7-5

 手当をしたいが、混乱の中を抜けきっていない。もう一度タイズを背負った。王都の外へ、門に向かうのが先だ。


 道を駆けると、中心部からまっすぐに行けば王都ステラバを出るための門が見えてくる。貧民層の居住区では、エラ王国旅団への反乱とも思しき暴動が勃発していた。圧制を敷いていたのかアレガには知る由もないが、混乱に乗じて赤鴉は逃走する術を心得ている。なるべくどちらの組織にもくみせず、安全そうな小路を選んで突っ走る。


 門の出口付近ではことなかれ主義者に急かされる嗜虐医が見えた。大風呂敷に財宝を詰め込んで背負い、地上を走っているのでアレガからすれば亀のような速度に見えた。


 ことごとく民家や灌木に火がつき、半鳥人は地形を活かした跳梁ができない。誰もがもつれあって地上を走っていた。押し合いながら走る群集へ炎を帯びた烈風が押し寄せた。阿鼻叫喚。悲鳴が連綿と続いた。声が燃えている。何人もが生きたまま焼かれていく。


 煙る黒煙と、脂分の焼けるむっとする悪臭に、アレガは胃酸が喉まで込み上げるのを必死で堪えたが、それでも咽た。吸い込んだ灰で喉が痛む。ことなかれ主義者と嗜虐医は炎と黒煙の壁に阻まれ、見えなくなる。


 足元の草木に火が移り、アレガもこれ以上先へ進めなくなった。オオアギが燃えている民家に駆け込んで、桶を二つ持ってきた。全身煤だらけになってまで水を取ってきたのだ。オオアギの服に火が燃え移っている。


「後ろ燃えてるぞ!」


「分かってるよ! 痛いんだからな!」


 言うなりオオアギは頭から水を被る。アレガはついでとばかりに水をかけられた。


「まさか、このまま突っ切るのか?」


 嫌な予感は的中する。


「行くに決まってる。やっぱりその神官邪魔だな。捨ててけって」


「置いていけるわけないだろ」


「あー、ったく。こっちに寄こせ」


 オオアギはタイズの傷口に指を当て、頭蓋が骨折していないか診る。


「意識を失ってるだけだな。ま、医者じゃないから断言できないけど。寝てる方が熱を感じないかもしれない。アレガ、あっしの真後ろに着きな」


 むくれ上がる黒煙が途切れることはない。勢いは強まるばかりだ。アレガは熱せられた焼けるような大気で、冷水を浴びたばかりだというのにもう汗をかく。飛び込むなら決断は早い方がいい。


 オオアギは赫怒かくどする炎に飛び込んだ。壁になろうと言うのだ。水をかけたぐらいで無事に済むわけがない。アレガは恐怖がもたげる前につき従った。背負われたタイズを挟んで密着し、オオアギの足手まといにならないようにする。


 熱で息ができない。いや、一瞬でも息を吸えば、気管を通った炎が肺腑まで焦がすだろう。アレガはタイズの鼻と口を後ろから手で覆ってやる。アレガの足裏はじりじりと痒みを帯び、痛み出した。靴底が燃えた。裸足のオオアギは大丈夫だろうか。目も開けられない。瞼が焦げないで済んでいるのが奇跡だ。両腕はできるだけ胸側に寄せ、縮こまった姿勢で突破した。通り抜けてみると、焼け落ちた茅葺屋根が道を焚き上げていると分かった。


 アレガは止めていた分、を大きく息を吸い込んだ。火の粉が肌にちくちくするが構っていられない。


「オオアギ!」


 タイズの下敷きになって真っ赤に燃えている。タイズはオオアギについた火で炙られている状態だ。転がして何度も砂をかけた。それでも鎮火しない。


 オオアギは一瞬意識が飛んでいたのだろう、はっと気づくと焼けただれる皮膚の痛みに耐えかねて転げ回った。アレガはマントを脱いで、一瞬母の羽根に目を留める。考えている暇はなかった。消火するにはマントで叩くしかない。オオアギに覆い被さるようにして、燃焼を抑え込んだ。


 アレガの母の羽根で作られたマントは、一瞬で黒くなる。まるで、はじめからカラスの羽根だったかのように、アカゲラの美しい赤、白、黒の三色は単一色になった。


「オオアギ、しっかりしろ!」


 アレガが抱き起すと、オオアギは悲鳴とも呻き声ともつかぬ喘鳴ぜんめいを漏らした。両腕は焼けただれて皮膚が伸びたるんでいるが、それを見たオオアギは痛覚をどこかに置き忘れたかのように口をわななかせる。


 宝物を放り出し、イノシシのように突進してきた嗜虐医にアレガは弾き飛ばされた。


「オオアギ! あんた無茶したんじゃないだろうね!」


 手早くオオアギの全身の火が完全に消し止められていることを確認し、さらに火傷の範囲や深度を調べた。


 ことなかれ主義者は、嗜虐医に傷薬となる薬草を手渡してすり鉢を用意した。受け取った嗜虐医は早口でまくし立てる。


「王都に来るまでに川があっただろう。そこから、できるだけ水を汲んで持ってきな。飲み水用と熱傷受傷者の患部を洗い流す用だから大量に必要になるよ! 生き残った連中も手当してやるから王都の外へ運べ」


「分かった」


 アレガとことなかれ主義者の二人でこなせる仕事量ではない。混乱し怯え切った王都ステラバの半鳥人に手伝えと命令するしかない。


「ニンゲンなんかに助けられたくない」


 泣いていた十歳にもならない男の子が泣き止んでまでそう訴えた。


 アレガは首を振る。


「俺がどんな生き物なのかは、今はどうだっていいだろ。みんな死にそうなんだ。俺はお前らを助けたいんだ」


「え」


 男の子は一瞬、呆けていたが僕に手伝えることある? と聞いてきた。


「あるに決まってるだろ。怪我人は町の外に集める。水もいる。ニンゲンが怖いなんて言わせないぞ」


 徐々に王都の民が集まってきた。アレガに一度はぎょっとするものの、手当を受けたい者や寄り添って今はただ泣き腫らしたい者も門の外へ寄り合う。


 いつの間にか火の雨と轟音や破裂音は終わっていた。飛行気球はその太い尻を見せて去っていく。巨大さゆえ、いつまでも黒い雲が停滞しているように見えて不気味だった。早く消えろと多くの民は目を瞑って願う。


 飛行気球の向かった先は砂漠だ。


 アレガは歯噛みする。


 王都ステラバは一刻も経たずに壊滅した。

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