第4話 八岐大蛇 4

(えええええええ〜!)


大和の予想外の発言に、武尊は全身の血液が逆流して頭が爆発するのではないかと思った。


「ち、近くで触れるって?」


(そんないきなり? まだ会ったばかりなのに!)


一人で慌てふためいている武尊に構うことなく、大和はすっと手を伸ばすと武尊の指先に触れた。


指が触れた瞬間、不意に目の前が開けて、鮮やかな情景が浮かび上がってきた。


(何だ、これは?)


剣を持った人々が戦っている。その相手は毒を吐く怪物に大蛇、人の姿をしているものの、明らかに人の形相ではない化け物。そして視界を微かによぎったのは白い翼の鳥。まるで映画の一場面のように現実味のない映像だったが、忘れてしまっているだけで実際に自分が体験したことを必死で思い出そうとしているような歯痒さを武尊は感じた。


(これが大和が言っていた前世の記憶ってやつなのか?)


もっと知りたい。もっと思い出したい。武尊は本能が赴くままに腕を伸ばした。


「……武尊?」


聞き慣れた声が武尊を現実に引き戻した。


「……えっと、そろそろ終わったかと思って様子を見に来たんだけど、まずかったかな?」


清次が保健室の扉の前で固まっていた。困ったような表情で視線を逸らしている。


「清次?」


「大山」


武尊の下から大和の声がした。


「手、離してくれ」


武尊が視線を下すと、切れ長の大和の目と視線がかち合った。


「……え?」


がっちり大和の手首を掴んだ自分が、彼をベッドに押し倒した形になっていた。二人とも少し息が上がっていて、何かあったとしか思えない状況である。


「ご、ごめん!」


慌てて掴んでいる手首を離して体を退けると、大和は何事もなかったかのようにゆっくり起き上がって椅子に座り直した。


「いいよ、俺が頼んだ事だし」


「えっ、どういうこと?」


清次が保健室に入ってきて、興味津々な視線で二人を交互に眺めたが、武尊には清次を気にする余裕がなかった。


「いや、俺、どうしてそうなったのか記憶が無くて。指に触るだけでよかったんだよな?」


「そのつもりだったけど、お前により近づくほど記憶が鮮明になるのが分かった」


全く気にするそぶりを見せない大和に、武尊はホッとしつつも、全く意識されていないことに少しばかりがっかりした。


(いや、別にがっかりする必要なんてないんだけど……?)


「そ、そういえば、俺も見えたよ!」


「前世の記憶か?」


「多分そんな感じの。俺は初めて見たからそんなに自信は無いけど、なんか剣を持って戦ってる情景が見えて……」


武尊の言葉を聞いて、大和の表情が綻んだ。


「俺と一緒だ」


「ちょっとちょっと、一体何の話?」


割り込んできた清次を武尊が睨みつける。大和は困ったように首を傾げた。


「ちょっと説明し辛い事で……」


「どういうこと?」


「超常現象的というか……」


「え〜! 聞きたい聞きたい!」


清次はパッと目を輝かせた。


「僕そういうの信じるよ! 僕も実はちょっと霊感? みたいなのあってさ」


「霊が見えるのか?」


大和は驚いて清次を見た。


「なんとなく感じる程度だよ。僕の兄さんははっきり見えるらしいけど」


「じゃあ、なんとなく感じないか?」


大和が真剣な表情で清次を見た。


「この学校」


清次はちらりと武尊を見た。


「武尊が怖がるといけないと思って黙ってたんだけど……」


「怖がらないから続けろよ」


「感じるよ」


清次は大和に頷いてみせた。


「二ヶ月くらい前から感じてた。なんか悪いものが紛れ込んでるなって」


「二ヶ月前っていうと……」


武尊ははっとした。


「辰巳が学校に来なくなった時期か」


「この学校の女子生徒が八人失踪したってニュースを今朝見たんだが……」


大和の言葉に清次が頷いた。


「そうなんだ。一週間に一人ずつ来なくなって、気づいたら八人来なくなってた」


「でもさ、来なくなった女子ってのがいわゆる不良というか、素行の悪い生徒たちで、一ヶ月ぐらい学校来ないのなんて珍しい事じゃなかったんだ。噂によると、バイトしたりクラブに通ったり、そこで引っ掛けた男に貢がせて海外旅行行ったりして休んでたみたいで、親も子供に無関心なのかそういうの放ったらかしてたみたいで。たまたま先週失踪した子の親が子供と連絡取れない事に気づいて、それで他の親にも連絡が入って事件になったって経緯なんだ」


