第八章

8-1

 門周辺に野営地が敷かれ、王都ステラバの民は夜通し篝火を絶やさなかった。未だ燻る民家の炎の爆ぜる音と、半鳥人たちの呻き声は朝焼けが差す中でも続く。


 雲に代わろうと上昇していく霧が、山間から差し込む日差しに帯状に照らし出されて壮麗だ。悲劇の後とは思えない雄大な自然の美に、アレガは目を逸らすようにしてポケットから木彫りの飛行気球を取り出す。まったく焼けておらず年輪まではっきり見てとれる。


 飛行気球の正体がニンゲンの空飛ぶ乗り物というだけでなく、殺戮兵器として使われる物体だとは思わなかった。


 木彫りの飛行気球は母ペレカが作ってくれたものではない。元々アレガが持っていたと言っていた。


 アレガは深く息をついて、木彫りの飛行気球を煙の燻る民家に放り込む。もう必要がなくなってしまった。元より自分と同じ種族に会いたいという願いは薄かった。ニンゲンがこれほどまでに惨たらしい存在だと知った今はなおさら、同族であることが恥ずかしい。


「ねぇ、あれってカラス?」


 指差してきたのは怯える女の子だ。問われた少女の母親は首を振る。ニンゲンだとは口にしないでアレガに不安げな眼差しを向けるだけだった。


 アレガは焼け焦げたマントを纏いなおし、縮れた羽根を握ると指の腹に炭が広がった。もうアカゲラではない。襤褸ぼろと変わらない状態だが、まだカラスには見られるようで、母を再び失った気でいたが自分は鳥だと、まだ胸を張れる。


 動き通して疲労感が瞼を閉じさせた。瞼の裏から透けて見える自分の血管が赤い太陽みたいだ。母ペレカの赤い翼を思い浮かべる。


「俺って生贄だったのかな」


 恐らくあの芋虫みたいな飛行気球から産み落とされたアレガは、どういうわけか拾われた。あの悍(おぞ)ましい飛行気球から赤子とはいえ、母が自分を拾った理由は何であったか。父イグが顔を紅潮させてすぐに捨て置けと罵倒する様が想像できる。母は村長である父の命令に、唯々諾々と従うような真似をしなかったということ。カラスを火祭りで捧げる村で、母はどうして忌み嫌われる生き物の自分なんかを――。


 アレガは母の太陽の笑みを忘れない。嘘偽りでできるような笑みじゃなかった。きっと、母は怖かったのだろう。ニンゲンとはいえ、一人ぼっちの生き物が密林で生き残れないことを危惧したんだ。


 カラスだったら? とアレガは自問する。もし自分がカラスだったら、母は拾ってくれただろうか。答えは出ない。


〈半鳥人は気まぐれさ〉


 ウロが答えた気がする。


 母が自分を拾ったのも気まぐれなら、ウロが自分を引き取ったのも気まぐれ。


 それほどまでに、ニンゲンは弱い生き物か。他者を必要とし、守られなければ生きていけない。


 弱さを認められないから、ああやって威圧感のある飛行気球を作り出し、恐怖で支配するために王都を破壊したんだ。日が昇り日が落ちることのように、すんと納得する。


 焼け落ちるような夕日にアレガは涙腺が緩むのを感じた。


 生きようと思った。何が何でも生きようと思う。オオアギは今、死の淵にいる。いよいよ、赤鴉も終わりだ。嗜虐医の思惑通り、赤鴉みんな青鴉として引き抜かれるかもしれない。それも悪くないか。でも、どうせ何かを決断しないといけないのなら、どうすべきかは決まっている。


 母はニンゲンの自分を鳥として育てた。自分がやれることは、立派な成鳥になることだ。母はウロのことをどう思うだろう。許せないけれど、許すのも大人だって言ってくれるだろうか。アレガは未だウロのしたことは許されないと思う。育てられた事実もある。ウロがいなければ密林では一人で生きていけなかった。


 マントはもうカラスみたいに真っ黒だ。カラスの翼は実に様々な黒色がある。ラスクの光沢のある緑色、ウロの紫の光沢を帯びた至極色しごくいろ、嗜虐医の紺よりも濃い勝色かついろ


 炭色になったマントも悪くない。


 茣蓙を敷いて仮眠ができるようにした区画の草原側から、ことなかれ主義者が駆けてくる。


「朝ごはんにカメムシはどうかしら?」


 アレガは親指大の大振りのカメムシには手を伸ばさずに、小指ほどの小さなカメムシをいただく。舌でぷちりと潰れて、カメムシの足がチクっとする。味は唾液でうやむやになる。思いのほか腹が減っていたことに今気づいた。


