8-3

 死の道砂漠こと、リチチア国の砂漠地帯に入った。


 赤鴉含めた王国旅団の遠征隊は、砂漠をゆく隊商(キャラバン)と同じようにラクダを使って移動している。


 遠征隊の指揮を執るのは、エラ王国旅団第一部隊隊長のワトリーニ隊長だ。次期国王は未だ定まらないが、国の代表者として神官らの多数決により任命された。


 ワトリーニ隊長はその大役を喜んで引き受けた。エラ王国旅団は五百人ほどの軍勢で出発する予定だったが、山岳地帯の王都ステラバにはラクダが足りず、半数以下の二百人で南の太陽神殿を目指している。


 赤鴉からはアレガ、ことなかれ主義者が従軍する。神官タイズも一緒だ。驚いたことにタイズは自らの意思でニンゲンとの闘いに参加した。


 ほかの神官は王都ステラバで今もなお死につつある同胞を悼んだり弔ったりする儀式で忙しい。


 灼熱の大地は、密林では経験したことのない渇きを与えた。途中でオアシスを経由しなければ、いくら暑さに強い半鳥人でも目的地までに乾ききってしまう。ニンゲンも陸路ならば同じ百キロメトラムの道順を一日で辿る必要があるが、飛行気球で向かったのだとしたら数刻で先に到着している可能性がある。


 リチチア国に入ってからというもの、国民の半鳥人には今のところ一刻を過ぎても遭遇していない。それだけ死の道砂漠が危険なのだろう。


 アレガは黒っぽい毛を持つラクダに一人で跨り、エラ王国旅団の隊列の中ほどに組み込まれた。ことなかれ主義者はすぐ傍で黄土色の毛のラクダに乗っているが、なぜかタイズも隊の中腹に位置を指定された。


 タイズ曰く、南十字星が昇るまでが勝負だという。


「不死鳥になる儀式は砂漠で夜に行われる。不死鳥は太陽の化身のはずだが、その生まれる瞬間は夜だったという。胎児と同じで暗い腹の中から生まれるように、夜を好むのかもしれないな。あくまで僕個人の意見だが。大事なのは、不死鳥ではない者が不死鳥になるには、先祖返りして不死鳥になることと、その不死鳥の脳を食すという二つがある」


「げっ。脳を?」


「食したものは、血肉となるという考えだろう。そもそもの話だ。不死になりたいという欲求の中に、年を取りたくないという思いがある。身体の部位で取り換えが利かないものの最たるものとして、脳がある。肉体の老化は火傷治療のときのように皮膚を移すという方法があると仮定できると思わないか? 唯一それができないのは、脳だ。脳だけは他人のものと取り換えが利かない。だから、食して自分のものとする」


 タイズは自分の話に酔っているような口ぶりだ。老化することが、それほど恐ろしいことだとはアレガには思えなかったのだが。


「お前はなんで若返りたいんだよ」


「僕は若返りたいとは言っていない。不老ではなく不死が望みだ。僕は戦争の犠牲者だ。禁句とされる先の戦争の話をいずれ、世に知らしめる。僕が受けた身体的苦痛や精神的苦痛を後世に伝承する必要がある」


 チシー爺さんを貸してやろうかとアレガは思ったが、やめておいた。戦争の悲劇については分からない。だが、タイズは誰かの口承伝承を望んでいないように思えた。


 自身で口承伝承をしたいのかもしれない。一言一句をありのままの生々しさで。


 不死鳥の役目は歴史の保存、記録者なのかもしれない。


「先のことより、今を生きることの方が大事だと俺は思うんだけど。……ラスクは脳をもう食べられてると思うか?」


「儀式が先だ。足を切断してアロエと一緒に磨り潰し、南十字星に掲げる。不死鳥の友人が両足揃って健康な状態であるのは、そのときまでだということだ」


 そこでなぜかにやけるタイズは、ラスクの悲劇を他人事だと思っている節がある。


「お前だってラスクを狙ってたのに、なんだよ」


「おや、貴様まさかあの女に気があるのか。もし彼女がすでに殺されていれば、僕としてはまたとない好機なんだが。みんなもそう思わないか?」


 タイズに煽られても王国旅団は寡黙にラクダを走らせている。汗をかかない半鳥人たちの額に薄っすら汗の筋が流れている。なんだ、あいつらも限度を越えたら汗を掻くのかとアレガは少し嬉しくなる。一人話し散らかすタイズのチュニックも、汗で濡れている。


