8月15日

 お盆休みなので沢田は帰省していた。沢田の実家は皇帝が統治するヤーパン帝国の辺境地にある。ヤーパン帝国は世界の国々の中で人口も土地面積も中間あたりの平凡な国ではあるが、経済力だけは10本の指に入る経済大国だ。沢田のような低収入底辺男が人並みの生活を送れるのは、帝国の経済力を背景にした社会福祉が充実しているおかげと言える。


「長い歴史のある国に生まれ、豊かで平和な時代に生活できるなんて本当に運がよかったなあ」


 8月15日が来るたびに沢田は自分の幸福を実感する。今日は終戦記念日。約200年前、ヤーパン帝国は全世界に戦争を仕掛け、その結果大敗北を喫したのだ。この帝国に住む者なら誰もがその経緯を知っている。引き金となったのは皇帝の突然の逝去、それに伴って就任した新宰相の独断だ。


「これより皇帝に代わって吾輩がこの国を支配する」


 宰相の宣言に異を唱える者はいなかった。帝位に就いたばかりの新皇帝はまだ幼く、宰相の助けなしに国務遂行は困難だったからだ。


「富国強兵、これこそが帝国を繁栄させる唯一の道である」


 宰相の方針によって帝国の予算の大部分が軍備増強に費やされた。徴兵制が開始された。膨張する軍事費を賄うために増税が頻繁に行われた。その頃になってようやく国民はこの宰相に疑念を抱き始めた。そして近江安土山に壮大な天守閣を持つ大宮殿が建造され、「天下布武」と染め抜いた無数の旗指物が城郭を覆い尽くすように掲げられた時、国民の疑念は確信に変わった。


「宰相は第六天魔王に憑依されている。このままでは帝国が滅ぼされてしまう」


 はるか昔、ヤーパン帝国に戦乱の嵐が吹き荒れていた頃、帝国中央部に強大な魔族が出現した。第六天魔王である。「天下布武」を掲げて侵略を開始したこの魔王によって帝国は存亡の危機に陥った。名だたる武将たちは全て討ち取られ、もはや魔王に屈するより他にあるまいと誰もが思い始めた時、皇帝に啓示が下った。


「この危機を救えるのは東照大権現だけである。陰陽術を用いて顕現させるべし」


 幸いなことに皇帝は陰陽道に精通していた。ただちに帝国中の陰陽師が宮殿に集められた。皇帝が中心となって招聘の儀式が行われ東照大権現を顕現させた。


「大権現様、何卒あの魔族を打ち滅ぼしてくださいませ」

「相分かった」


 魔王と大権現の戦いはひと月に及んだ。膠着した戦況を打開したのは大権現究極奥義「厭離穢土欣求浄土」である。戦いに敗れた第六天魔王は実体を奪われこの世から消滅した。同時に戦乱の世も終わり帝国には太平の世が訪れた。


 だがその平和は仮初めに過ぎなかった。魔王の実体は消滅したが霊体は残っていたのだ。何百年にも渡って復活の時をうかがっていた魔王は幼い皇帝が即位した今回の好機を逃さず、宰相の体を依り代にして復活したのである。


「今こそ我が大ヤーパン帝国が世界に覇を唱える時ぞ。この世は我らのものである」


 宰相は世界に向けて宣戦布告した。誰も止められなかった。国民は魔王の手先となって戦線に駆り出され命を落とした。


「再び東照大権現を顕現させるのだ。宰相の暴走を止めるにはそれしかない」


 だがそれは不可能だった。招聘の儀式は皇帝自らが陰陽術を行使せねばならない。何の知識もない幼い皇帝にできるはずがない。しかも陰陽術を会得するには何十年もかかる。とても待ってはいられない。


「おしまいだ。数千年続いた我がヤーパン帝国もついに滅亡するのか」


 全国民が絶望の淵に沈んだ。



 つづく









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