第七章

7-1

 嗜虐医カーシーとことなかれ主義者は洞窟で合流した。


 王都ステラバはゴホンの密林の西にある。昼を過ぎて一刻ほど過ぎただろうか。夜には着きたいところと、ことなかれ主義者が言った。


 ニンゲンたちはラスクを拘束し、儀式のために南下するだろう。砂漠のあるリチチア国はエラ王国王都ステラバから南に位置しているので、一刻も早く向かわなければならない。


 道に詳しいことなかれ主義者を筆頭に、赤鴉は木々の合間を駆ける。


 赤鴉の回復はほんのわずかな休息で目を見張るほどだ。オオアギは嗜虐医に痛みを緩和させる薬草を処方され、顎を支える副木も必要としないほどに回復した。


「チシー爺さんをつれて行けってどういうことだろうな。チシー爺さんは暗記係だ。覚えたことしか話せないのに」


 鼻から息を吐いて馬鹿にしたのは嗜虐医だ。木々の枝を折るような乱暴な滑空だがいささか落ち着いたようで、いつもの高慢でふてぶてしい態度が戻ってきた。片方の翼を失い態勢が不安定とはいえ、脚力で枝を越えていく。


「ウロ様がヨウムを飼ってたってのは、あたしには内緒だったのかい? のけ者にしようってんなら、この赤鴉はあたしの方から抜けてやるよ」


「またまた、姉さん。嘘が下手だな」


 オオアギが一つ年上の嗜虐医を敬うわけはない。ちょっとした嫌味だ。


「お前が頭領だなんて認めてないってことだよ。あたしは、シビコとアレガをもらって青鴉を名乗るよ」


 アレガは吹き出した。青鴉って、野暮ったいにもほどがある。嗜虐医の青鴉に組み込まれるなんてまっぴらだったので、背伸びして言い返した。


「てか、嗜虐医。俺までお前の青鴉に入れるなよな。気分が悪くなって青ざめるから青鴉なのか?」


「ほう、いっちょ前に口を利くようになったじゃないか。ウロ様がいなくなって気がでかくなったんじゃないだろうね?」


 途端、嗜虐医のへし折った枝が頭上に降ってくる。わざと蹴落としたのだ。そんなことをすると太陽神ンティラの罰が当たる。アレガは肩に当たりかけたそれが地面に落ちるまでに、つかみ上げて鉈代わりに使う。


 草木の密度が濃くなってきた。王都ステラバが密林の外にあるとは信じ難いことだ。密林の外は一度も見たことがない。


 オオアギが声を荒げる。


「カーシー! いい加減にしろ。ただでも、面倒なことになってるんだからな。あっしもイラっとしたけど、道中で言い合いなんかしたら、ジャガーもピューマも縄張りを侵されたと思って飛び出てくる」


「来るなら来やがれって。あたしら『青鴉』はどんな猛獣もぶち殺してやるんだからね」


 嗜虐医はそう言いながらため息をついている。なんだ強がりじゃないかと、アレガは赤鴉の変化に戸惑う。ことなかれ主義者だけが黙々と木から木へと忍んで跳梁を続けている。


 密林の端に出たのは日が落ちた頃だった。


 アレガは夜風が頬を打つことに驚いた。密林では嵐が来ても風そのものは強くない。遮る木々の量が減るにつれ、強風が身体の間をすり抜ける。いつも汗ばんでいるアレガの身体はなでられ、清涼感で満たされた。マントが煽られたり膨れたり、ときに首元を引っぱったりする。オオアギの青灰色の翼がはためいているのを見るのも面白かった。


「アレガにやにや笑うなよ。気持ち悪いから」


 オオアギは翼をはためかせて気持ちよさそうに笑う。


「オオアギはステラバ出身じゃないのか?」


「密林の外は久しぶりだから。お前だって転びそうじゃん。いいか、ステラバの標高はもっと高いんだぞ。こんなんで参ってたら、息が吸えなくなってぶっ倒れるから気をつけな」