「俺も採取手伝おうか」


「これを配り終えたらだいたい終わりよ。生存者は千人ほどだけど、食欲も落ちているのが困りものね。この後オオアギを見に行くけど。嗜虐医によると峠は越えたらしいわ。火傷は皮膚の再生に時間がかかる。最悪の場合、誰かから皮膚の提供を受けないといけないらしいから」


 木の椀から逃げ出そうとするカメムシを、ことなかれ主義者は健常者に配る。患者は飲み食いも難しい状態の者がほとんどだった。


 ことなかれ主義者がカメムシを配り終えるのを待って、オオアギのいる重傷者の区画へ向かう。急ごしらえの天幕が張られ、日中の日除けとなっている。ここも茣蓙がたくさん敷かれ、頭を高くする必要がある者には首の下に藁が積まれている。


 嗜虐医と王国旅団の衛生班が治療を行っていた。王国旅団はこの緊急時において赤鴉と対峙する意味を失ったとみえ、赤鴉と一時的な協力関係を築いている。


 オオアギは緑の葉に覆われて、オオアオサギの青灰色の翼も見えないような状態だった。紺色のポンチョや黄土色のズボンは脱がされているが、全身に油を塗られ亜麻布を使った包帯で巻かれていた。


 ちょうど嗜虐医がオオアギの包帯を取り換え始めた。オオアギの手指は炎症で白くなったり、桃色になっていた。熱傷の酷い箇所は白さが増すらしい。左の手指四本が切除されていた。火が骨まで到達したのかもしれない。オオアギは痛みに呻くこともない。不思議に思って見ていると、重度の火傷のために痛覚を感じる部分が焼け落ちたと嗜虐医が説明した。


「オオアギ……」


 謝るつもりではなく感謝を伝えようとしたが、嗜虐医にたしなめられる。いつも弱者を虐める嗜虐医だが、本当に命にかかわる怪我の治療に当たるときは誰であれ治療の邪魔はさせない。


「アレガ、突っ立ってるなら手伝いな。水とミルクで洗い流す。ヤギの乳が足りないよ。搾りたては駄目だからね! 必ず加熱してから持ってきな。それからひまわりの種を圧搾できる職人が旅団の食糧班にいるんだ。そいつに頼んでひまわり油をたくさん出してもらいな。バターでもいい。患者の皮膚に外気を触れさせないように潤いを与えてやるんだ」


 ミルクや油、バターをかき集めて嗜虐医に届ける間にも、あちこちでアロエを求める声が上がったのでアロエの採取や患者の茣蓙の取り換えに応じた。まだ出血そのものが止まっていない患者も多く、重傷者区画の足元は常に血で汚れていた。


 昨夜までのたうっていた者が急に静かになり息を引き取っていく。半鳥人は頑丈な生き物だが、それでも失った皮膚を再生させる能力はない。


 オオアギもいつ重篤な状態になるか分かったものではない。顔、両上腕や、腹部、両足と火傷の範囲は広い。


 アレガは雑用に追われ、結局オオアギと再度会えたのは昼を過ぎてからだ。


 オオアギは驚異的な体力で意識がずっとあった。にもかかわらず、叫び声やうめき声を上げなかった。痛覚を失い、叫ぶほどの体力も消耗している。


 顔の半分が包帯に覆われている。右目が、浮足立つように動いてアレガを見つめる。何事か口で呟いた。慌ててアレガは跪いて耳を寄せる。


「アレガ、無事か」


「俺は水膨れだけですんでる。神官のタイズも大きな火傷はない。それもこれも、オオアギのおかげだ。なんて言ったらいいか、ありがとう、ごめん」


 オオアギは笑おうとしたら顔が痛むのか、涙ぐむ。顔の痛覚は残っていてよかった。


「……嗜虐医が口うるさくてさ。眠れないんだ。尻から肉を取って全身に貼りつけるって言うんだ。待てよ、尻は唯一痛くないところなのにって言ってやったんだけどさ」


 はははとオオアギはなぜか愉快気だ。尻の肉を顔や腕に移植されることが滑稽で仕方がないらしい。ことなかれ主義者がオオアギに塩やヤギのミルクを混ぜたものを飲ませにきた。祝いでもないのにチチャも口に含ませる。口内で味覚が喧嘩するだろうが、失った水分や体液を取り戻すためには栄養が必要なようだ。ことなかれ主義者は用が済むと、王国旅団の衛生班に呼ばれて去ってしまう。赤鴉というより、昔の神官見習い時代に戻ったかのように馴染んでいる。