 アレガはずっと汗を掻きっぱなしだったので、水を飲む。唇に向かい風が運んできた砂が付着していて、自分のものとは思えないざらざらした口に水袋をつける。途端、抑えが利かなくなって盛大に水を煽る。歯茎まで砂でじゃりじゃりする。


「……早すぎる。ニンゲンらしいと言えばそうだが。あまり急いて飲むとオアシスまで持たないぞ。ラクダは別だが。こいつらは、あえて喉を乾かせてやる。それから一気に飲ませると当分は水を必要としなくなる。そうだろ王国旅団? 貴様もそうだといいが」


 タイズはやはり嫌な奴に変わりがない。タイズの薄ら笑いを浮かべる顔をアレガはきつく睨む。協力の申し出はあわよくばラスクを得られたら僥倖だということだろう。オオアギが守ったのは自分だけではなくタイズもだが、こいつが助かる価値はあったのだろうか。


 ラスクだけは渡してたまるかと己に誓う。


 オアシスに着く頃には、全身の皮膚が焼けて発赤していた。ことなかれ主義者が介抱してくれなければ、ラクダから降りることもままならなかった。


「思ったより……熱いな」


「そうね。私たちは汗を経験したことがなかったけれど、こんなに濡れるものなのね。驚いたわ。あなたが服を着たがらない理由が分かる気がする。ワトリーニ隊長が今後の計画を説明するようだけど。斥候班を募集しているみたい」


 ヤシの木と灌木が茂るオアシスはまさに楽園で、ラクダたちより先に半鳥人は湧き出る泉に身を投げた。透明度は低く、土色の混じった水だったが、気にならないぐらい水を欲していた。


 アレガはマントをこれ以上傷めないように脱いでから泉に飛び込んだ。肌が痛くてところどころ火傷とは別の水膨れもできている。


 ワトリーニ隊長も頭を泉に浸した。アレガと目が合っても頑固そうな固く結んだ唇を崩さない。


「諸君、いい加減頃合いだろう。水の補給が済んだら、聞いてくれ。ニンゲンは我々よりははるかに熱に弱い。ラクダが我々なら奴らは馬みたいに汗だくになるだろう。だが、奴らは空を制している。なんたる屈辱だ。そこで、斥候班には奴らの本拠地を発見次第、真っ先に飛行船を破壊してもらいたい」


 芋虫のような飛行気球の正式名称は飛行船と言うらしい。


「斥候以上に危険な任務だ。今の時点でやり遂げられるか意思を確かめたくてな。後衛に回りたいというのならかまわん。だが、その分ニンゲンの持つ銃と戦うことになる。いや、前衛後衛変わらず銃の標的にはなるがな」


「銃?」


 あちこちで疑問の声が上がる。主に若い兵だ。アレガはなんとなく、雷の棍棒のことだと分かる。


「斥候を希望する者はいるか? これは名誉なことだ。我らエラ国の威厳と国力を見せつける戦いでもある」


「俺も行く」


 ワトリーニ隊長はアレガのあっけらかんとした申し出に、白い歯を見せて笑う。


「ニンゲン同士殺し合ってくれるのなら、我々としても助かるからかまわないが」


 兵たちが声を上げて笑う。そんなにおかしいことだろうか。


「俺は赤鴉として仲間を助けるために戦うんだ。よく覚えとけ」


「まぁ、血の気が多いガキは嫌いじゃないが……。いかん、元嫁の口癖が移った」


 ウロなら確かに言いそうなことだ。


「よし、カラスのガキを斥候班に加えろ」


 アレガは慌ててマントを羽織る。いたずらっぽく口元を綻ばせる。


「カラスかぁ」


「ウロのところの所有物だからな」


「おっさんもウロを殺し損ねたもんな」


 ワトリーニ隊長は渋い顔をする。


「……二度は殺せんだろう。あれは自由過ぎた。私の力を見せつけ仕留める機会はあったんだがな。そういうお前も因縁があったのか?」


「ま、腐れ縁かな。殺し損ねてよかったのかも」


 アレガは歯を見せて笑った。

 