「三十メトラムの木に登れるのに、標高の高さなんか怖くないぞ」


「いやー、それとこれとは別だと思うぜ。後でしんどくなるから気をつけなよ」


 ワルミン川の支流の一つが増水しており、渡るのに時間を要した。オオアギ曰く、王都は天然の要塞でもあり、雨季だったらこの川を渡ることができなかったらしい。


 さらに数刻が過ぎ、真夜中の道のりが険しさを増した。岩や砂が多く、アレガにとってははじめて踏みしめる固くしっかりとした大地だった。雨が少ないのか、ぬかるみはほとんどない。


 傾斜はきつく、丘がどこまでも続くようだ。これが山なのかとアレガは面食らってしまった。ことなかれ主義者がときどき、息苦しそうに短く息を吐き出すほどだ。


 歩く度に身体が重くなる。


 険阻で黒々と連なる山の尾根に入る頃には、吐き気がしてきた。王都は山の上だ。気温は少し低い。アレガは寒くて鳥肌が立つという経験を久しぶりにした。熱に浮かされたとき以来だ。巨躯の嗜虐医は何度も休息しようと言い、敷物や茣蓙を投げて寄こした。


「私はもう限界だから寝るよ。お前も今夜は寝ちまいな。きっと、空気が薄いんだよ。オオアギは平気か知らないけどね。あたしとアレガは山で暮らしたことはないんだよ」


 オオアギが同意し、月に照らされた山の端にぼんやり浮かぶ石造りの壁を指差した。


「あと、もうちょっとだけどなー。この傾斜で拠点を張るか」


 一同は腰を下ろし、夜風に晒され冷えた身体を寄せ合う。オオアギがくっつきすぎと足で蹴ってきたのでアレガは蹴り返した。嗜虐医が巨木のような腕で抱き着いてきたときには、息が止まるかと思った。オオアギに留まっていたチシー爺さんは慌てて、一番安全そうなことなかれ主義者の頭に乗っかった。


 黒く角ばった建物が山頂にどっしり構えているのが見えた。月光だけでは説明できない赤々とした光が地上から雲を照らし出している。夜も火を絶やさない町のようだ。火祭りの夜のように心躍るような、一物の不安もある。そのまま、寝つくのに時間はかかった。だが、移動した時間に比例しアレガの身体は素直に意識を遠ざけ、深く底に沈めた。


 日の出。山に差し込む光は赤く煌めいていた。赤鴉は王都ステラバの石垣に到達する。身長百九十セントリの嗜虐医を優に超える高さの石垣だ。一つ一つ積み上げたのかとアレガは目を丸くした。これは何かの罰ではないかと思ったのだ。ウロに木材を運んで一夜で借りの宿を作れと命じられるよりきつい土木作業ではないだろうか。一体どれだけの半鳥人が罰せられたのかと竦んでしまった。


「ああ、これか。石垣は大工が設計するんだけど、作らされるのは奴隷(ヤナコナ)だよ。王都には富裕層の居住区と、貧民窟があるからな」


 オオアギは快活に話したが、そのオオアギが裕福な暮らしをしていたとは思えない。ステラバに戻ることを快く思っていないのかもしれない。オオアギは自分より赤鴉、ひいてはラスク救出を優先して行動している。


 王都の入り口は石造りの上がり階段だ。同じ石で作られた石垣の壁の中で、ぽっかり空いた門へと続いている。石の階段というものをアレガははじめて通ったので、思わず革の長靴ちょうかを脱いで裸足で踏んでみた。王都出身者のオオアギと物知りなことなかれ主義者はなんでもないという顔をしたが、嗜虐医はアレガに一瞥をくれながらも、こっそり足裏で切り出された石の感触を確かめていた。


 王都では半鳥人が木の上ではなく、石垣から石垣へ跳び移っていた。また、石の敷かれた小道を駆けている。無秩序に跳び回れる密林と違って、王都は高低差のある石垣によって、道ができていた。