武尊は清次に視線を移した。


「俺はいつものことだと思って気にしてなかったけど、お前が彼女らを心配してたのはその霊感のせいだったのか?」


「そうだよ」


清次は頷いた。


「そういえばさっき保健委員が話してたけど、女子が失踪してるのは辰巳の呪いなんじゃないかって噂があるらしいんだが……」


「ああ、それね」


清次の表情が曇った。


「辰巳さん、どうも吉沢さんに目をつけられて、いじめの標的にされてたみたいで……」


なるほど、そういうわけか。


「普通に考えて、普通の人間がいじめに遭ったからといって、その加害者を失踪させることができるとは到底思えないけど……」


「そんなことができるなら誰もいじめられないだろうな」


「ただし、普通の人間なら、ね」


武尊はうんうんと頷き合っている清次と大和を交互に見た。


「何か分かったのか?」


「何かはまだ分からないが」


大和が窓の外に視線を向けた。


「確かめる方法ならある」


「確かめる方法?」


大和と清次は真剣な面持ちで窓の外を見ている。自分だけ蚊帳の外のような気がして、武尊は軽い嫉妬心を覚えた。


「あそこに建物が見えるだろう?」


大和が指差すグラウンドの先には、学校の屋外プールがあった。かつて水泳部があった頃は綺麗な水を湛えてキラキラ輝いていたものだが、水泳部が廃部になった現在は緑色の苔が蔓延り、昼間でもおどろおどろしい様相を呈している。プールの横には廃屋と化した更衣室が、ぼうぼうに生えた雑草や竹藪に隠れるようにひっそりと佇んでいた。


「ああいう建物は風水的にも良く無いし、そもそも倒壊する危険性があるのになぜ放置されているんだ?」


「あれは元々プールの更衣室だったんだ。水泳部が廃部になって更衣室を建て替える必要もないし、取り壊しにもお金が掛るから学校側が放置してるんだよ」


今日来たばかりで事情を知らない大和に清次が説明する。


「ほら、一応入れないように柵がしてあるだろう? 立ち入り禁止の看板もある」


「しかし、入ろうと思えば入れるな」


「まあ、どこの立ち入り禁止区域もそんなもんでしょ」


大和は頷いた。


「あそこから感じるんだ」


「凄いね。僕はそこまではっきりとは分からないんだ。学校で嫌な感じがして、一番怪しいのがあの更衣室だろうって予測をつけてただけで」


「俺も最初は分からなかった。学校に入った時は多分お前と同じくらいの感覚しかなかったんだが、大山に触れた瞬間、五感が研ぎ澄まされる感覚があって、あの場所から邪悪な気を強く感じたんだ」


大山に触れた、という言葉を聞いて、武尊と清次は少し居心地悪そうに身じろぎした。


「その……武尊と大和って、どういう関係?」


言いながら清次ははっとした。


(もしかして、今朝武尊が言ってた気になる人って、まさかまさか大和のことなんじゃ? 嘘だろ? 武尊とは結構長い付き合いなのに、そんな素振り一度も……)


「さっき大山には話したんだが、俺にはぼんやりと前世の記憶があるんだ」


「え! マジで?」


「今日初めて大山と会った時、懐かしい感じがして、ぼんやりしていた前世の記憶が少しはっきりしたのを感じた。今世で会ったのは初めてだけど、前世では親しい仲だったのかもしれない」


「親しい仲……」


意味深な言い方をした清次を武尊はきっと睨んだが、何も知らない大和は真っ直ぐな瞳で武尊を見た。


「お前は? お前には前世の記憶はないか? 俺と会って何か感じなかったか?」


「え……っと」


(お前と会って感じたことを正直に言ったら、俺はどうなるんだ? 口もきいてもらえなくなるんじゃないだろうか)


「俺は、前世の記憶は無いんだけど、お前には、その、なんか親近感みたいなのが湧いたから、前世で知り合いだったってのもあながち間違いじゃないと思う」


武尊は愛想笑いで誤魔化したが、背中は冷や汗でぐっしょり濡れていた。


「そうか」


大和は武尊に前世の記憶が無いと聞いて、少しがっかりしたようだった。


「とにかく、あそこへ行けば失踪した女子たちのことが何か分かるかもしれない」


「よし、今すぐ行こう」


立ちあがろうとした武尊を清次と大和が慌てて引き戻す。


「待て待て待て!」


「話聞いてなかったのか? 立ち入り禁止区域だって言っただろ?」


「じゃあどうするんだよ?」


仏頂面の武尊を宥めるように大和が言った。


「とりあえずみんな帰るまで待とう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る