8月23日

 ヤーパン帝国でエアコンが普及し始めてまだ100年も経っていない。昔は今ほど暑くはなかったとよく言われるが、それでも夏になればそれなりに暑かったはずだ。

 エアコンがない時代、暑い夏を乗り切るために先人たちは様々な工夫をしてきた。打ち水、行水、風鈴などなど。そして沢田にも自室のエアコンを使わない沢田なりの涼み方がある。それは、


 自転車で爆走する!


 である。


 学生時代、沢田の下宿にはエアコンも扇風機もなかった。夏は暑くて部屋の中にいられない。だからと言って炎天下を歩くのも嫌だ。

 エアコンの効いた商業施設に行って涼むという手もあるが、そこはあくまでも買い物をする場所であって避暑をする場所ではない。仲間内でお喋りをしながら我が者顔でフードコートや休憩コーナーを独占している不届き者と同じ輩と思われるのは嫌だ。図書館は妙に緊張してしまうので居心地が悪い。ではどうすればよいか。


「よし、自転車を漕いで思いっ切り汗をかこう!」


 となるのである。暑い時には熱々の鍋焼きうどんを食って暑気払いするのと似たような感覚と言えよう。


 しかし夏の自転車には熱々の鍋焼きうどんにはない魅力がある。走っていると顔に風が当たる、その風が実に心地良いのだ。特に長い上り坂で散々汗をかいた後、下り坂になって漕がずに自転車を走らせている時は何物にも代えがたい爽快感がある。

 汗だらけの顔に風が当たると、まるで高原のそよ風に吹かれているかのような錯覚に陥る。木陰の多い並木道を走れば清涼感はさらにアップする。そうして一通り走りを楽しんだ後、キンキンに冷えた麦酒を渇いた喉へ流し込めば、一仕事終えたような充実感が体を駆け巡る。


「うん、やっぱり夏は暑くなきゃダメだな」


 と学生の沢田は思ったものだ。


 そう、これはあくまでも学生時代の話。ちなみに現在の沢田も自転車を愛用している。二輪の免許は持っているし、昔は単車を転がして遊んでいたが、交通事故を起こしてからは私的に利用しているのは自転車だけだ。


「今はもう自転車暑気払いは無理だな」


 真夏の自転車を楽しんでいた頃、暑い日はこれほど多くなかった。だが2007年に気象庁が猛暑日という言葉を使い始め、35℃が当たり前になった頃から自転車の風は生温くなった。

 吹き付けてくる風は温風。下手したら体温より高いので冷えるどころか熱せられてしまう。どんなに室温が高くても外出はなるべく避けるべき時代になってしまったのだ。


「はあ~、今日もあっちゅいなあ」


 そして沢田は36℃の自室で汗をかきながら真夏の日中を耐え忍ぶ。いくら貧乏底辺暮らしとは言っても、エアコンの電気代を節約するほど追い詰められてはいないのだが、なんとなく夏は汗をかかないと気が済まないのだ。


「きっとボクの最期は熱中症による孤独死だろうなあ」


 この予感が的中しなければいいなあ、と沢田は思っている。











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