 ここまで木と密接していない半鳥人の暮らしは見たことがない。


 町の中に存在する木のほとんどが灌木で、それに寄り添うように石造りの家がたくさん見える。屋根は三角だ。板で作る密林のツリーハウスとは似ても似つかない。オオアギによると茅葺屋根と呼ぶらしい。原材料は葦だとか。ここにあるすべての建造物が聖物と呼ばれていても不思議ではない。高度な技術力で建造されている。


 戸建てが十棟ほど密集するように建てられており、共同の中庭を介して通りに面している。


 中庭から顔を出した極彩色の半鳥人は、アレガたちを見て「あれって、カラス? ニンゲンもいる?」と囁き声を発した。


 町では一つの小道や石垣の上にも町人が十人ほど連れ立っていた。赤鴉も元は十二人と多勢だったが、町というものは一つの通りに村ほどの人数が集まるようだ。


 オオアギが嗜虐医の前に立ち、反射的にことなかれ主義者もアレガをかばうように前に出る。それでも、嗜虐医の図体はオオアギからはみ出ている。


「アレガ、先を急ごう。カラスもだいぶ減ったけど、ここまでだとはな。カーシーは特に気をつけろよ」


「オオアギに心配されるほどあたしは落ちぶれちゃいないよ。アレガも堂々と歩いておやり」


「ニンゲンは処刑されるんだろ」とアレガは小声で訴える。それから、たぶんとつけ加える。


 身を寄せ合うようにしてオオアギを先頭に駆け抜けると、半鳥人の囀りが木霊する。歌うように、笑うように「ニンゲンだ!」と最初は小さかった囁きが次第に、悲鳴のようにあちこちで上がる。


 オオアギはひとまず貧民窟へ足を運んだ。石垣の質に良し悪しがあり、貧民窟の石垣は石の形がばらばらで、不格好に不安定な状態で積み上がっていた。


 五人の子供らが面白がって石を投げながらついてきた。


「カラスは疫病! ニンゲンは死んだ! 生き残りなんているわけない!」


 歌のように子供らははやし立てた。アレガは手近にあった井戸の桶を拾って子供らに向かって投げた。ひょいとかわされる。


「まったく。こうするんだよ」


 嗜虐医が食糧袋から生きたカメムシを大量に投げ落とした。つんとした臭いがする。子供らはクワガタほどもある大きなカメムシが転がり落ちて逃げ惑うのを、喜び勇んで群がり追い詰めた。


 アレガは少しがっかりする。あれは美味しいから捨てるにはもったいない。


 臭いにつられて貧民層の大人も現れた。ランの花にたくさん集まるカメムシだ。密林で暮らしていれば採取も簡単で飽きるほど食べられるのに、誰もが喉から手が出るほどに欲していた。


 オオアギは呆れつつカメムシを求める大人たちをかき分け、人気ひとけの絶えた粉挽き屋の家に勝手に入る。幸い留守なのか、今の騒動で出払ったのか誰もいない。


 オオアギは腰を下ろそうとしたアレガと嗜虐医にはっぱをかける。


「休憩はなしだ。富裕層にある『太陽の大塔』に向かう」


 アレガは塔の意味が分からない。ことなかれ主義者が「建物の一種だ」と教えてくれた。


 塔とは半鳥人が作り上げた建造物で、太陽により近づくために造られた祭壇の意味があるという。王都では神官が取り仕切っているとはいえ、太陽神は絶対的な信仰対象であり、普段は聖物として崇めていた岩から切り出した石造りの教会内で祈りを捧げる。月に一度、太陽の大塔にて花や鉱石を捧げるという。また、鉱石は加工して宝石にしてから供えることもあるらしい。


 オオアギが胸を膨らませる。


「その祭壇には宝石や、硬貨も馬鹿みたいにあるわけだ。赤鴉として気になるよな」


「なんだ、オオアギが行きたいだけか」


「馬鹿言え。ものはついでだ。大塔は月に一度しか使われないが、王様は太陽神の子孫にあたるから、毎日参拝しないといけないんだよ。そのときを見計らって謁見するんだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る