったんだが。俺たち二人とも見えてるからな。でも……」
大和は言いにくそうに少し言い淀んだ。
「二ヶ月も消息不明の人間が学校にいるなんて、どう考えてもおかしいだろ。生きていないと考える方が辻褄が合う」
武尊はもう一度辰巳に視線を戻した。前髪で隠れた彼女の目は何処を見ているのか分からなかったが、口元は嬉しそうに不気味な笑みを浮かべている。やりきれない失望感が武尊の胸をよぎった。
(俺たちなら、彼女たちを助けられるんじゃないかって思ったのに……)
『大山君は彼女いなかったよね? そっちの人は? 私と付き合ってくれない?』
「どういうこと?」
思わず武尊が口走り、大和がさっと武尊を庇うように前に出た。
「得体の知れないものとあまり口をきかないほうがいい」
『どういうこと?』
武尊の言葉を繰り返す辰巳の口元の笑みが深まった。
『男の人のせいで傷ついた穴を埋められるのは、新しい彼氏だけなんだよ』
辰巳は首から下げているペンダントをぎゅっと握りしめた。革紐の先に丸い飾りのついた、一風変わったペンダントだった。
(一体何があったんだ? 失踪した女子たちとその男ってのは関係あるのか?)
武尊は前に立つ大和の後頭部を眺めた。大和もどうしたものか分からず困っている様子だった。
「……辰巳の願いを聞いてやったら解決するんだろうか?」
「分からない。そもそも願いを聞くってどうするんだ? 俺たちどっちかが死ぬってことか?」
「う〜ん、じゃあどうすれば……」
しかし、二人に考える時間はあまりなかった。いつのまにか大蛇がすぐそばまで来ていて、それに気がついた辰巳が振り返った。
『ああ……』
辰巳の表情が豹変した。口元の笑みが消え、顔色がどす黒くなり、先ほどまでとは比べ物にならないほどの強い負のオーラを放ち出した。彼女が顎を突き出すように顔を上げると、前髪で隠されていた両眼が現れた。
(あっ!)
彼女は恐らく生きていないと大和に言われて失望したが、それでもまだ武尊は完全に納得することができずにいた。今この瞬間、彼女の両目を見るまでは。
燃えるように赤い、鬼灯色の眼。
認めざるを得なかった。どうしようもなく、この世のものではない。
大蛇の両目と全く同じ色をしていた。
『先生、稲田美琴、この女は、担任だったにも関わらず、私がいじめられていることに気が付きもしなかった』
辰巳の声は怒りのせいかしわがれ、まるで男の声と二重になっているように聞こえた。
(いや、これは大蛇の声か……)
「俺たちの担任は生徒に無関心な女だったのか?」
大和に聞かれて、武尊は普段の稲田先生を思い返してみた。問題児の多いクラスで苦労していたが、問題児だからといって放置するような先生ではなかった。辰巳たちが長期欠席していた時も、武尊たちはいつものことだと気にも止めていなかったが、先生は何度も保護者に電話をかけたり、クラスの生徒に様子を尋ねたりしていた。万年彼氏なしで暇だから、が口癖で、遅くまで残って生徒の対応に当たってくれていた。
「……そんなことはないよ。いじめには気づかなかったのかも知れないけど、先生が悪いとは思えない」
「逆恨みか」
大蛇は尻尾に捉えていた先生を地面に下ろすと、全ての頭で先生の顔を覗き込んだ。
(あれ……?)
八岐大蛇なのに、頭が七つしかない……?
「あれだ」
武尊の疑問を察した大和が素早く指をさした先に、恐ろしい表情の辰巳がいた。いつのまにか口が耳まで裂け、先の割れた細くて赤い舌がチロチロと唇を舐めている。
「!!!」
『肉、肉、女の肉』
もはや辰巳の声なのかも分からない。
『俺たちはそれぞれ娘を食った。残るはお前だけだ』
辰巳の姿をした化け物がクワッと大きく口を開けた。まるで顔のほとんどが口のようであった。
蛇のようにくねった気味の悪い動きで、その化け物は先生に飛びかかろうとした!
「危ない!」
とっさに飛び出した武尊を庇うように大和も飛び出した。
「あっ!!!」
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