 砂漠とオアシスを交互に渡り抜け、丸一日の旅を終えた頃。酉の刻になり、日はほとんど沈んだ。刻限の南十字星が空にはっきりと現れるのは、戌の刻だ。もう一刻の猶予もないとはこのことだ。


 青ざめた砂漠の土は、部隊の松明に照らされると黄金に輝く。赤茶けた月はまだ低く薄闇を照らすには頼りない。

 その代わり、遠方に火が密集しているような灯りがはっきりと見えた。明らかに誰かが灯した焚火の群れだ。その周囲に芋虫形の飛行船が五隻係留されている。砂漠に竿みたいなものを突き刺して留めているようだ。


 その向こうには台形の建造物がある。王都ステラバの石垣よりもまだ大きな切り出された石が積み上げられている。あの建造物自体が生贄を乗せる祭壇みたいな形をしているが、近づくにつれ、あれの上を登ることは山登りに等しいと分かった。遠目には、住居三階建てぐらいに思えたが、近くになると神殿の高さは五階建て以上あった。畏怖の念に駆られ、何人かは神殿に向かって感嘆のため息を漏らす。


 ワトリーニ隊長の指示に従い、斥候班は飛行船の排除に向かう。砂漠は姿を隠し通せるものが何もないので、砂をまぶした敷物を身体にまとって隠れ蓑とした。


 夜風は冷たく、長引けば服を着る必要があるとアレガは思った。ニンゲンの姿は見当たらない。代わりに、日中の暑さに耐えかねたように脱ぎ捨てられた衣類が天幕に置かれている。ニンゲンもチュニックが基本の服装らしいが、見たことがない上衣と下衣もあった。置かれている荷物も金属類が多い。箱や腰かけなんかも鉄でできていた。ニンゲンとは余計なものを作るんだなと感心した。椅子などはアレガにはほとんど縁がない。腰掛けるものは、自然の石や木を利用していた。エラ国では鉄が貴重なので、武器ぐらいしか鉄は使われない。


 アレガは斥候班と共に十名で飛行船へと駆け寄る。


 原生林の一番高い木を横に倒したぐらいの長さはある。近くで見ると芋虫風の胴体の下に、ニンゲンが乗り込む駕籠がある。といっても、長屋のようで住居にも見える。


 係留している竿から数人ずつ木登りの要領でよじ登って侵入する。中には巨大弩や係留するのに必要な錨や縄がある。中は広く一同面食らってしまう。居住空間になっていたからだ。ニンゲンに遭遇する確率が高まり、兵たちは話し合う。確かに、このままだと奇襲とはいえ不利を被るのはこちら側かもしれない。


 そもそもニンゲンはなぜここにいないのか。飛行船を宙に係留しているから侵入者はないと高を括っているのか。

 アレガは兵たちにニンゲンについて聞く。


「この中で先の戦争を経験した奴は?」


 若い男が答える。


「いない。半鳥人はそもそも戦争を経験した者は勇退し、隠居する。ワトリーニ隊長が例外なのだ」


「じゃあ、ニンゲンが何を考えているのか誰も分からないのか。前回はどうやって勝ったんだよ。奴らの自滅だっけ?」


「そう聞いている。ニンゲンは欲に溺れて自滅する生き物だ」


「なるほど……。じゃあ、あいつらみんな不死鳥になりたいのかもな。だから、ここにいないと」


 兵たちははっとして船内へ駆け込んだ。アレガも後を追う。居住区はきっちり区分けされており、寝室、台所など見たことのない金属の素材で構成されていたとしても、一目で用途が分かるようになっていた。


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