第23話 コンパル
コンサートのあとスオウさんとふたりで喫茶店に入り、遅い昼食を食べた。スオウさんはオムライスとアイスコーヒーを、私はスタミナ丼とレモンティーを頼んだ。スオウさんが呆れ顔になる。
「男とふたりで喫茶店に入ってスタミナ丼を頼む? 若い女性とは思えんチョイスですな」
「気の置けない人の前で食べたいものを食べるって、悪いことじゃないでしょう?」
「ふふ、おっしゃるとおり。大盛りにしなくて良かったの?」
「さすがにそこは遠慮しました」
窓の外では再び雨が降りはじめた。風に吹き寄せられた雨粒が、ひとつ、またひとつと窓ガラスに飛びつき、透明なレース模様を編んでいく。
スオウさんは重たげな銀色のスプーンでオムライスをざくりとすくった。一口食べると、ぱあっと顔が明るくなる。あらら、子供みたいだ。変哲もない黄色と赤のオムライスが、とてもおいしそうに見えてきた。私はスタミナ丼を少しずつ口に運びながら、ちらちらとスオウさんの様子を見ていた。
「なに? 何かついてる?」
半分くらい食べたところで、スオウさんがこちらを見た。
「いえ、オムライス、好きなんですか? とてもおいしそうに食べるから、つい、見とれちゃいました」
少年の顔になってはにかむ。
「子供のころから、卵料理は好きだな、そのなかでも、オムライスは一番かな」
私はスタミナ丼の甘辛いキャベツを一口頬ばり、奥歯でかみしめてから飲み込むと、聞いた。
「今日、どうして誘ってくれたんですか?」
スオウさんの顔がまたくもった。
「あいつ、うまくいってないんだってさ」
私は箸を置いた。
「トキワさんのことですか? うまくいってないって、ヤマシロさんとですか?」
「うん」
スオウさんは表情を失ったまま、オムライスを食べ続ける。スオウさんが二口食べた後に、尋ねた。
「トキワさんはヤマシロさんに不満があるんでしょうか? それとも、ポリアモリーな関係が嫌になったんでしょうか?」
スオウさんが水を飲み、こっちを見てちょっと笑った。
「さあね」
「スオウさんはヤマシロさんから聞いたんですか? それともトキワさんから?」
「セイジから。様子がおかしくて聞き出した。トキワとしゃべる機会なんてないよ」
「どうしてです? トキワさんと、仲悪いんですか?」
笑みの残るスオウさんの口元が少しだけ歪んだ。
「きみはメタモア――恋人の恋人と楽しくおしゃべりしたい?」
それは、どうとらえたら良いのだろう。私を煽っているのか、それとも私は侮られているのか。私が黙っていると、スオウさんははっとしたように目を見開き、気まずい顔で笑った。
「ごめん。きみもそうだったな。前言撤回です。トキワが苦手なだけなんだ」
「もしもヤマシロさんがトキワさんと別れたら、スオウさんは嬉しいですか、悲しいですか?」
「どうかな、今まで考えたこともなかったな。でも、セイジが辛い思いをすることを考えると、苦しい。トキワだって、喜んで別れるんじゃないだろう。あいつだって苦しむはずで、それを想像すると、悲しい。
でもさ、トキワを好きなセイジと、コンパルちゃんを好きなセイジと、ヨシアキを好きなセイジは、それぞれ別なの。だから、トキワのことで悩んでいるセイジをコンパルちゃんやヨシアキが慰めることはできない」
そこまで言うと、スオウさんは口をつぐんだ。私も話の接ぎ穂を見つけ出せず、ふたりでしばらくうつむいていた。いけない、これじゃあ、別れ話をしている歳の差カップルにでも見えかねない。いや、面会中の親子か?
「スオウさん」
「なに?」
「チョコレートケーキ、食べませんか?」
「は? え、俺、甘いものは、あんまり……」
「甘くないんだそうです。カカオのかおりが引き立つように作られたケーキで、ほろ苦いので、別添えのベリーソースで甘さを調節するって書いてました。それならいけるんじゃないですか? かおりと口どけが楽しめるそうです。こんな時には、チョコレートのかおりがお勧めですよ」
「え、そう? そんなにきみが勧めるのなら、食べてみようかな――」
「すみません! 追加注文お願いします!」
スオウさんと私の前にひとつずつチョコレートケーキが置かれた。ヴォリュームこそ上品なものの、ずしりと重たげで、鈍く輝く威容にはただならぬ風格が漂っている。思わずしげしげと観察してしまった。見知らぬ人からおやつを差し出された犬が飼い主を見上げるように、スオウさんがおずおずとこちらを見る。私はにっこり笑いかけてみせた。
「そんな顔しないで、騙されたと思って、一口食べてみてください。口に含んで、鼻に抜けるかおりをゆっくり感じてみてください」
スオウさんの左手が小さなフォークを取り、チョコレートケーキの先端を上から下まで一気に切り下ろす。白い皿にゆっくりと傾いでいく茶色い三角柱を突き刺すと、小さく開いた薄いくちびるの奥に入れた。軽く目を伏せ、神妙な面持ちで味わう。もうひと口、切り取り、口に運ぶ――。フォークを置いた。
「ありがとう。確かに、ちょっと気持ちが和らぐ気がする」
そう言って、再び子供のような人懐っこい笑顔になった。
「チョコレートのこのかおりは気分転換に優れものだと思うんです。それに加えて、チョコレートは興奮剤ですから。沈んだ気分を高揚させるのにはぴったりです」
スオウさんの顔が少しだけ赤くなる。
「あのさ、コンパルちゃん、きみはさらりと口にするけど、興奮剤とか、あまり人前で口に出すもんじゃないよ? いろんな意味で、危ないです。気をつけなさい」
子供が急にお父さんになったようで可愛くない。私の様子を見てスオウさんが赤い顔のまま、余裕の笑みを浮かべた。声をひそめる。
「じゃあ、次の金曜の夜、セイジにたっぷり食べさせることにするわ」
さらに可愛げがなくなった。
「その発言はセクハラです」
自分のチョコレートケーキにベリーソースを全部かけて、私は大きく切ったひとかけらを口に放り込んだ。
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