 通りすがりの町人が、オオアギの傍に摘んだばかりのランの花を置いていく。オオアギは苦笑する。


「あっしは太陽神ンティラを信じちゃいないけど。きっと、死んだら南の星の一つになるんだろうなと思ってる。見ず知らずの町人があっしのために祈ってくれるんだ。この町ってこんなに温かかったかな。貧乏人は大塔に入って祈りを捧げることもできないんだ。信仰するのにも、金がいると思ってた」


 オオアギの声は弱弱しい。今夜また星が高く昇ったら、オオアギもそこに連れていかれそうな気がしてならない。


 オオアギの包帯から覗く右側の頬が紅潮している。時が経過するほど浮腫が現れると嗜虐医は教えてくれた。浮腫が喉を塞げば呼吸困難に陥るし、骨や関節を覆えば切開しなければならない。皮膚を剥がして貼りつけるなんて治療は、今まで聞いたことがなかった。王国旅団の衛生班に専門医が一人いるだけで、嗜虐医はそいつと協力してオオアギを手当てするのだという。ただ、患者の手当の優先順位を決めなければならないとか。


「なぁ、アレガ。あっしはたぶん救ってもらえないよ。ほかにも怪我人が大勢いる」


「見れば分かるって。でも、嗜虐医が見放すわけないだろ」


 オオアギを嫌っている嗜虐医でも、オオアギをみすみす死なせるわけがない。


「いいや、怪我の程度の軽い者から治療してるのが分からないか? あっしは寝ずに見てるんだ。それぐらい分かる」


 言われてみればそうかもしれない。重症者の天幕には人手があまりない。足りていないのだとばかり思っていた。


「あっしら、手当の見込みがないと捨てられる。ひまわり油が限られてるんだと思う。医者は合理的だよな。まったく」


「助からないって決まったわけじゃないだろ」


「そうだな。あっしも、できるなら助かりたい。でも、医者ってのは――嗜虐医だとしても共通してるのは、助けられる命を優先するってことなんだよ。あっしは、その助けられる命に勘定されてない。嗜虐医は手を尽くすと言ってくれた。それで充分だよ。嗜虐医は仲間だからってその救うべき命の順番を間違っても前後させないんだ」


 アレガは言葉を失ってオオアギの上下する胸を見ていた。喘鳴が絶えず鳴り響く。オオアギは悲観的になっているのではなく、救われる命の順番に納得している。だが、本当は生きたいはずだ。


「俺、お前に謝りたい」


 オオアギは鼻で笑おうとして、咳き込む。


「随分丸くなったじゃん。いいよ。あっしは好きでお前を守ったんだ。感謝しろよ」


「なんて言うか。ありがとう。お前にこんな風に助けてもらえるなんて思ってもみなかった」


「当然だろ。あっしはお頭様の考えに従って行動するんだ。ニンゲンを育てるってウロ様が決めた。誰も反対しなかったんだよ? 知らないだろうけどさ。赤鴉みんなニンゲンが敵だと知ってたんだよ? ラスクは後で教えてやったけど。でも、ニンゲンだからって気にならなくなった。半鳥人の村で育ったお前は始めから半鳥人だったよ。ちょっと弱いところがあっただけさ」


 アレガは感極まってオオアギの火傷の、あまりひどくない背面の肩に腕を回す。


「やめろって、あっしは抱かれるの好きじゃねぇんだ。あっしは、強く逞しくなりたいんだって」


「そういうつもりじゃ。オオアギは十分強いだろ」


「まだまだぁ。ウロ様には叶わねぇ……悪い。少し眠らせてくれ」


 オオアギが初めて瞼をしばたく。


 アレガはそろそろと離れる。朝露で頬が潤っている気がする。いや、涙もろくなっただけかもしれない。


 オオアギは南の星になってオオアオサギ座にでもなってしまうのだろうか。鳥のオオアオサギは黄色いくちばしが目立つから、星座になるならそこに星が一つあるだろうなと夢想する。後頭部に黒い冠羽があるからそこにも星が必要だ。


 オオアギなら空に昇っても心配して見下ろしてくれる気がする。ウロが星座になっても、きっと地上のことはどうでもよくて楽しく空でチチャでも飲んでいるだろう。


 アレガは今が昼でよかったと、涙が溜まった瞼を閉じて滲ませた。誰にも泣いているとは知られない。オオアギなら生に死んでもしがみつくだろう。きっと助かる。ラスクを救いに行こう。オオアギはそれを強く望んでいる。

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