第23話 9月のあれやこれや(続)

 痛みの記憶というのは、忘れるように出来ているようです。

 手術前の脚の痛み、術後すぐの痛みは、今までの人生での痛みランキングベスト5(あ、この場合はワーストランキングですね。笑)に入ると思いますが、既に痛さの実感が伴わなくなっています。


 夏のコルセット着用は、やはりあまりオススメしません。

 暑い、蒸れる、そして苦しいです。

 上着を着られる冬場はコルセットが隠れますが、夏は薄着なので、目立ってしまいます。


 入院以来、変わったことがあります。

 リアルタイムでTVを見なくなりました。もともと自宅ではチャンネル権がなく、見たい番組は録画して、あとで見ていました。家族が見ている番組を一緒に何となく見ることはあったのですが、入院中には一切TVを見なくても全く平気でした。

 現在いまは、バラエティ番組などでは視覚と聴覚の両方から一度に入ってくる情報量が多すぎて受け取りきれず、ずっとTVを見続けることが出来なくなりました。長い時間、座っているのが難しいということもあります。


 もうひとつは完全に脱アルコール生活となりました。それまで夕食時にはノンアル飲料を飲んでいたのです。

 入院中からご飯(お米)をしっかり食べるようになったら、炭酸系の飲み物は不要となりました。服薬の関係でアルコール禁止になったためでもあります。

 TVもアルコールも、特に無くても平気で過ごしています。


 病気やケガで「闘病する」と言いますが、あまり好きな言葉ではありません。

「闘い」だと、勝負になってしまうからです。完治、治癒すれば勝ちで、そうでなければ負け、なのでしょうか。


「日常生活に支障はないし、これ以上の回復は認められないので、治療はここで終了します」

 過去のケガでそう言われたことがあります。

 治療しても、100%完全に元通りになるとは限らないです。

 機械の故障を修理するように、悪い部品を交換すればすぐ治る、ヒトもそうだったら良いのですが。

(機械人間の身体じゃないですからね〜)


 手術を選択するということは、完全に元通りにはならないということです。メスで身体に傷がつくということなので。


 メリットとデメリットを比べて、自分にとって何が良いかを選択する。

 何かを新たに受け取るためには、何かを手離す必要があります。両手が塞がっていては受け取れないです。

 大きな決断でしたが、私は思いきって手術して良かったと思っているし、そのことを後悔したことはありません。

 この選択をとやかく言われたくはないです。


 何事も変わらないことはない、と思います。

 変化を認めること、受け入れること、それに応じて折り合いをつけてやっていくということは、あきらめてしまうこととは違うと思っています。


 本人が受け入れているのに、周りがその場限りの無責任な励ましをすることがありますよね。


「もっと努力して頑張れば、きっと良くなるから」

 → いやいや、もう充分に頑張ってますって。これ以上の回復は医学的にも無理なんですから。


「**をすれば良いんじゃないの」

 → そう言われる前に、それはもう既に試してあって、結論が出てますよ〜。


 心配してくれているのはわかります。大変ありがたいことです。


 自分でも経験がありますが、「私はあなたを心配しています」というメッセージを送る前には、それは本当に相手のためになることなのか、「心配している自分」という自己満足に浸っているだけではないのかと、もう一度、振り返ってみます。


 真剣に一緒に考えるのではなく、中途半端なアドバイスであるなら、それは不要です。

 大きなお世話も、余計なお世話はもちろん、小さな親切と思えることも要らないのです。


 心配の押しつけは要りませんよね。


「しばらくお休みします」

 連絡したときに

「戻ってくるのをいつまでもずっと待ってますよ〜」

 そう言って下さった方がありました。


 ……私には戻れる場所がある。

 とても、嬉しかったです。



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腰痛人(ようつうびと)、日々を綴る 春渡夏歩(はるとなほ) @harutonaho

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